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【特集:障害と社会】
ノーマライゼーションと心のバリアフリー

2018/12/05

5.心のバリアフリーの概念の変遷

「心のバリアフリー」という言葉は、我が国で使われるようになった日本独自の概念である。定義や提唱者は明らかではないが、考え方の萌芽は、文部科学省が1971年の学習指導要領で、障害のある児童生徒との「交流教育」を紹介した際、交流を推進するためには、障害に対する理解が重要であることを提唱したことに見られる。また、バリアフリーと「心」という言葉を最初に結びつけたのは、国土交通省が1994年に施行した「高齢者、身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律」(通称:ハートビル法)だと考えられる。この法律では、「高齢者や身体障害者らに利用しやすい建築物」をハートフルなビルディングと表現した。「心のバリア」という用語は、総理府が発表した1995年度版の「障害者白書」の中で紹介された「意識上のバリア」から派生したと考えられる。

「心のバリアフリー」は、定義が明確にされないまま利用されるようになった概念であったため、その後も、様々な理由・文脈で使われるようになった。例えば、障害のある人達が、自分達のために設置されている駐車スペースや多機能トイレ等を利用できないという社会問題が発生した際には、障害のない人達のマナーを向上させることを「心のバリアフリー」と呼ぶようになった。また、国土交通省が2006年に施行した「高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律(通称:バリアフリー新法)」では、ハード面のバリアフリーと共に、「心のバリアフリー」の重要性が指摘されるようになり、接遇や情報保障も「心のバリアフリー」の内容に含まれるようになった。

6.新しい「心のバリアフリー」の概念の登場

様々な文脈や意味で利用されてきた「心のバリアフリー」であるが、2020東京オリンピック・パラリンピック競技大会に向けて日本政府が発表した「ユニバーサルデザイン(UD)2020行動計画」(https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tokyo2020_suishin_honbu/ud2020kkkaigi/pdf/2020_keikaku.pdf)で、政府による統一的な概念規定がなされることになった。UD2020行動計画では、我々の目指す社会を「障害の有無にかかわらず、女性も男性も、高齢者も若者も、すべての人がお互いの人権や尊厳を大切にし支え合い、誰もが生き生きとした人生を享受することのできる共生社会」としている。そして、この共生社会を実現するために「心のバリアフリー」の推進が必要だと位置づけ、その内容として、以下の3点のポイントを挙げている。

(1)障害のある人への社会的障壁を取り除くのは社会の責務であるという「障害の社会モデル」を理解すること
(2)障害のある人(及びその家族)への差別(不当な差別的取扱い及び合理的配慮の不提供)を行わないよう徹底すること
(3)自分とは異なる条件を持つ多様な他者とコミュニケーションを取る力を養い、すべての人が抱える困難や痛みを想像し共感する力を培うこと

UD2020行動計画で規定された新しい「心のバリアフリー」の概念がこれまでと最も異なる点は、「障害の社会モデル」の理解を重視している点である。従来の考え方、つまり、「障害の個人(医学)モデル」では、障害の原因を、個人の心身の機能が低いことに帰属し、障害を軽減するためには、その人が教育やリハビリテーションを受けてできることを増やす努力をしたり、企業や個人等が障害者を支援する必要があると考える。この「障害の個人モデル」に基づいて「心のバリアフリー」を考えると、絶えず努力し続けなければならない「かわいそうな」障害者を理解し、障害のない人達や企業等が、彼らに優しく接したり、助けてあげることが求められることになる。一方、「障害の社会モデル」では、障害の原因を、障害のある人達も社会の一員であることを考慮せずに作られた社会の構築のされ方や障害のある人を排除し続けている社会のあり方に帰属し、障害をなくしていくためには、社会のあり方を変える必要があると考える。「障害の社会モデル」に基づいて「心のバリアフリー」を考えると、障害のある人達を排除してきた社会の構築され方やあり方に気づき、自らも社会の一員として、そのあり方を変えるために具体的な行動(アクション)を起こすことが求められることになる。

例えば、従来の個人モデルに基づく「心のバリアフリー」では、信号機の前で躊躇している視覚障害の人や店舗の前で困っている車いすの人に優しく声をかけ、手伝いをすることが重視される。社会モデルに基づく「心のバリアフリー」でも、同じような行動をとることは大切だと考えるが、その場面だけで終わらせず、社会の中にある、障害のある人達の活動を制限したり、参加を制約している様々なバリアに気づき、その原因や解決策を考え、具体的な行動を起こすことが重視される。つまり、社会モデルに基づく「心のバリアフリー」では、社会の様々な場所や場面にある「バリア」にセンシティブになり、「バリア」を生じさせてしまった社会のあり方を問い、共生社会が構築できるまで、具体的な行動を起こし続けていくことが大切なのである。もちろん、起こすべき具体的な行動は、それぞれの立場や役割に応じて、異なると考えられる。例えば、バンク–ミケルセンのように行政に携わる立場であれば法整備を、経営者であれば店舗の改築・改造を、教員であれば理念の普及・啓発を行うことが可能であろう。また、特別な立場や役割がなくても、音響式信号機を設置するように警察庁に働きかけたり、スロープの設置を店舗に呼びかけたり、SNSで情報発信をしたりすることが可能だと考えられる。

7.おわりに

ノーマライゼーションが目指す共生社会を実現するためには、社会の成員がノーマライゼーションの理念を共有し、社会のあり方を変革するために不断の努力をする必要がある。障害の社会モデルに基づく「心のバリアフリー」は、ノーマライゼーションの思想を理解し、今の社会の構築のされ方・あり方の問題点に気づき、障害の有無に限らず、すべての人が協力して、それぞれの立場・役割に基づいて、共生社会を実現するために具体的な行動を起こし続けることだと言える。

慶應義塾は、2018年にワーク・ライフ・バランス、バリアフリー、ダイバーシティに関する事業推進を通じて、我が国における協生社会の形成を先導するための組織として「慶應義塾協生環境推進室」を設置した。この組織が、塾内だけでなく、すべての大学、そして世界のノーマライゼーションを先導する役割を果たすことを期待する。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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