【三人閑談】
プラネタリウムを見上げて
2025/07/25
曾祖父・五藤齊三
井上 五藤さんの知る齊三さんはどんな方だったのでしょうか。
五藤 うちは大家族でしたので、曾祖父は僕が高校生まで一緒に住んでいました。小学生の頃、曾祖父と家の中を散歩するのが僕の役目だったんです。いろいろな話を聞かせてくれましたよ。
我が家は戦中期に戦艦等に使うレンズを作ったり磨いたりしていたので、戻ってきたものが戦後も家の地下に大量に残っていました。たぶん不良在庫なのですが、実にさまざまな形状のガラスが置かれていました。曾祖父は「これは○○のレンズだ」と言ってそれらを一つひとつ説明してくれるんです。
井上 歴史的な場面ですね。
五藤 そういう環境で育ったので、小学1年生の時には「お前も星のことを勉強せえ」と言われ、1957年に開館した渋谷東急の天文博物館五島プラネタリウムに連れて行かれていました。毎週日曜日8時からの子ども向けプログラムに通いました。
松本 英才教育ですね。
五藤 曾祖父が亡くなったのは僕が慶應高校1年生だった時です。よく覚えていますが、修学旅行先の北海道に到着したその日でした。急いで東京に戻りましたよ。
井上 それが1983年。3年後にハレー彗星が観測されるのをもう一度見たいと仰っていた、と齊三さんの奥様からお聞きしました。
コメットハンター関勉さん
五藤 かつて住んでいた家は屋上に天文台があり、新しく開発した望遠鏡ができ上がると星の見え方をテストしていました。レンズや望遠鏡関係の技術者がうちによく寝泊まりしていて、曾祖父にダメ出しされていました。
コメットハンターとして知られる関勉さんが泊まり込んでいたこともあります。曾祖父は「この人は有名な彗星を発見する方だぞ」と教えてくれて、関さんも小学生の僕に色紙を書いてくれたのですが、そこには「忍耐努力」とありました。まさに新彗星を発見するというのはその一言に尽きます。
松本 齊三さんと関さんはどのようなご関係だったのでしょう。
五藤 関さんは高知のご出身で、五藤家のルーツも高知にあり、同郷ということで曾祖父は関さんをかわいがっていたそうです。交流のきっかけとなったのは、関さんが1965年に池谷・関彗星を自作の望遠鏡で発見した時、曾祖父が「探求心のあるアマチュア天文家がいる」と言って60センチの天体望遠鏡を寄贈したことです。
井上 この時に贈られた天体望遠鏡は、高知県立芸西天文学習館内の芸西天文台で使われていましたね。
五藤 関さんはその天体望遠鏡を使い、その後も多くの彗星や小惑星を発見しました。その星のいくつかに曾祖父や曾祖母、父の名前を付けてくださいました。昨年は関さんが発見し、まだ名前が付いていない最後の星に私の名前も付けていただきました。
井上 実は、明石市立天文科学館のオリジナルキャラクター「軌道星隊シゴセンジャー」の名前も、関さんが発見された小惑星の一つに命名していただきました。関さんは観測者としても偉大ですが、天文の文化を育てようという思いがとても強いですよね。そして高知への思い入れも強い。
五藤 そうですね。1950年に高知で南国博(南国高知産業大博覧会)が開催された時に、関さんがご友人とともに作ったプラネタリウムが展示されています。
井上 ドリルで5000個近いピンホールをあけたという鋳物の装置ですね。
五藤 そうです。
井上 大変な作業だったのに、高知県は星がきれいでプラネタリウムが普及しなかったと関さんご自身が書かれています。ジョークだろうと思って安芸市立歴史民俗資料館の職員の方に訊いたところ、どうやら本当らしい。
五藤 高知は太平洋岸がほとんど南斜面なので、高いところにのぼると素晴らしい星夜が見られるのです。
井上 なるほど。たしかに室戸岬の夜空は素晴らしかったです。
慶應高校のプラネタリウム
五藤 今日はせっかくだからと、慶應高校にある五藤光学研究所製のプラネタリウムを前にお話ししています。1973年に作られたGS-8-S型ですが、普段は授業等でどのように活用されていますか?
松本 3年生に必修科目の地学基礎があるので、授業では日周運動や緯度による変化、天体の位置の表し方等の話をしています。"惑星の不思議な動き"もここで再現して説明するのですが、プラネタリウムが素晴らしいのは、平面で説明してもわからないことが即座に伝わるところです。天球が回ると、場所の違いや、時間ごと季節ごとの違いが簡単に伝わります。
プラネタリウムを一番使っているのは地学研究会の生徒たちですね。自分たちで番組を作り、自ら操作して上映しています。私も上映前にチェックし、間違いがあれば指摘したりしています。自分たちで操作したり議論したりしている様子は生き生きとしています。
五藤 そういう環境があるのは素晴らしいですね。プラネタリウム室はちょうど1クラスが入るくらいの大きさでしょうか。よいサイズ感です。
松本 70席あります。最近のドームは全天映像を上映するために傾斜のある空間が増えていますが、この部屋は同心円で床がフラットです。
五藤 傾斜が付いているのは映画館と同じで、皆が同じ方向に集中できるようにするための仕組みなのです。同心円は星空を学ぶために考えられた座席配置で、昔のプラネタリウムはこれが主流でした。この空間はほっとします(笑)。
松本 地学研究会では時々、他の高校の天文部をこの部屋に招いてプラネタリウム交流会を開いています。それぞれに番組を作り上映し合うのですが、地学研究会の生徒が操作卓の使い方を指導することもあります。
井上 いいですね。明石市立天文科学館でも、高校生が実際にプラネタリウムを解説する取り組みを行っています。やはり皆、喋るほうが楽しいらしくとても盛り上がります。
松本 横浜の「はまぎんこども科学館」で行われていた高校生による「青春☆プラネタリウム」も人気でした。各校の生徒たちが実際に番組を上映する企画で、以前、地学研究会も参加させてもらいました。
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