【その他】
【講演録】21世紀の"モラル・バックボーン" ──福澤における「自由」「幸福」「蛆虫の本分」
2025/07/11
3.福澤の自由論 ―福澤/ミル/バーリン
ここで、福澤の自由論について、その理論的含意とはどのようなものなのかという視点から、改めて、整理しておきたいと思います。
近代啓蒙思想家としての福澤諭吉は、洋学的知性を日本語に変換することに多くの努力を払った人物でした。仏教用語の自由(「自由自在」)が既に日本にも流入していたこともあり、福澤は、liberty/freedom の訳語として「自由」を選択し、これを広めました。これから分かるように、彼は、この訳出を通じて、古来よりわが国において「我儘放蕩(わがままほうとう)」を意味する言葉として流通を見ていた「自由」の意味の近代的転換を図ろうとしたのであります。福澤の自由の定義はシンプルです。『西洋事情』においては次のようにまとめられていました。
「自由とは、一身の好むまゝに事を為して、窮屈なる思なきを云う」(福澤②230頁)
しかし、これだけでは「自由」が「我儘放蕩」と同視されてしまうおそれがありますので、彼は両者の区別を提案します。すなわち、最初の方で引用しましたように、両者を分けるのは「分限」であり、それは、「天の道理に基づき人の情に従い、他人の妨げをなさずして我一身の自由を達すること」であり、結局、「自由と我儘の界は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり」と言うわけです。こうして、次のような整理に至ります。
「この自由の字義は、(中略)決して我儘放蕩の趣意に非らず。他を害して私を利するの義にも非らず。唯心身の働を逞(たくましう)して、人々互に相妨げず、以て一身の幸福を致すを云うなり。自由と我儘とは動(やや)もすればその義を誤り易し。学者宜しくこれを審(つまびらか)にすべし」(福澤②231頁)
福澤の自由の定式は、《近代自由論》、つまり自由をめぐる近代西洋の思考様式に通底するいくつかの特徴が見てとれます。
第一に、自由を《自己と他者の間の相互不干渉》と見る点が挙げられます。これは、福澤自身がその著作を通じて親しんでいたジョン・ステュアート・ミルの「危害原理」(harm principle)がおそらくは下敷きになっている。また、相互不干渉あるいは加害の相互抑制は、その反転として、《他者からの干渉の排除》を自由の核心と見るもので、この後紹介しますアイザイア・バーリン──福澤よりずっと後の20世紀の人物ですが──による整理に照らせば、バーリンが言うところの「消極的自由」の考え方に符合するものです。
第二に、自由であることは「以て一身の幸福を致す」と述べている点が注目に値します。古代から近代まで、自由と幸福は隣り合わせで論じられてきた歴史があります。この点、福澤は、《自由は個人に幸福をもたらす》ことを、ある意味当然視し、両者を直結させています。
福澤の自由論の第三の特徴は、《自由と独立の互換的使用》にあります。先に引きましたように、福澤は「また自由独立の事は、人の一身に在るのみならず一国の上にもあることなり」と述べ、『すゝめ』第3編では「一身独立して一国独立する」と宣言しています(福澤①33頁〔第3編〕)。《一身の自由の確立が一国の自由につながる》。そして、それはまた《一身の独立が一国の独立に直結する》ことを意味する、との定式が見てとれるわけです。福澤は、自由の観念を個人から国家統治までを通貫するものとして構想していたことが分かる。そして、「自由独立」という言い方を福澤がするとき、そこには「独立」と「自由」を同義に捉える視点、あるいは「独立」を「自由」の重要な一側面と見る考え方が垣間見えます。
さて、その「独立」ですが、この点、次のような福澤の言説が注目に値します。
「独立とは、自分にて自分の身を支配し、他に依りすがる心なきを言う」(福澤①33頁〔第3編〕)
ここに、福澤が「自由」すなわち「独立」を自己支配として理解していたことが示されています。自己支配とは、憲法や政治哲学で用いられる自己統治/自治(self-government)につながる広がりを持ちます。一身の独立を一国の独立と見た福澤においては、個人が自己支配をきちんとなすことは、一国が自己統治/自治を果たす際の前提となるはずです。要するに、福澤は、《自己と他者の相互不干渉》を自由と見る観点とは別に、《自己支配(= 自己統治/自治)》と見る観点も持っていた。そして、彼は、自己支配を個人の水準から政治共同体の水準にまで拡張し、両者を通貫する思想として捉えていた。自由を自己支配/自己統治/自治として理解する福澤の考え方は、これもバーリンの言う「積極的自由」の概念に相当するものです。
さて、このあたりで、バーリンその人に触れておきましょう。アイザイア・バーリンは20世紀中葉に活躍したイギリスの政治哲学者です。彼が1969年に公刊した『自由論』(Four Essays on Liberty)は、自由をめぐる最重要文献として現在でも常に参照されるものであります。特にその第三論文「自由の二つの概念」(Two Concepts of Liberty)が重要です。バーリンは、既に若干触れたように、自由を「消極的自由(negative liberty)」と「積極的自由(positive liberty)」に区分しました。「消極的自由」とは《他者の干渉の欠如》を指します。これは、「自分のする選択を他人から妨げられない」という自由で、《他者からの不干渉が確保されるべき領域はどこからどこまでか》という問いに対応するものです。これに対して、「積極的自由」とは《自己支配(self-mastery)》つまり、「自分が自分自身の主人である」という自由です。そして、こちらは、《他者からの妨げを受けない不干渉領域を誰が決めるのか》という問いに対応します。両者は言うまでもなく緊張関係にあり、バーリンは前者の「消極的自由」に重きをおきます。つまり、「自己支配とか言っているけれども、今の君は本当の君じゃないよ……」と言って近寄って来る他者がいつの間にか《自己支配》を《他者支配》に置き換えてしまうことを恐れたのです。
いずれにしても、バーリンの二つの自由概念は既に見たように福澤の自由論の中に設定されていました。ミルの危害原理、バーリンの消極/積極的自由概念、幸福と自由の関係、といった近現代の政治哲学が「自由」に関して巡らせてきた、あらゆる論点がすでに福澤の議論の中に用意されていたわけです。急いで付け加えますと、以上のような自由論の下敷きになっている思想こそ、本日の記念講演会に名を冠しているウェーランドの「モラル・サイヤンス」であります。その意味では本日この話をさせていただくのは、ウェーランド先生への恩返しでもあります。
ハナシを戻しますと、バーリンの著作が1969年ですから、そこから見て100年も前に福澤がそれらを語っていたことになります。私は、ここで彼の先見の明を称賛したいわけではありません。が、自由論に対する古代から近現代までのあらゆる言説を素材に自由論を書くことのできたバーリンと、そもそもそれに相応する概念すらなかった日本において、西洋の知見を参照したとはいえ、これだけの思考を深めていた福澤の慧眼には、やはり真の意味で「近代啓蒙思想家」の名称に値する眼力があった、ということだけは確認しておきたいと思います。
4.福澤の幸福論―実利教/怨望論/外的選好論
以上見たように、福澤は、自由を《侵さず侵されず》と定義し、もって幸福を致す(つまり、幸福が自由によって帰結する)と説きました。彼は、自由と幸福を結合させて考えていた。福澤にとっては、両者は同義であったわけです。
さて、福澤はしばしば「功利主義者(utilitarian)」と呼ばれます。当時の言葉で言えば、「実利教」の信奉者ということになるでしょう。彼は、ミルの『功利主義(Utilitarianism)』第5版(1874年)を読んでおり、その書きこみに「大幸福」とありまして、功利主義の一大テーゼであるところの《最大多数の最大幸福》という原理ももちろん知っていたでしょう(安西72-74頁)。
功利主義者は、各人の選好を相互に比較査定しません。幸福の良しあしを査定せず、等しく査定・集計します。確かに、福澤もそのようなところがあります。例えば、『学問のすゝめ』第13編において、「貪吝奢侈(どんりんしゃし)誹謗の類」また「驕傲(きょうごう)と勇敢」「粗野と率直」「固陋と実着」「浮薄と頴敏(えいびん)」はいずれも徳とも不徳とも断定できない。つまり、「何れも皆働きの場所と、強弱の度と、向かう所の方角とに由って、或いは不徳ともなるべく、或いは徳ともなるべきのみ」(福澤①135頁〔第13編〕)と言います。要するに、人間の各種欲望や選好を等しく扱うということです。そして、それらは、行為の結果次第で徳にも不徳にもなり得るという「帰結主義」が採用されます。
しかし、と福澤は言います。そのような価値の相対性を排し、断固として排除すべき情動ないし選好があると彼は言います。それが「怨望(えんぼう)」です。
「独り働きの素質において全く不徳の一方に偏し、場所にも方向にも拘わらずして不善の不善なる者は怨望の一箇条なり。怨望は働きの陰なるものにて、(中略)その不平を満足せしむるの術は、我を益するに非ずして他人を損ずるに在り。譬(たと)えば他人の幸と我の不幸とを比較して、我に不足するところあれば、我有様を進めて満足するの法を求めずして、却って他人を不幸に陥れ、他人の有様を下して、もって彼我の平均をなさんと欲するが如し」(福澤①135頁〔第13編〕)
福澤の論旨は明白であります。怨望は、その帰結ではなく、そもそもその「素質」において悪である。それは、自己の幸福を満足させるのではなく、他人の不幸を願うはたらきである、と彼は言うのです。たとえ、功利主義に出たとしても、その幸福の集計最大化にあたっては、「他人の不幸を願う」ような幸福は計算に算入してはいけないと言うことです。
ここでいきなり現代に話を飛ばせてください。いわゆる選択的夫婦別姓を求める声があります。最高裁で二度争われましたが、選択的夫婦別姓を認めない現行民法は憲法違反ではない、夫婦同氏制は合憲だという判断が定着しております。そんな中、草野耕一裁判官は反対意見を書き、選択的夫婦別姓を認めないのは憲法違反だと言いました。ちなみに草野裁判官は、東大をご卒業後、大手渉外法律事務所のパートナー弁護士であると同時に本塾ロースクールの教授もお務めになり、最高裁入りした方です。そして、根っからの功利主義者です。
さて、草野反対意見も、次のような功利主義的なものでした。いわく、選択的夫婦別姓を導入したところで、誰も不幸にならない。同氏を求めるカップルは従来どおり婚姻できるし、別姓を求めるカップルも晴れて婚姻ができるようになる。要するに、幸福の社会的総量は増えるだけで、決して減少することはない。しかるになぜ、法改正されないのだろうか。草野裁判官は、その理由として政府が挙げる、子の福利、家族の在り方に関する麗しき伝統、等を取り上げ、逐一論破していきます。
この草野反対意見の問題提起に私なりの回答を試みるとこうなります。皆が幸福になり、社会の幸福の総量が増加するにもかかわらずなぜ選択的別姓が実現しないのか。この疑問に対するあり得るひとつの応答は、《他者の幸福を望まない人々がいる》というものです。つまり、"自分は夫婦同氏を選ぶが、他者にもそれを選んでほしい"、"他者に夫婦別氏を選んでほしくない"、といった選好の充足を願う一群の人々がいるということです。これは、《自分はこうしたい》ではなく、《他者にこうしてほしい》《他者にはこうしてほしくない》という選好であり、外的選好(external preference)と呼ばれています。"他者に別氏を選択してほしくない(あるいは同氏を選択してほしい)"と望むのは、"同氏を選ばない人は結婚してもらいたくない、別氏を選ぶ人は結婚できなくてかまわない"ということと同じであって、婚姻がスバラシイものであればあるほど、この外的選好は、"別氏選択者には幸福になってもらいたくない"という選好を含意することになるでしょう。要するに、《別氏にこだわる人は不幸なままでいてほしい》という、常人には理解できない歪んだ選好です。このような外的選好を功利計算から排除すべきことは、かつて法哲学者のロナルド・ドゥウォーキン(Ronald Dworkin)が説いたところですが、まさに、福澤が説いた本質的悪である「怨望」排除論は、《他者の不幸を願う情念》を功利計算から排除すべしとする、草野+ドゥウォーキンの「外的選好」論と同型の議論をしていることになるのではないでしょうか。
このように、仮に福澤を功利主義者と見るにしても、その帰結主義的論理は一貫しておらず、怨望排除論がある種の"義務論"として顔を出しています(功利主義は哲学的には"目的論"に属し、"義務論"とは対抗的な立場です)。この点、丸山眞男が指摘するように、福澤を捉えるには功利主義か義務論かという見方よりも、プラグマティズムの人と見るほうが適切かもしれません(丸山81- 82頁)。帰結主義にせよ、義務論にせよ、机上の計算でなく、また観念的な道徳論でもなく、ともかく現実にその実用性を実験テストしてみるべし、と考えるのが福澤の真骨頂かもしれません。いずれにしても、近現代の自由論の諸論点をすでに網羅的に用意していた福澤。功利主義、義務論、プラグマティズムという現代においても有効な思想哲学のさまざまな相貌を見せる福澤。そのような福澤こそ、まさに《自在の人》と呼べるでしょう。
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