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【講演録】近代日本の翻訳文化と福澤諭吉──『学問のすゝめ』150年を記念して

2023/04/21

阿部泰蔵の翻案の方針

ここで簡単に、福澤先生の門下生、阿部泰蔵が訳した『修身論』の場合をご紹介したいと思います。『修身論』は1874年に文部省から出版されたのですが、実はウェーランドの「モラルサイヤンス」の中学生向け簡略版の翻訳書です。先ほどお話ししましたように、ポルトガル人のロドリゲスなどの宣教師たちは日本人にキリスト教徒になってもらうために、神を訳さずに「デウス(Deus)」のまま表現することがよいという結論に至りました。しかし明治期の翻訳では、キリスト教に興味のない日本人にアメリカなど西洋文明国の倫理(政治・社会・経済)を教えるため、キリスト教抜きの翻訳が必要だったのです。日本の小学生たちに「神様が言ってるんだから」とか「聖書に書いてあるから」と説教しても話が分かりませんし、説得力は皆無に等しい。だから阿部泰蔵は江戸時代の仮名草子の翻訳本のようにキリスト教的な内容をごまかして翻案の方針を打ち立てたのです。

つまり、God を「天」と訳し、Jesus を「聖人」や「先賢」と訳し、Bible を「古書」や「経典」と訳した。そして、Devil を「鬼」と訳して、肝心なところを残しながら本の中身を日本文化に同化させ、日本の子どもたちが話を聞いても違和感、抵抗感を抱かない内容にしたのです。

例えば「良い子どもでないと天罰が当たるぞ。昔の偉い人がものすごい本を書いてこんなこと言ってるんだから、みんなもそうしなければならない」のような説明を児童たちにすれば多少なりとも説得力があったはずです。原文ではGod が果たしていた機能を訳文では「天」が果たすことになったという意味では、先ほど紹介した米国人ナイダの動的等価が役立っていると言えるでしょう。もちろん本当はそんなに単純なものではありませんが、大体そんな形で翻訳が行われていたわけです。

日本の翻訳文化の発展

福澤諭吉の影響もあって「モラルサイヤンス」は日本で短期間にものすごく普及し、数年間で10人以上もの人たちが自分なりの方法でその簡略版を訳して、ほぼ同時に出版していたのです。例えば慶應義塾出身の平野久太郎という私塾教師は直訳を試みて、当時の日本人にとっては予備知識がなければ非常に難しい翻訳書として出しました。彼の想定した読者は、片手に原書を持って日本語を読みながら英語を理解する目的を持つ人々でした。

一方、大学南校(現・東京大学)出身の山本義俊という別の私塾教師は、自分の解説を交えながらキリスト教を仏教にたとえて、読者に原書の説明を提供しました。彼の目的は、文化仲介者として日本人にキリスト教はどのような宗教でアメリカはどのような国であるかを紹介することでした。このように江戸時代のイソップ物語のように、翻訳の目的や読者層を違えて異なる翻訳の戦略を打ち出し、同じ原書に対して複数の翻訳本を世に出すことが近代の日本でも時々行われていたのです。

このような翻訳の文化は文学の翻訳においても同じです。ご存じのように1880年代からは日本では世界文学の翻訳が非常に盛んになっていきます。その中で同じ作品が、いわゆる原文重視の直訳と訳文重視の意訳でほぼ同時に出版されることもありました。

例えばイギリス生まれのアメリカ人のバーネット夫人による児童向け小説Little Lord Fauntleroyという有名な作品があります。日本語のタイトルは『小公子』、お坊ちゃんみたいな意味ですけれど、1890年頃に2種類の翻訳本が出てきます。

1つ目は有名な教育家の若松賤子(しずこ)による直訳で、もう1つはジャーナリストの山縣五十雄(いそお)による翻案です。最近の研究論文によれば、賤子による直訳は原作にあるフェミニズム的な内容を日本語でも取り入れていますが、山縣五十雄の翻案はそういうところが完全に抜けてしまっており、男子向けの物語になっていることが明らかです。

また、慶應義塾出身で翻訳王と呼ばれている森田思軒(しけん)は、日本語で不自然であっても忠実な一字一句の逐語訳を目指す周密文体というスタイルを生んで次世代に残しました。

一方、慶應義塾中退の黒岩涙香は翻案小説を百作品以上出版したことで知られています。例えばフランスの名小説『モンテ・クリスト伯』を『巌窟王』というタイトルで翻訳して、舞台はヨーロッパのままにしながらも登場人物の名前を日本人に親しみやすいようにしました。例えば主人公のエドモン・ダンテスを漢字で団友太郎と訳したのです。

ちなみに近年の映画化であらためて話題となった『レ・ミゼラブル』は、森田思軒に翻訳され、黒岩涙香にも翻案されています。世界文学の翻訳の話をし出したら切りがないので、これくらいにしたいと思いますが、最後に1つだけ付け加えておきます。

なるべく話し言葉に近い形で文章を書こうという言文一致運動が流行していた中、ヨーロッパ文学の翻訳などの影響で、日本語の語彙だけでなく文法にも大きな変化がもたらされました。同時に、日本語の表現の移り変わりは早かったので、翻訳文学には必ず賞味期限があり、定期的に再翻訳が求められていました。このように日本では翻訳活動と国語のあり方はお互いに影響し合う関係にあります。このような事実は他の国ではなかなか見られないものです。その関係もあって、日本では世界文学の大人気作品は何度も新訳が出ています。『ピノキオ』『海底二万里』『不思議の国のアリス』『カラマーゾフの兄弟』『赤毛のアン』、それから最近は『星の王子さま』。全ておよそ10から20種類の日本語訳が存在します。これもまた世界的に見ても比類のない日本独特の翻訳の文化と言えるのではないでしょうか。

福澤諭吉のことば遣い

さて、話が長くなりましたがそろそろ結びです。福澤諭吉の翻訳に関する考え方は、1896年に刊行された『福澤全集緒言』で分かります。例えば難しい漢字や文体を使わずに、なるべく日本の大和言葉と現在の口語体に近い易しい文体をいつも試みていたという事実を確認することができます。教育のない百姓でも町人でも、家事手伝いの娘でも、たまたま障子越しに福澤の作品の話を聞いたとしても問題なく理解できるような表現を目指していたのは「自分の文章は最初より世俗と決心し、世俗通用の俗文をもって世俗を文明に導く」ためだったと、自ら説明しています。

また、「バターのように柔らかい」という比喩的な表現が出てきたら、日本語では「味噌のように柔らかい」と訳した方が良いと言っていました。翻訳論から考えて、確かに意味が正しく通じれば、直訳より意訳や翻案の方が原文に忠実であると言える場合があります。

「自由」などという翻訳語に関する話ですが、5年前に他界された翻訳研究者の柳父章(やなぶあきら)さんは、『翻訳語成立事情』という本の中で次のように福澤諭吉を評価されていました。「福澤諭吉は、日本の現実の中に生きている日本語を用いて、ことば遣いの工夫によって、新しい異質な思想を語ろうとした。そのことによって、私たちの日常に生きていることばの意味を変え、またそれを通して私たちの現実そのものを変えようとしたのである」。

幕末維新の日本人は鎖国という長い時代の直後に、一体なぜあれだけ上手に数多くの外国語を日本語に訳して西洋文明を日本に導入する近代化への道を開くことができたのでしょうか。評論家の加藤周一によれば、江戸時代の日本の文化と社会がかなり進んでいたからだけでなく、蘭学という学問と漢文訓読という翻訳方法があったからです。柳父章も、漢文訓読体を翻訳用の「もう一つの日本語の書き言葉」と位置づけながら、世界の中で珍しい、「日本人が育ててきた独特の翻訳方法」であると評価していました。

漢文訓読は今のふりがなの文化にある程度まで引き継がれていると私は思います。例えば、映画やテレビの字幕でも、たまに漢字にカタカナ表記の外国語がルビで振られていることがありますね。一例を挙げますと、英語で同じrightであっても、時には「権利」、時には「右」、時には「正しい」などの異なる意味で使うことから、映画では言葉遊びや登場人物の勘違いという場面設定を作ることができます。そういう時、日本語の字幕では、それぞれ異なる漢字の訳語に毎回カタカナで同じ「ライト」というルビを付けることで、日本語では違っていても英語では同じ単語が使われていることを視聴者に伝えることができます。

このように、奈良時代に生まれたと言われる漢文訓読の文化は現在の海外ドラマや映画の字幕の翻訳にまで引き継がれ、日本特有の翻訳の文化として生かされていると言えるのではないでしょうか。

今回は近代日本の翻訳文化がテーマでしたが、最後に皆さまと共有したい目から鱗が落ちる豆知識があります。日本は極東の小さな島国で、異文化を受け入れようとしない閉鎖的な社会であり、外国語会話が苦手で国際社会では活躍しにくい民族性を持っているといった話を耳にすることがありますね。しかし、実は国連ユネスコの翻訳図書専門データベース「Index Translationum」の調査によれば、日本はドイツ、スペイン、フランスに次いで世界で4番目に翻訳書の出版が多い国です。日本人は150年たってもまだまだ演説が苦手なようですけれど、それを改善しながら世界の中でこんなにも優れた翻訳の文化をつくり上げてきたことを誇りに思って、どんどん世界に発信していけば、それは素晴らしいことではないでしょうか。

以上です。ご清聴有り難うございました。

(本稿は2022年12月20日に三田演説館で行われた第711回三田演説会での講演を元に構成したものである。福澤諭吉の著作については『福澤諭吉著作集』(慶應義塾大学出版会)より引用した。)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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