三田評論ONLINE

【その他】
【講演録】近代日本の翻訳文化と福澤諭吉──『学問のすゝめ』150年を記念して

2023/04/21

  • アルベルト・ミヤンマルティン

    慶應義塾大学経済学部准教授

皆さま、こんにちは。ご紹介にあずかりましたアルベルト・ミヤンマルティンと申します。どうぞよろしくお願いいたします。本日は、三田演説会でお話をさせていただけることを大変光栄に思っております。

私は大学院生の時から明治時代の日本の翻訳事情の研究を始め、その中で福澤諭吉という人物と『学問のすゝめ』という作品に出合いました。その『学問のすゝめ』の第8編の冒頭で、アメリカの教育者フランシス・ウェーランドとその書物「モラルサイヤンス」(The Elements of Moral Science 『道徳科学要論[道徳科学綱要]』)が言及されています。私はこの書物の翻訳書として福澤先生の門下生、阿部泰蔵が文部省から出版した『修身論』という教科書を研究しています。この『修身論』の中でキリスト教の「神」の訳語として使われた「天」は、『学問のすゝめ』の冒頭に出てくる「天は人の上に人を造らず」の「天」とつながると思っています。

さらに最近では、本塾福澤研究センターの西澤直子教授と一緒に『学問のすゝめ』の土台となっていると思われる「中津留別之書」という作品を再検討し、その多言語出版(“A Message of Farewell to Nakatsu” by Fukuzawa Yukichi: Multilingual Edition with Commentaries in English and Japanese 『「中津留別之書」―多言語で読む福澤諭吉』慶應義塾大学出版会)などに携わってきました。

今年(2022年)は『学問のすゝめ』初編刊行から150年ということで、この三田演説会でお話をするご依頼をいただいた時、せっかくなので何か記念になるような形で皆さま方に披露できるお話ができないかと思いました。それで私の研究テーマである近代日本の翻訳文化と福澤諭吉の『学問のすゝめ』を併せて本日の内容を組み立ててみました。

「speech」と「演説」

日本では公の場で大勢の人が集まって人の話を聴く習慣は昔からあまりなかったようです。「それはいけない、日本人も人前で話して自分の思いを伝え、自分の考えを主張し、反論を怖がらずに意見交換を行う習慣を身に付けなければならない」と考えたのが、ほかならぬ福澤諭吉でした。そのために明治7(1874)年に演説や討論を学ぶ場として三田演説会を組織し、翌年、この演説館を建てます。福澤諭吉はそのとき40歳で、偶然にも今の私と同じ年齢です。

皆さまもご存じかと思いますが、「演説」という言葉は、英語の「speech」を訳すために福澤諭吉によって作られた日本語、いわゆる翻訳語です。まず、この「演説」という翻訳語について『学問のすゝめ』第12編「演説の法を勧むるの説」の中に説明がありますので、ご紹介したいと思います。

演説とは英語にて「スピイチ」と云い、大勢の人を会して説を述べ、席上にて我思う所を人に伝るの法なり。我国には古よりその法あるを聞かず、寺院の説法などは先ずこの類なるべし。西洋諸国にては演説の法、最も盛にして、政府の議院、学者の集会、商人の会社、市民の寄合より、冠婚葬祭、開業開店等の細事に至るまでも、僅に十数名の人を会することあれば、必ずその会に付き、或は会したる趣旨を述べ、或は人々平生の持論を吐き、或は即席の思付を説て、衆客に披露するの風なり。この法の大切なるは固(もと)より論を俟(また)ず。

日本には、お寺のお坊さんの説教以外は西洋諸国のスピーチの文化に当たるものはないという話ですが、『学問のすゝめ』から150年たった今、日本人もスピーチの文化が大好きな国民になったのではないかと思います。

例えば結婚披露宴や歓迎会や送別会、新年会や忘年会、同窓会などでは日本でもスピーチをする習慣がありますね。ただ、それはほとんどの場合、あくまでも挨拶の言葉に過ぎないようです。福澤先生が説いたように、演説者が持論を述べたり、即席の思い付きをしゃべったりすることはほとんどありません。

しかし、面白いことに、今の日本語ではカタカナ語の「スピーチ」という言葉は、結婚式などのスピーチ文例集という種類の書物があるように、限りなく挨拶に近い意味で使われているのではないでしょうか。一方で、レトリックに訴えながら自分の考えを主張するという本当の意味でのスピーチは、日本語では漢語の「演説」を使うことが多いような気がします。政治家の街頭演説などがその事例でしょう。つまり英語のspeech の本当の意味は、軽薄なカタカナ語の「スピーチ」ではなく、重みのある漢語の「演説」に宿っていると私は思っています。ちなみに、日本語の演説は、今は逆にpublic speaking と英訳されることが多いようです。この演説館も英語でPublic Speaking Hall となっています。

演説という新しい概念が『学問のすゝめ』の中で大きな役割を果たしているのは第17編「人望論」の中の話にあります。福澤諭吉は、ここで人間社会において活動をしながら多くの人と関わりを持って世間について見識を広めるためには、3つの条件が必要であると述べています。その1つ目が演説の能力です。

第一 言語を学ばざるべからず。文字に記して意を通ずるは固より有力なるものにして、文通又は著述等の心掛も等閑(なおざり)にすべからざるは無論なれども、近く人に接して直(ただち)に我思う所を人に知らしむるには、言葉の外(ほか)に有力なる者なし。故に言葉は成る丈け流暢にして、活潑ならざるべからず。近来世上に演説会の設(もうけ)あり、この演説にて有益なる事柄を聞くは、固より利益なれども、この外に言葉の流暢活潑を得るの利益は、演説者も聴聞者も共にする所なり。又今日不弁なる人の言を聞くに、その言葉の数、甚だ少なくして、如何にも不自由なるが如し。譬(たと)えば学校の教師が訳書の講義なぞするときに、円(まろ)き水晶の玉とあれば、分り切たる事と思うゆえか、少しも弁解を為さず、唯むずかしき顔をして子供を睨み付け、円き水晶の玉と云う計(ばか)りなれども、若(も)しこの教師が言葉に富て云い舞〔回〕しのよき人物にして、円きとは角の取れし団子の様なと云うこと、水晶とは山から掘出す硝子(ガラス)の様な物で、甲州なぞから幾らも出ます、この水晶で拵(こしら)えたごろ〳〵する団子の様な玉と解き聞かせたならば、婦人にも子供にも腹の底からよく分るべき筈なるに、用いて不自由なき言葉を用いずして不自由するは、必〔畢〕竟演説を学ばざるの罪なり。

この『学問のすゝめ』の最後の第17編は明治9(1876)年11月に世に出ていますから「近来世上に演説会の設あり」とは福澤先生が自ら組織したこの三田演説会のことを含めて述べていることは言うまでもないでしょう。

日本語には「聞くは一時の恥 聞かぬは一生の恥」ということわざがあります。にもかかわらず、ほとんどの学生は、学校の先生が「円き水晶の玉」のような難しい言葉を使っても、「先生、それはどういう意味ですか」と質問するのを遠慮してしまうのです。福澤諭吉は啓蒙思想家というだけではなく現場で教える教育者でもありましたので、そういうところをよく理解しており、最初から相手にとって分かりやすい話をしましょう、と主張していました。

ちなみに、私も小学生の時、スペインで同じことわざを先生から聞いたことがあります。「質問したら5分の間ばかと思われる。けれど、質問しなかったら死ぬまでばかのままだ」というものです。先日、インターネットで調べたら、私が聞いたものとまったく同じ文言が中国のことわざとして紹介されていました。まるで福澤諭吉が翻訳したかのようでインパクトもありますね。

自国の言葉に習熟することの重要性

さて、この17編の中には話が下手な学校の先生の次に学生の事例も出てきます。

或る書生が日本の言語は不便利にして文章も演説も出来ぬゆえ、英語を使い英文を用るなぞと、取るにも足らぬ馬鹿を云う者あり。按(あん)ずるに、この書生は日本に生れて、未だ十分に日本語を用いたることなき男ならん。国の言葉は、その国に事物の繁多なる割合に従て次第に増加し、毫(ごう)も不自由なき筈のものなり。何はさておき、今の日本人は今の日本語を巧(たくみ)に用いて弁舌の上達せんことを勉むべきなり。

つまり、国内の様々な事情が洗練されて複雑になればなるほど、その国の言語の語彙数が増える。だから、その国の言葉で表現できないものなどはないはずだということです。だから、話を上手にできるようになるためには、まずは日本語を勉強しましょうということです。もしかしたら皆さまの中には、今どきの若者は日本語の能力、国語力が落ちていると思っている方がいらっしゃるかもしれません。しかし、皆さま方も自分たちの親世代からは全く同じことを思われていませんでしたか。

ちなみに、私はバルセロナ自治大学の翻訳通訳学部出身ですが、専攻した言語はスペイン語です。スペイン人なのに1年生と2年生のときはスペイン語Ⅰやスペイン語Ⅱのような必須科目を履修していました。なぜなら、翻訳・通訳の専門家になるためには、まずは自分の国の言葉をきちんと修めなければならないからです。

その次に外国語の専攻として英語、副専攻として日本語を取りました。日本語の勉強は漢字を含めて大変でしたが、交換留学で初めて来日したら友達ができまして、「すごい」「やばい」「まじ」という3つの言葉で、ほとんどの会話を乗り切ることができました(笑)。「すごい」「やばい」「まじ」は、日本で同い年の友達とコミュニケーションを取るための3種の神器でした。

そのほぼ20年後、私が覚えた日本語は日本人なら誰でも分かると思ってしまい、講義やゼミで学生には通じていないと気付かないまま難しい言葉を使ってしまうことがあります。教壇に立っている同業の人は同じような経験があるのではないかと思います。福澤先生が言われた、「言葉に富て言い回しのよき人物」になって、public speakingが上手くなりたいものですね。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事