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【講演録】近代日本の翻訳文化と福澤諭吉──『学問のすゝめ』150年を記念して

2023/04/21

ロドリゲスの翻訳論と仮名草子の翻案文化

鎖国の政策が始まる少し前に、ポルトガル人ロドリゲスによる『ロドリゲス日本大文典』という日本語文法の書物が出版されました。その中で日本語への翻訳を行う際に注意すべき点について、いくつかのアドバイスが述べられています。同じポルトガル語の単語であっても文脈によって異なる日本語の単語を使う必要があるということ。それから、文字どおりの逐語訳ではなく話の流れで意味をくみ取った翻訳を成す必要があることです。

例えば、ポルトガル語やスペイン語では「イエスキリストはあまりにも人間を愛したため、人間のために十字架にかかって死のうと思った」という文言から、思っただけではなく、結果として実際に死んだと読み取れます。

一方、日本語でそれを「死したく思召す者也」と直訳すると、死のうと思ったものの死ななかった、という意味に捉えられる恐れがありますので「死に給う者也」と実際に「死んだ」を意味する表現を使って翻訳すべきであるとロドリゲスは主張しています。つまり、宗教の神聖な話でも外国語の言い回しをそのまま直訳するのではなく、日本語で正しく理解できるように意訳しなければならないという、近世の時代においては斬新的な考え方です。

さらに、宗教関係の言葉はそれまで日本になかった新しい宗教であることを分からせるため、日本の言葉に訳さずにポルトガル語やラテン語をそのまま仮名の文字にして使うべきだと言っています。その背景には、ザビエルの有名な失敗のエピソードがあると思われます。ご存じのように、ザビエルは通訳のアンジロウに勧められてキリスト教の唯一の神を意味するDeusを日本語で大日如来の「大日」と訳してしまい、仏教の話をしていると勘違いされたのです。

ちなみに、ほとんど語られない事実ですが、大日如来の「如来(様)」は俗語で下ネタ的な意味もありましたので「大日を拝みなさい」と言うザビエルたちは庶民に笑われたこともあったそうです。だから50年後のロドリゲスは、Deusをはじめキリスト教の固有名詞や専門用語は訳さないでそのまま外来語として使うべきだと主張したのです。

この時代に仮名草子という庶民に普及しやすい出版物が現れます。日本固有の作品もありましたが、中国語の物語を日本語にした翻訳本が特徴的です。かつては日本語の文献の理解はほとんど漢文訓読で行われていましたが、このときから仮名交じり文などの日本語独特の表記の資料が全国各地に広がります。その中には『三国志演義』や『水滸伝』などの中国由来の翻訳作品以外にも有名なイソップ物語があります。日本では漢字の『伊曾保物語』という名前で知られ、少なくとも2つのバージョンがあります。

1つは、いわゆる天草版です。これは今の熊本県の天草の島でクリスチャンによって出版された活字本です。日本語を勉強している宣教師などを対象とした翻訳のためローマ字が使われただけでなく、当時としては非常に珍しい日本語の口語体で書かれた書物です。今でも近世の日本語の話し言葉を研究するために非常に貴重な文献です。

それとは別に完全に日本人向けの翻訳本も出版されました。こちらは直訳だった天草版と違い、翻案されたものです。異文化の難しい内容は意訳され、場合によって物語の舞台も日本に再設定されました。登場人物がいかにも日本風の挿絵も入れられ、『論語』や『平家物語』への言及すらありました。また、原文にはないのに結末に「天罰」という表現が使われている教訓を取り入れる寓話もあります。

このような翻案の仮名草子は人口に膾炙して非常に普及しました。もちろん、その普及の背景には江戸時代の大衆向けの豊富な出版文化と一般庶民の高い識字率があります。この『伊曾保物語』の2つのバージョンを比較して、おそらく日本で初めて、いわゆる「直訳」と「意訳」の異なる訳し方の方針に気付くことができます。

蘭学者たちの翻訳の工夫

江戸時代は通詞(つうじ)と呼ばれる人物たちの時代でもあります。長崎の出島に置かれた通訳兼商務官という世襲の職務です。彼らは主に貿易の仕事を担当する中でオランダ人や中国人との限られた交流を通じて日本国内に国際情勢などを伝え、同時に、科学、技術、軍事や医学関係の文献を翻訳して、日本に先進的な文化を導入していきます。そのうちポルトガル語が廃れ、代わりにオランダ語が外の世界を知るための窓になっていきます。さらに幕末になりますと、開港された横浜や箱館(函館)などでも通詞は大活躍します。

江戸時代はもちろん蘭学の時代でもあります。多くの蘭学者は医者でもありまして、その中でももっとも有名なのが杉田玄白です。彼は原文ドイツ語のオランダ語訳から日本語に訳した解剖学の傑作『解体新書』の中で、西洋医学の用語を訳すために新しい漢字熟語を作ったことでよく知られています。例えば英語のnerveに当たるオランダ語zenuwを訳すために、精神力を意味する「神気」と漢方の「経脈」を組み合わせて「神経」という単語を作りました。また、現在の言語学分野では翻訳借用と呼ばれる方法に訴えて、西洋語から文字どおり直訳して「門脈」という語を創造しました。英語portal veinと比べても一目瞭然でしょう。

一方、もう1人の蘭学医、宇田川玄真は医学用語を訳すために中国には存在しなかった新しい漢字を作ったことで知られています。例えば涙腺や前立腺の「腺」は体液が湧き出ることから部首のにくづきに泉を付けて造字したものです。他に膵臓の「膵」もラテン語の語源まで考慮して日本語で初めて作られた、いわゆる国字です。このように工夫して新しい漢字を作ったり、既存の漢字を組み合わせて新しい熟語を作ったりすることで、蘭学者はボキャブラリーを増やして日本語という言語を変えていきました。

幕末維新になっても、翻訳に携わった啓蒙思想家たちは蘭学者の多くの訳語と翻訳のテクニックを踏襲しました。それとは別に漢訳洋書から引き継がれた翻訳語もありました。漢訳洋書とは文字どおり、中国語に翻訳された西洋諸国の書物で、多くは日本にも普及していたのです。

日本の近代化のためには西洋諸国の知識が必要でした。富国強兵や殖産興業に必要な科学や技術だけではなく、他国との交流や日本社会の進歩のために、政治、経済、法律、哲学、地理、歴史、美術、文学など、あらゆる分野について学ぶ必要が生じたのです。五箇条の御誓文に掲げられた「智識を世界に求め」るためには、言うまでもなく、外国語の理解と翻訳が必要不可欠でした。

それから翻訳するために英語、フランス語、ドイツ語などの外国語の概念を表すために、日本語でも新しい単語を作ることが緊急の課題となりました。福澤諭吉や加藤弘之は幕末から翻訳の先駆者でしたけれども、その他に小幡篤次郎、津田真道、中村正直、箕作麟祥、それから誰よりも西周(あまね)という啓蒙家が明治初期に多くの翻訳語を作っていくのです。

外国語の概念をどう翻訳するか

日本の近代と翻訳の関係を論じた加藤周一によりますと、明治初期に行われた外国語の概念を翻訳する方法は、主に次の4種類に分けることができます。

1つは、蘭学者の訳語の借用です。先ほど説明した「神経」や「腺」をそのまま使い続けることです。他に元素の水素や炭素があります。

2番目は先ほど言及した漢訳洋書からの訳語の借用です。例えば法学者の箕作麟祥はフランスの民法を訳した時に、「権利」という単語を『万国公法』という有名な本から引っ張り出したと認めていたそうです。この『万国公法』はイギリス人のヘンリー・ホイートンが書いた国際法解説書の中国語訳です。中国語から借りられた翻訳語としては、他に「銀行、保険、化学、代数、幾何」などがあります。

この2つの方法は既に存在した翻訳語を借りて普及させる方法でしたが、次の2つが最も盛んに行われた方法で、当時の日本人の秀でた才能が窺えます。

3番目が古典漢語の転用です。つまり既に存在していた昔ながらの漢字熟語に西洋の概念という新しい意味を充てるという方法です。この中には、「文学、文化、文明、経済、福祉、観念、自然」などがあります。

これらの単語は今の国語辞典で調べても、もともとの意味が載っていることが多いです。例えば言葉の定義を一番古い意味から並べる『広辞苑』で「文学」を調べてみますと、最初の意味として、「学問。学芸」などが出てきまして、literatureの翻訳語としての意味は2番目になって出てきます。「文化」に関しては最初に「文徳で民を教化する」ことの意味が載っています。2番目に「世の中が開けて生活が便利になること。文明開化」の意味が出てきて、cultureの翻訳語としての定義は3番目になります。それから一番有名なものとして、福澤諭吉が広めたとされているlibertyやfreedomの翻訳語としての「自由」については後ほど触れたいと思います。

4番目に日本独自の造語、和製漢語と呼ばれるものがあります。蘭学者がやっていたことと同じですが、「哲学、主観、定義、抽象、常識、悲劇、冒険、警察、郵便」などがあります。ちなみに「権利」は、箕作麟祥による中国語からの借用とは別に、西周も自律的に同じ熟語を作ったという説があります。西周は「哲学」をはじめ「知識、意識、芸術、技術、科学」、それから心理学のような「〇〇学」という和製漢語を数百も作ったと言われています。現在の私たちには、彼が残してくれた翻訳語を使わずに日本語で知的な会話をすることはなかなかできないでしょう。

明治初期に日本で作られた多くの翻訳語は後に近代化を始めた中国に逆輸入され、朝鮮半島やベトナムにまで広まりました。ちなみに西周は、最初は仮名と漢字を廃止して国語のローマ字表記を推進した論者の1人です。それなのに彼は結局、日本語の漢字文化に多大な貢献をしたことは面白いですね。

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