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【講演録】近代日本の翻訳文化と福澤諭吉──『学問のすゝめ』150年を記念して

2023/04/21

「創造主」の訳語としての「天」

とにかく、翻訳・通訳のプロになるためには、まずは自分の国の言葉をきちんと修めなければならない。幕末、明治に翻訳に携わっていた者は、何よりも日本語が上手でした。その中の1人はもちろん福澤諭吉でした。

例えば『学問のすゝめ』の冒頭にある「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という文章は日本人なら誰でも知っている名言ですが、元の文章は、それに続いて「と云えり」とある。つまり「と言われている」ですから、何かの文献からの援引だと考えられています。その文献とは定かではありませんが、アメリカの独立宣言だという可能性が何度も指摘されてきました。英語圏では非常に有名な言葉ですが、「独立宣言」の該当箇所を引用しておきたいと思います。

We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty and the pursuit of Happiness.

「われわれは次の真理を自明のことと信じています。全ての人は生まれながらにして平等につくられ、侵されざるべき特定の権利を創造主より与えられています。その権利の中には、生命、自由、そして幸福の追求が含まれています。」

日本語は私の直訳ですが、「創造主」と訳したところは、英語でCreator と言っています。ご存じのようにキリスト教においては、創造主あるいは造物主と、それによってつくられた被造物の考え方があります。

ただし、日本では人間は神のような存在によってつくられたという考えは昔からほとんどありませんでした。人は皆生まれながら平等であるという意味を伝えるために、日本には、その根拠を求めるところがなかなかありません。そもそもキリスト教圏では昔から神の存在やその役割に対して議論が続いていますが、現在では、自由や平等や人権などを主張する際に「それは神様が定めたものだから」と言うことはほとんどないでしょう。

一方、『学問のすゝめ』で福澤諭吉が創造主の訳語として選んだ「天」は、当時も今も個人的な宗教観を問わず日本人の誰もが何となく理解し、受け入れられる概念でしょう。例えば皆さんが日常生活の中で「天」の話をなさることはほとんどないと思いますけれど、「天罰」や「天職」、「天災」や「天才」などの言葉は今も使われていますね。

また、「天然」は自然の同義語とされていますが、天然パーマというのは、まさに天に与えられたパーマという意味ではないでしょうか(笑)。一方、天然ボケというのは天から与えられたボケということではなく、おそらくわざとボケをかましているのではなくて自然にボケてしまいながら本人は気付いていないということですよね? また、「天は二物を与えず」はまさに天賦人権につながりそうな表現ですが、慶應で教えていますと文武両道でとても優秀な学生さんが多くいて、音痴でスポーツが苦手な私からすれば天は二物を与えているではないかと思うことがしばしばあります。

ちょっと脱線してしまいましたが、『学問のすゝめ』の前にも福澤は『西洋事情』でアメリカ独立宣言を訳しています。その中でも「天が人を生ずる」という表現を使っています。

また、all men という言葉は、それは全ての男性ではなくもちろん「全ての人」に直す必要があります。それから、all men are created equal ですが、世の中に全く同じ人間は双子でもドッペルゲンガーでもいないはずです。このequal は今は平等と理解されていますが、明治初年に今と同じ意味の「平等」はまだ普及していませんでした。「同等」のような言葉を使っても何が同等だと言いたいか分かりません。だからall men are created equalを「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と訳したのは言語学者から見てもまさに天才的で、歴史に残る名言です。

各国の翻訳文化の歴史

近代日本の翻訳文化の中での福澤諭吉の役割について触れていきたいと思いますが、その前に、歴史の中で国によって様々な翻訳の文化が現れてきたことに注目しておきたいと思います。

例えば私が生まれたスペインには、12世紀前半から13世紀末にかけて、トレド翻訳学派という学者集団がありました。その当時のトレドはレオン=カスティーリャ王国の首都で、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教という3つの文化が共存し、それぞれの信者たちは一緒に暮らしていました。トレド翻訳学派の翻訳者たちは宗教が違っても協力し、イベリア半島ではアラビア語訳しか残っていなかった多くの古典文献をラテン語などに翻訳しました。そのおかげで、アリストテレスの哲学、ユークリッドの数学、プトレマイオスの天文学、ヒポクラテスの医学などがピレネー山脈を越えて西洋諸国に伝播し、ロジャー・ベーコンやトマス・アクィナス、コペルニクスにまで影響を及ぼしたのです。

また、ドイツでは中世から聖書の翻訳をめぐって様々な思想が生まれてきました。まず16世紀に、宗教改革者のマルティン・ルターは定番のラテン語訳からではなくヘブライ語やギリシア語の原典から聖書の翻訳を行いました。さらに、知識人のためだけの逐語訳の硬い文章ではなく、一般庶民にとって分かりやすい自然なドイツ語訳を試みたのです。しかしながら20世紀になりますと、2人のユダヤ系哲学者がなじみのないヘブライ語風のドイツ語訳を目指して、わざと昔ながらの硬い文章にしたのです。これは現在のドイツではない、はるかかなたの世界の古き時代の話であることを現代の信者に実感させようとした試みです。

その次に、アメリカで言語学者のユージン・ナイダが聖書翻訳理論を展開させ、現在の翻訳研究(translation studies)の道を切り開いたのです。彼の理論によれば、例えば人間の感情が宿るとされるheart、心臓という言葉は各文化に合わせて、例えばアフリカの言語なら「肝」や「腹」に訳してよいという考え方です。ナイダはこれを動的等価(dynamic equivalence) と呼んで、形式的等価(formal equivalence)と対立させます。等価という言葉は原文と訳文は同値関係にあることを意味して、原文ではheart、心臓が果たしている役割を訳文では「肝」が担えるのであれば、それは動的等価と呼んでいます。言葉の形式より中身や文脈を重視する考え方です。

日本の通訳・翻訳の歴史

さて、日本の話に移ります。古代日本では、通訳の活動が盛んになったと思われるのは4世紀から7世紀頃のことです。その頃の日本は中国大陸や朝鮮半島の国々との交流を通して漢字や儒教、仏教、律令制度など様々な異文化を形を変えながら導入し始め、以前から発展していた日本文明は大きな躍進を遂げたと言えます。

当時の日本語と外国語の間の通訳を行っていたのは、日本列島に渡ってきた渡来人という人々でした。その中に日本から中国大陸や朝鮮半島に移住した後に日本に戻ってきた人々も含まれていました。それから7世紀の初めに職業としての通訳が生まれたことが記録されています。そのような通訳のプロは日本語で「おさ(訳語、通事)」と呼ばれていました。この「おさ」の語源は朝鮮半島の百済出身の氏族の名前、あるいは現在は福岡市となっている福岡県の曰佐村という地名にちなんだと言われています。

次に、7世紀から9世紀にかけて遣唐使と呼ばれる中国への使節団が盛んになります。通訳者の養成が必要だと気付いた日本の朝廷は817年に大学寮という官僚を育てる学府を設立して、本格的な通訳者のトレーニングを始めます。ただ、そのような通訳者たちは中国語の読み書きができても会話能力が乏しく、通訳と言いながらも結局、筆談に頼ることが多かったそうです。大昔から日本人は外国語の勉強そのものは得意でしたが、その知識を実際の会話に活かせるかどうかは別問題だったようです。政府による通訳者のトレーニングは失敗して間もなく廃止されます。その後、通訳の仕事を任せられるのは来日した外国人や海外に長期滞在を経験した者となりました。

ちなみに、『日本書紀』や『延喜式』の記録によりますと、この時代には中国語の他にも通訳されていたと思われる言葉はたくさんありました。古代朝鮮語の新羅語、現代の南西諸島の言語だった奄美語、今の東北地方に当たる地域で話されていた蝦夷語、九州南部の言葉だった隼人語などです。今はあまり認識されていませんが、日本列島は昔から多言語社会だったと言えるのではないでしょうか。

さて、少し歴史を早送りします。17世紀以降の話です。ご存じのように、16世紀になりますと日本にキリスト教の宣教師やイエズス会士のヨーロッパ人が到来します。スペインのフランシスコ・ザビエルやイタリアのアレッサンドロ・ヴァリニャーノが有名ですが、言語や翻訳の分野で大きな貢献を果たしたのは言うまでもなく『日葡辞書』などで知られるポルトガル人たちです。

このときポルトガル語から日本語に入ってきた言葉がたくさんあります。食べ物では「パン、カステラ、金平糖」。洋服関係では「ボタン、マント」。それ以外にも「シャボン、たばこ、かるた」などなど、場合によって漢字を充てられても翻訳されずに、そのまま音写して外来語として多くの言葉が入ってきました。

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