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【新塾長対談】「慶應義塾の目的」の実践へ向けて

2021/07/07

研究がつながる好循環

国谷 先ほどグローバル化とは慶應の国際的なレピュテーションを上げていくことだと言われました。ではどうやって慶應の中で若い学者が国際的にインパクトのある研究において、名指しで研究を頼まれるようなシステムをつくっていけるのでしょうか。

伊藤 慶應義塾の学生時代に私よりずっと優秀な人たちが日本の企業に就職をしていった中で、なぜか私がバークレーに行って博士号が取れた。であればもっと多くの優秀な学生を日本から世界の大学院に出してあげたいと思って私は慶應義塾の教員になったんです。とにかく良い推薦状を書いてあげるという単純な発想だったのです。

ところが、私の研究室の研究を通してこの学生はこんなにすごいんだ、という説得力のある推薦状を書くためには、非常に単純な話ですが、「自分は世界に響く研究をやらないといけないんだ」ということになるわけです。

それで、とにかく自分の研究を頑張ってやっていくと学生たちも張り切って、どんどん研究をやって良い推薦状を携えて大学院生として世界に出ていく。そして海外の大学院で立派に活躍するので、KEIOは信頼できる大学ということになり、また次の学生が留学の道を選ぶという好循環になるんですね。

国谷 伊藤さんのレピュテーションが高いからということですよね。

伊藤 いや、レピュテーションというより、アメリカは本当に推薦状の中身を見るんです。一言で言えば信用できる推薦状かどうかを読むんです。

もう1つ、私は慶應義塾で教えながらも、40歳ぐらいまでにアメリカの大学の先生を目指そうと思い、アメリカの大学に定期的に応募していたのです。そのために、研究室の英語のホームページを充実させたり、研究内容も、日本の科研費を取るためではなくて、海外で面白いと思われるようなことをやろうと、一生懸命考えました。

結局は慶應義塾に残ったのですが、応募したことには予想外の効果がありました。応募書類が応募先のいろいろな大学の人にしっかりと読まれ、「KOHEIは面白いから」と、様々な世界の学会に招待講演者として、なぜかアメリカから推薦されるようになったのです。

国谷 なにが評価につながるかわからないものです。

伊藤 これは日本の先生たちから、「いったいどういうことだ。何をやったの」と言われました(笑)。

ともかく、良い学生が海外に行けばそれでレピュテーションが高まるし、自分も教員として応募することが非常に効く。仲間が大学院生として留学すると、日本に残った研究室の学生はそれに刺激を受けるので、私の研究室でも博士課程に進んで頑張る。そうすると、なぜかうちの研究室だけ博士の数がどんどん増えていったのです。

国谷 パイプラインができてくる。そうやって畑を耕したわけですね。

「全社会の先導者」になるために

国谷 冒頭でおっしゃった慶應が目指す全世界の社会のために、ということの底に流れている倫理性について伺いたいと思います。

伊藤 先ほど「慶應義塾の目的」を紹介しましたが、福澤先生が「単なる学塾ではないんだ」と言われると、「ではどういう学塾なんだ」と思いますよね。最後は「全社会の先導者たらん」ということですけれど、その中略の部分の埋め方というのは結構自由だと思うのです。

もしかしたら福澤先生はすごい〝つかみ〟とすごい結論をつくって、その間は意外と自由だと言いたかったのではないか。「気品の泉源」であってもらいたいし、「智徳の模範」でもあってもらいたいが、中略の部分は個人のいろいろなやり方があって、学問の自由があって、それらがバラバラな方向を向いていても、つながり助け合いながら進んでいくと、社会が次第に良い方を向いていく。この4年間は、そういうメッセージを発し続けたいなと思っています。

国谷 バラバラに向いていてもいいという自由さを支えるのが、倫理性や精神性です。その精神性の大切な部分をどうやって育んでいくかが大きな課題ですね。

伊藤 学生や教員による不祥事が起きると「気品の泉源はどうなっているんだ」と必ず問われます。それは仕方ないですね。でも私は理想を述べないといけない。慶應義塾の精神性を、全社会の先導者としてあらゆる可能性を想像して新しい社会を創造していくということです。

国谷 東京藝大でチェロ奏者のヨーヨー・マさんとお話ししたことがあります。彼はジュリアードを出てからハーバードで人類学を学んでいます。一方、アメリカの科学者は音楽を学んでいる方が多い。なぜ科学者が音楽を学ぶといいのか。ヨーヨー・マさんは、音楽では「こう弾いたらどうだろうか」と常に実験を繰り返し、失敗し続ける。だから、科学者が楽器をやることで失敗への耐性が付くのだと話されていました。サイエンスだけ優秀で勉強していると、自分の研究が失敗した時、折れやすいと。

アップルのスティーブ・ジョブズはいつも、「イノベーションというのはリベラルアーツとテクノロジーの交差点で生まれるものだ」と言っていたそうです。やはり人文系と理系の融合、接点は現代において大事なのだと思います。

日本の大学で不思議なのは、学部入試がどうしてずっと続くのだろうかということです。アメリカは学部別の入試はないですよね。人文系と理系の融合だったり、クロス・インターセクションというものを多くつくっていくために、本当に学部入試がいいのだろうかと思っているんです。

伊藤 私も若い頃は雑誌のインタビューで「学部入試は要らない」と答えたことがありましたが、その時は助手という役職だったので問題になりませんでした(笑)。ただ例えば理工学部の例をあげると、大雑把に言うと6割強が一般選抜、いわゆる入試で、残りの4割は推薦型で指定校からの推薦と慶應義塾の高校からの入学者数がほぼ半数ずつ、さらには総合型選抜(AO入試)、帰国生入試や留学生入試からの入学者もいるので、多様性という意味では、ある程度確保されているかなと思います。先ほど述べましたとおり、一貫教育校の自由闊達にやってきた学生と、入試で入ってくるあるディシプリンができた人が合わさって、そこでまた新しいコミュニティができてくるということが慶應義塾の特色です。

後はそういうモデルを、今後、社会が変わっていく時にどうやって発展させていくかです。SFCはそういうところはずっと柔軟で、AO入試と一般選抜入試を上手に組み合わせて、多様性のある学生を採っている。そのあたりは各学部の経験と目標に基づき、工夫をしているのが今の慶應義塾の状況です。各学部の自治(独立自尊)を重んじながらも、どのように留学生を増やしていくか、多様性を確保していくかは、カリキュラムの工夫や大学としての魅力の強化なども含めて考えていかなければなりません。理想は全社会の高校生が「ここで学びたい」と思う学塾となることですよね。その魅力に基づき入試制度も改新していくことが理想だと思います。

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