【その他】
【新塾長対談】「慶應義塾の目的」の実践へ向けて
2021/07/07
研究環境のあり方
国谷 テクノロジーが社会にどんな影響を与えるかを予想しながら、どのように倫理的な基準を設け、社会的ルールをつくっていくかということが、今の社会では後手後手にまわっているように思います。テクノロジーのほうが非常に先に行っていて、倫理性、人間性などの課題が追い付いていない。
その意味でも冒頭でおっしゃったような全社会をより良くしていくために、学術、研究、学問のあり方を模索していく時代なのだと思います。大学は、より良い社会をつくっていく上で、どういう役割を果たすべきとお考えでしょうか。
伊藤 国谷さんもブラウン大学ご出身ですが、世界のどの大学でも、教員の人たちは、執行部がこんなことを言っているけど、自分たちはとにかく自分の研究をやるんだ、教育も自分たちの理想で進めるんだと考えています。民主的にしっかりと守るところは守り、1人1人は独立自尊的なところがある。しかし世界の大学では教員のバックグラウンドが多様である故に全社会を考えざるを得ず、結果として気概が高くなる。学者として、また社会人、地球人としてどうするかを常に考えざるを得ない。
国谷 気概というのはミッション(使命)、パーパス(目的)のようなものですか。
伊藤 そうです。何となく今の日本の大学だと、どうやって国から運営費や研究費を取ってくるかが優先され、細かいレギュレーションが多く、失敗が許されない世界なので、すごくいろいろなことに気を遣いながら事務的なことをやっていることが多いのです。しかし、事務作業というのは学者にとって一種の麻薬みたいなところがある。というのは、事務作業はいつまでにここまでやった、と成果がすぐに出るからです。
学問というのは、ずっとやり続けなければならず、答えを常に探し求め、なかなか見つからないものです。ですから、事務作業は逃げ場になってしまうこともあるのです。事務作業はやらなければいけませんが、逃げ場をそこにつくらないようにし、学者が本当の意味での教育と研究に専念できるような環境をつくりたいと思っています。
慶應義塾というのは幸い、学生数で言うと7割が文系です。東大や京大などの国立は7割ぐらいが理系ですが、理系の人はやはり自分のやりたいことをやるんです。私も量子コンピュータが好きで好奇心優先で研究をしてきました。ただ、この量子コンピュータが悪いことにも使われるかもしれないと想像が膨らむと、慶應義塾でもセキュリティの穴を探す人を育てて、悪いやつらと戦わせようとか考えるんですよね。
でも、そういった倫理に関わる部分はもっと文系の人たちと社会の常識や法律に照らし合わせて話し合い、皆で正しい方を向かなければいけないということなのだと思います。
国谷 しかし、資金を獲得するためには、申請書類等の事務作業を常にやっていかなければいけない。その作業も膨大だという事実もあるわけで、むしろ学問に集中する時間や環境をつくることは、難しくなっているような気がするのです。本当の意味で学問に集中できる環境を、今、大学はつくれているのでしょうか。
伊藤 それは教員の採用の仕方にかかわってきますね。ノーベル賞を取るようなスター研究者を集めても、論文発表数といった単眼的な評価に偏ると、そこには必ず分布が生じます。そこで、あの人がいるおかげでこの学部がまわっているのだという、それぞれの存在意義が大切になります。つまり、何も考えずにひたすら研究する人ばかりになると、さすがに教育が破綻するので、様々な理想を追求する教員集団を上手につくらなければならない。各学部の自治を尊重しながらも、この点を考えてもらうのが重要かなと思っています。
国谷 組織の中には目立たないけれど、実はその人のところに全部情報が集まっていたり、その人が潤滑油になっていたりすることもあります。
伊藤 独立自尊と言いますが、これは自分が独立して自分で考えることが大事だから、他の人の考えも尊重して、お互いに尊敬しあうということです。つまりお互いの良いところを見てやっていくという考えだと思います。
システムチェンジが必要な時代の大学
国谷 先ほど伊藤さんがおっしゃられたように、これから10年、20年で社会は劇的に変化し、先の見通せない部分もあります。そうは言っても、今、責任を持っている世代が、あるべき社会の未来を描きながら、そこからバックキャストして、今何をすべきか真剣に考えて、未来の世代により良い社会を残していかなければなりません。まさにSDGsは、そのことを投げかけているものです。
大気中の二酸化炭素濃度がどんどん上がっていき、世界中で異常気象が起きるなど、様々なメッセージが地球から発せられている中で、今までの研究のあり方、今までの学問の垣根、分類だけでは解決しない課題が多く生まれている。それに対してスピード感を持ち、どうやって今までの既成概念を打ち破るような発想を持った独創的なソリューションを生み出すか。食糧のシステムチェンジ、都市のあり方やエネルギー供給のシステムチェンジなど、現実に求められているものが多くあります。
例えば食糧の場合、生産から加工、流通、消費に至るまで、横串を刺しながらそれぞれのステークホルダーに加わってもらって、早くシステムを変えていかないといけない。食料システムだけで二酸化炭素の25%を排出しているので、そこを脱炭素化しなければゼロエミッションというのは達成できないと言われています。
そういうシステムチェンジのためには、多様な研究テーマが様々に絡み合いながら、独創的に新しいビジネスモデルや政策モデルをつくっていかなければならない時代になっています。そうすると、学術分野で学際横断的とよく言われますが、超学際横断的な可能性をどうやって広げていけばいいのか。SDGsを実現していくためにはそれが問われています。
伊藤 SDGsは2030年に達成すべき目標です。でも、今の大学生たちにとって2030年というのは、すぐそこの9年後であって、30歳ぐらいで達成すべきことなんですよね。そうすると、学生たちにとってはもっと先のことまで考えることが必要になってくると思うんです。
私の家族は国谷さんのプログラムが大好きで、テレビでいつも拝見していますが、やはり印象的なのは、そこに登場する若者たちです。先日は大学生たちがITを活用して廃棄されそうな食物を、必要なところに届けるフードバンクを運営している様子が紹介されていました。若者の社会意識は高い。ですから、私は、教員が学問の理想を追求しているところに横串を刺すカギとなるのはやはり学生だと思うのです。
もう1つは、特に研究を担当する常任理事などがとにかくいろいろな研究者の話を聞くことだと思います。義塾の約3千人の教員の中にどういう人がいるのかを徹底的に知ることです。それを知らないと、誰と誰をつなげたらどういうことができるかがわからないですよね。
その上で理想的なのは学生たちを巻き込み、慶應義塾として、2030年に達成すべきものを決めることだと思います。その決め方は非常に難しいのですが、まずは例えば、慶應義塾の全部の使用電力を再生エネルギーに変えるという、無理と思われるほどの理想を掲げ、そのために必要なイノベーションを考える。理想の中には実現可能なものもあるでしょう。
さらに、慶應義塾の多くの卒業生が社会で活躍してこれからの未来社会をつくろうとしているので、その方たちに参加してもらうこともできると思います。学生、教員、そして卒業生の連携です。SDGsで2030年に達成すべき目標を決めると同時に、さらにその先を考えていく。われわれが皆を巻き込むようなやり方を考えれば、良い方向性が示せると思っています。
国谷 おっしゃるように総合知が大事な時代です。SDGsを実装していくには、専門的なことだけをわかっているのではなく、自分の専門分野でないところで自分の研究がどういうインパクトを与えるのか、俯瞰的な視野を持つようになっていかなければならないですね。
カテゴリ | |
---|---|
三田評論のコーナー |