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【特別鼎談】コロナ禍の不安とともに

2020/11/13

AYA世代への危惧

神庭 人口が少ないために、思春期から若年成人、いわゆるAYA(アヤ)世代(15歳~39歳)と呼ばれる世代は対策が軽視されがちなんです。でも、実はこの時期には人生の大きな課題を幾つも乗り越えなければならない。

彼ら、彼女らは就学し、自立して職を得て、恋愛し、結婚し、妊娠・出産して、家族を作っていく世代です。多くの精神疾患がこのAYA世代に発症します。

お二方はこの世代が受けている影響について、どうお考えになっていますか。

 普段、20歳前後の学生たちに接していて思うのは、冒頭に北山さんが「誰と一緒に暮らしているか」とおっしゃったように、どういう家庭にその子が育っているかがとても大きいということです。

自粛生活の中で、孤独や孤立を感じる時、家族をめぐる悩みを抱えている時、学生相談にSOSしてもらえれば、そうした学生とはなんとかつながれます。

でも、外に助けを求められない、今の状況を訴えられない状態にある学生たちが心配です。

北山 私は今、臨床場面でも、若い人に会うことは少ないんですが、彼らはひょっとしたら、高齢化した団塊の世代に比べて相対的に数が少ないから、社会から忘れられていくという状況が進行しているのかもしれないですね。

私たちは、この若い世代のことを、元気そうだからということで気にかけていないのかもしれない。個別のアプローチも含めて、情報を提供して、語り掛けていくということを忘れないようにしようと思います。

 20歳前後の学生の感性には、ほんとうに心を動かされます。先ほど触れたグループディスカッションのように、非常に率直に、自分の体験を語ろうとする学生たちに出会うと、新鮮な気持ちになります。

そういう意味では、教育の中で学生たちが自分が体験していること、考えていることを、自由に語り合えるような場を提供するのが大事だと思っています。そうすると学生たちが自ずから動き出し、影響を与え合います。

授業では、様々な感性が動き出すように「心を耕しておこう」と語りかけます。すると、そういう言葉に学生は敏感に反応し、吸収していることが伝わってきます。

学生との相互交流の中で、瑞々しい感性が豊かになるようなふれあいを大切にしたいと強く思いますね。

大切にしたい「横のつながり」

 実はここにいる3人は皆、小此木啓吾先生と深いご縁があったわけですが、小此木先生だったら、今のこの状況をどんなふうに感じられるだろうか、少し話してみたいと思うのですが。

神庭 小此木先生にはたくさんのことを教えていただきました。もっとも先生からは「君は精神分析家には向いてないよ」と言われてしまい(笑)、精神疾患の神経科学の道を進むように背中を押してくださいました。先生は多くの名著を残されましたが、一番印象に残っているのは『対象喪失──悲しむということ』です。

今回のコロナ禍の中で問題になっているのは、亡くなった方の葬儀で、ご遺体が感染源として扱われることです。例えば志村けんさんの逝去時がそうでしたよね。最後のお別れができない、つまり対象喪失のプロセスを進めることができずに悲嘆が遷延するかもしれない。

社会が復興に向けて動き出す時にも、被災者や災害弱者が経験したであろう様々な対象喪失への目配りと支援を置き去りにしてはならない、と先生はおっしゃるのではないでしょうか。

 私も、小此木先生のことで、今何が心に浮かぶかと言えば、やはり対象喪失のことです。

今までの日常、あたりまえだったことを失ってしまったということ。その失っているということを認めるのは大変で、今、もがいている時なのではと思うのです。

すごく大きな喪失体験を今、世界中でしているのだと思います。その中で、私たちが一体何を感じ、何を体験しているのか。その喪失体験のプロセスを少しでも共有していけたらと思うのです。

一人一人の心の体験は非常に違うのですが、共通のものが浮かび上がってきたり、他の人の体験を聞くことによって、思いがけない気づきが生まれる。相手のものかと思っていたら、それは実は自分の中にあったものだと経験できる。そういう場や空間を大切にしたいと思います。

この「あたりまえ」を喪失した時代に、何をどう感じ、今をどう生き、それが今後にどうつながっていくか。小此木先生の精神分析的思考を想像しながら考えていきたいと思います。

北山 小此木先生という人のことを考えると、私がいつも思い出すエピソードがあるんですね。

それは学会のシンポジウムで、シンポジウムをやっているにもかかわらず、ラジオで野球観戦をしていた小此木先生の姿です(笑)。お互いシンポジストで壇上にいながら、僕の隣で、「今、巨人が勝っている」と言うんですよ。

何を私は言いたいのかというと、小此木先生は、「横のつながり」を作るのが上手いんです。学会などでも隣に座っていると、横から「あいつ、とんでもないやつだ、いつもは違うこと言ってるくせに」と話し掛けてくる(笑)。

もういろいろなことをおっしゃる。そうやって、横のつながりを作って、日本人が言うところの「和」というものを、無意識に作っていたと思うんです。

オンラインで、失っているコミュニケーションはそれだと思うんですよね。オンラインだと、目の前にいる人としかコミュニケートできない。横に誰もいないんだよね。これが普通の集団とは違う人間のありようを作ってしまっている。だから今失われているのは横のつながりだと思います。

人間のコミュニケーションって、目の前にいる人とのコミュニケーションと同時に、横の人と会話する、つながっているということで安心できるのかもしれません。それは、個人主義ではなくて、「われわれ意識」で、小此木先生は「WE」という言葉を使っておられたと思うんです。

今日、皆さんとは、ひょっとしたら横につながれているという感じがするのです。小此木先生の作った横のつながりを今、享受しているのではないか。今日は、私は自分の精神衛生上、そこがよかったと思っています。皆さんと横のつながりを感じることができたので。

 とても充実した、そして心地よい時間を過ごさせていただき、有り難うございました。

(2020年9月28日、オンラインにて収録)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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