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【特別鼎談】コロナ禍の不安とともに

2020/11/13

命の選別という葛藤

神庭 諸外国のような医療崩壊は日本ではかろうじて食い止めることができましたが、医療現場は極めて厳しい状況を迎えました。しかし、医療崩壊といっても、それが何を意味するのか一般の人はよくわからないでしょう。

諸外国の映像で見るように、医療崩壊した病院の現場では、レスピレーター(人口呼吸器)の数とそれを必要とする患者さんの数に大きな齟齬が生じて、廊下にストレッチャーの上に載せられたままの患者さんが放置されていた。あの現場ではトリアージという災害医療の手法が取り入れられているわけです。つまり、助けられないと判断された人たちが後回しにされる。それが医療崩壊なんですね。

平時には、医師は一人一人の患者に分け隔てなく最善の医療を行います。しかし、災害のフロントラインでは、最大多数の人を救うためには、弱者を切り捨てなければならないという事態に直面する。そこで現場の医師らは、マイケル・サンデル教授の講義で有名になった「トロッコのジレンマ」から目を背けることができずに、「道徳的トラウマ」を受けることになります。

実は、日本でも医療崩壊を予想して、早々にトリアージのガイドラインが作られていたのです。ガイドラインは医師を「道徳的トラウマ」や訴訟から一定程度守ってくれるかも知れませんが、そもそも命の選別はやむを得ない、とするこの論理については議論を深めるべきではないかと思います。

北山 トリアージのことは、そういう考え方があるんだ、ということすら知らない方もいらっしゃるでしょう。

医者や医療の従事者は、本当に葛藤しているということですよね。緊急時にトリアージをしなければならなくなったらどうしようかと。その瞬間に理性的に行動するための準備が必要だろうと思うんです。

メンタルリハーサルという言葉があるけれど、そのことを覚悟しておく、考えておくことが、ある程度メンタルリハーサルになればいいと思っています。これはとても大事なことですね。

 話題を少し広げさせていただくと、緊急時に判断を迫られることは、医療従事者に限らず一般の人も経験することですよね。今思い出したのですが、だいぶ前のこと、80代半ばを過ぎたおばあさまが「お嫁さんと自分がもし同時に海で溺れたとしたら、息子はどちらに手を差し伸べるだろうかと考えてしまう、それを想像すると苦しいのです」とおっしゃっていたことが忘れられません。

非日常的な状況下、どのような判断をするのか。先ほど、学生が「ふるいに掛ける/掛けられる」というお話をしましたが、いろいろな形を変えて、様々に自分が何を選び取り、そして何を失っているのかということが改めて問われるのだと思います。

生か死を選ばなければならないような状況がいつくるかわからない。即座に重要な判断を下さなければならない時もあるのだということを噛みしめながら、一つ一つの小さな体験を積み重ねられればと思います。

北山 小さな問題からというのは、本当に私は大事だと思うんですよね。現実問題と連動する心理的な清潔意識で、潔く行動するということがすごい美学のようになっているこの国では、例えばスポーツ選手がうろたえたり、おろおろしたり、あるいは政治的な発言をしたりすることが、とても難しいじゃないですか。

つまり、何々の分際でそんなことを考えるな、みたいな無言のプレッシャーがある。それこそ同調圧力なんだけれど、私はやはり葛藤したり主張したり、異議申し立てを行ったり、個人の気持ちを表現したりしていいと思うのです。

医者だって悩んでいるし、心理学者だって苦しんでいる。潔くふるまわなければいけないというのは、私は非常に嫌いなんですね。もうちょっと醜く汚くなっていいんじゃないか。

割り切って生きているわけではない私たちの躊躇とか迷い、葛藤を、今だからこそ語り合えるというこの瞬間が、私はとても有り難い。これこそ、私たちのメンタルヘルスを風通しよくしていると思うんですよ。

コロナ禍の自殺者数をどう見るか

神庭 コロナ禍による自殺のことがあれこれ取り上げられています。ちょうど緊急事態宣言でステイホームの期間に入った4月には減ったと報じられましたが、7月、8月と連続で前年に比べて増えています。

例年3月がピークで4月からは上下しながら、ゆるやかに減っていくという傾向があります。8月は春より減る時期なんですが、警察庁の報告では1,800人を超えており、前年同月と比較して、男性が60人、女性が186人増えた。これは注目してもいい数字かなと思っています。

というのは、自殺は男性に多いのですが、8月に限っては女性が増えた。有名人の自殺が影響した可能性もありますが、非正規で働いていた方が、解雇に遭って、生活苦に直面したからではないかという説明もされました。

結論はまだ出せませんが、平成不況の時もそうだったように、自殺者は遅れて増えてきます。

北山 4月は神庭さんが出されたモデルで言えば、まだハネムーン期だったんだと思うんですよ。まだ希望があった。夏の高温多湿で感染が減るのではないかという期待があったし、日本人だから大丈夫なのではないかという期待もあった。でも、夏になってもコロナは消えず、逆に7月から顕著に増えていった。

神庭 そうですね。4月は支援活動も盛んだったし、政府も財政出動を躊躇しないというメッセージを送って、かろうじて心理的、経済的問題を抱えている災害弱者の方々が、死を選ばないで済んでいたのではないかなと思います。幻滅期を乗り越えるために、メンタルヘルス対策を強化すべきです。

北山 もう1つ言えば、私たちって「面の皮が薄い」と思うんだよね。だから、経済的に困窮してきたり、あるいは社会的な弱者になって後ろ指をさされると、社会の負担になっているんじゃないかとか、ご迷惑をお掛けしてるんじゃないかと、すごく自責の念や羞恥心や罪悪感が募ってしまう。国際比較でよく言われていますが、私たちは自己評価が普段からすごく低くて、心理的にも追いつめられやすい性格を持っていると思うんです。

私なんかも人前にあれだけ出て、下手な歌を歌って、と言われるかもしれないけど、でも同時に、どこで何を言われるかわからないという不安があるんです。ステージフライト(舞台恐怖症)みたいな、いたたまれない感じです。

私たちはそんなに強くないですよ。だから、今ひょっとしたら、社会的弱者、あるいは心理的な弱者にすごいプレッシャーがかかっているのかもしれない。役所に行って申請すればいいじゃないかと言うけれど、その申請の敷居が高い。

恥の文化と言われているけど、日本人的メンタリティと言ってもいいようなものが作用しているのかもしれないと思います。

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