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【その他】
【特別鼎談】コロナ禍の不安とともに

2020/11/13

  • 北山 修(きたやま おさむ )

    精神科医、九州大学名誉教授。白鴎大学名誉教授。南青山心理相談室顧問。1972年京都府立医科大学医学部卒業。医学博士。専門は精神分析学。作詞家としても活動。

  • 神庭 重信(かんば しげのぶ)

    精神科医、九州大学名誉教授。慶應義塾大学医学部客員教授、日本精神神経学会理事長。日本うつ病センター理事長。栗山会飯田病院顧問。1980年慶應義塾大学医学部卒業。医学博士。専門は精神医学。

  • 森 さち子(もり さちこ)

    慶應義塾大学総合政策学部(医学部精神・神経科学教室兼担)教授。SFC心身ウェルネスセンター所長。臨床心理士。1991年慶應義塾大学大学院社会学修士課程修了。博士(学術)。専門は臨床心理学。

コロナ禍の不安をどう捉えるか

 今日は「コロナ禍の不安とともに」というテーマをいただいて、オンラインで、こうして3人で集まることができました。

コロナ禍の不安というものを、3人それぞれの体験を通して、今、どう感じ、どのように考えているか、思い浮かんだこと、考えていることを言葉にするところから始めていければと思っています。

北山 私は、あちこちでこの話をオンラインでしているので、そこで話をしていないことをちょっと話してみると、誰と一緒に暮らしているかということで、このコロナもずいぶん感じ方が違うんじゃないかと思うんですね。

例えば、同じ家の中に小さい子がいると、その子をとにかく守らねばならない。あるいは、年配者は自分よりも若い世代が優先されるべきだなと思ったりする。それぞれの個人が、「私(わたくし)の人」として、どういう状態に置かれているかで、ずいぶん影響を受けていると思うのですね。

1人暮らしの方と、大家族の中にいる人とでは、コロナに対してずいぶん捉え方が違うなと。これはこれまでの経験から最初に話しておきたいなと思いました。

その部分は人に語りにくいんですよね。例えば、仮の話ですけど、病気の老人と一緒に暮らしていたら、家の中にウイルスを持ち込みたくないなと強く思いますよね。そういうことが本当は考え方に大きな影響を与えるんだけど、なかなか言えないところがありますよね。

 それは、とても大切なことですよね。そのように「私」をベースに考えないと、机上の空論になってしまうようなところがあります。

北山 うん、触れにくいでしょう。皆、違うから。

神庭 読者のために、私のほうから総論的な話をさせていただいてよろしいでしょうか。

北山 はい、お願いします。

神庭 今回のコロナ禍の問題が通常の災害と違うことに僕が最初に気づいたのは、うかつにも、編集長をやっている日本精神神経学会の英文機関誌に、2月5日、あるレターが届いた時なんですね。当時、武漢市はロックダウンに入っていて、日本人を政府のチャーター機で次々に帰国させていた。そういった状況の中、空港で検疫に当たっていた検疫官が謎の自殺を遂げたというニュースが、ひっそりと流されました。

このレターの著者は災害精神医療の専門家でした。著者は、そのことに言及しつつ、この災害が従来私たちがイメージする自然災害と違い、シーバーン(CBRNE)と呼ばれる災害だと書いていたんですね。シーバーンというのは、化学(chemical)、生物(biological)、放射線(radiological)、核爆弾(nuclear)、爆発物(explosive)などに起因する緊急事態を総称する特殊災害です。

例えば東日本大震災などの地震や信濃川流域の水害の際のような、従来、私たちが想定し、対策を講じてきた被災者へのメンタルヘルス対策とは想定外の問題が待ち受けているぞということです。

その理由の第1は、この災害の原因が私たちの五感で感知できないことです。原因がウイルスだとはわかっていますが、その性質が当初は不確定で、不安や恐怖が強まりやすかったんですね。自分が感染するのではないかという恐怖だけではなくて、自分が誰かにうつしてしまうのではないかという不安や恐れを抱くことがある。

 そうですね。二種の不安ですね。

神庭 2つ目は、この感染症を食い止めるための有効な医薬品がなかったので、接触機会を削減するためにソーシャルディスタンス、物理的距離を取ることを強いられました。

さらに外出自粛によるステイホームによって、多くの人々が、在宅勤務や在宅学習をしなければならなくなり、飲食店などは休業しなければならなくなった。普段の行動を抑制しなければならないというストレスに加え、日常活動の制限の結果として収入や生活を失って経済的困窮に直面する人たちがたくさん生まれてしまった。

このような何重もの苦痛が長期化すると、メンタルヘルスに甚大な影響が及ぶ可能性があります。

国連が5月13日に出したポリシーブリーフは、「COVID-19の影響とメンタルヘルス対策の必要性」でした。各国でメンタルヘルスの対策を頑健なものにしないと、やがて医学の力でコロナ禍が抑えられても、速やかに社会は復興しない。社会が復興していく上で、メンタルヘルス対策をしっかりと行う必要があるという。

普通はこういった報告はWHOから出てくるのですが、これが国連から出てきたというところに、メッセージの重みと、われわれが受け止めなければならない覚悟が含まれています。

「感染させる」ことへの不安

 世界中の人々がこの新型コロナウイルスをめぐって、ある種、共通の感覚を抱いていると言われています。どんなに気をつけても、いつ自分が感染するかわからないという状況の中で、皆、共通した不安や恐れ、心配、当惑、不自由さを抱きながら、日常を送っていると思います。

また、不幸にも感染されて闘病中の方、それから感染して回復された方も体が完全に元に戻れたのかと、やはり不安や心もとなさをいつまでも抱く。さらに、感染したことで周囲から向けられる様々な感情、言動をめぐる不安や苦悩、傷つきも、やはり共通に抱いていると思います。

特に、この感染するかもしれない、あるいは感染したということをめぐる漠然とした不安に対して、まず自分の中で対処できる不安としてどのように収められるかということが1つのポイントかなと思っているところです。

北山 「感染するのが嫌」というのはもちろんベースにあるけれど、最近ではウイルスの形が見えてきたし、治療方法も少しずつ知見が重ねられてきているので、かかったときは仕方がないなと思っている部分もあると思うのです。

でも、今回のコロナでは何よりも自分が加害者になりたくないという思いがすごく皆さんにあると思うんです。自分が感染する不安というよりも、うつしてしまって、人様にご迷惑をお掛けするのではないかという不安です。この「加害者になりたくない」という不安は、多くの方が口にされる。

この国の文化の中では感染者となって人にうつしてしまう可能性を非常に不安がる。その意識のありようは私にも否定できないし、とても強いと思うんですよね。

ちょっとそこが、海外の方と違うところかもしれない。私は文化論者だからこういったところに興味があるんです。大阪大学の三浦麻子先生の研究で、国際間比較をするとコロナになった人間は自業自得だと思う人の割合が日本人は顕著に多いという報告がありました。感染者になると、この国では非常に孤独を感じさせられてしまう。何かすごく、この国であるがゆえの問題があるのかなと思っています。

人様にご迷惑をお掛けするという不安で、居場所を失ってしまうのではないか。そんな感じで生きておられる。同調圧力と言ってもいいかもしれないね。皆が健康の中で、私だけがかかってしまった時の不安は、私にもあるな。

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