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【特別鼎談】コロナ禍の不安とともに

2020/11/13

「リモート」によるつながり

神庭 リモートを余儀なくされた時代のメンタルヘルス対策について、1つ今、森さんから非常に貴重なご意見をいただけたと思います。

従来の災害で私たちが心のケアをする時は、被害に遭われた方の傍らへ出掛けて行って対応します。例えば、それが上手くいったのが、東日本大震災の時だったと思うんです。

東日本大震災では自殺者が急増すると皆予想したのです。確かに一部の被災地域では増えましたが、急増を防ぐことができました。誰が被災者かが明確でしたので、現地の保健所の保健師、あるいはソーシャルワーカーが、その地域の避難所や仮設住宅、さらには災害を免れた家々を全戸訪問し、ハイリスク者を見つけて手厚いこころのケアをした。全国から精神科医、心理職らのボランティアがその活動に参加しました。東北は医療過疎地なので、現在でもその活動は続いています。

このようなメンタルヘルス対策のシステムは、その後の熊本地震や各地で起きた豪雨災害などでも機能してきたんですが、今回は誰が被災者なのか、どこに被災者がいるのかが分からない。特定できたとしても、対面で援助することもままならない。

メンタルヘルス対策の世界でも、人と人との物理的距離を取りながら、どうやって心理的距離を縮めていくのかということが、大きな課題になっています。新たな技術のイノベーションとそれを適正に用いる文化を作り上げていく必要があると思います。

北山 そうですね。私は、オンラインで講義をしたり、あるいはウェビナーを活用して専門家の人たちと話をすることをコロナ以前からやっていたのですが、今回すごく注目されて、関心を持って参加してくださる人が増えてきているという手応えがあります。

リモートに接点を持たない人たちをどうするんだという問題はあるけれど、やっぱりこれに慣れておくことでカウンセリングらしきものや人との交流の感じを提供できる。リモートで皆さんと今、出会っているのも、何か強い手応えがあります。

神庭先生と九州でお目にかかっていた時よりも、何か「つながってる感」がある。私は正直言って、森さんの顔も神庭さんの顔も、こんなにじっくり眺めながら現実に話したことなんかなかった(笑)。

これは非常に大きなインパクトだと思う。テレビや新聞しかなかった時代ではなくて、オンラインでリモートの心理支援もできるというのは、人間の交流が多チャンネル化したということなんでしょう。

若い頃、僕は深夜放送をやっていて、深夜に若い人たちとつながることができたという思いがあるんだけど、今はまたオンラインで、何かもう1つ別のネットワークが開かれつつあるなという手応えはありますね。もう1つのバーチャル版カウンセリングルームというような、いろいろな可能性をここに感じています。

 この移行期にオンラインでつながれるってほんとうに有り難いですね。今まで苦手意識を持っていましたが、その敷居を飛び越えてみると、こんなふうに世界が広がっていくのだと、実感しています。

でもそれによって、移行期だからこそ失っていると感じるものがやはりありますね。

北山 ええ。でも、その「むなしさ」を含めてここで話せることが大事だと思うんですよ。

 そうですね。「失ったこと」を語り合いながら、失ったものをカバーしていく。喪失というのは非常に大きなテーマですね。新しいものを身につけつつ、今まで馴染んできたものを手放し、喪失していくということ。でも喪失したかなと思っていたものに思いがけなく再会できると、すごく嬉しい。そんなことを繰り返し体験しているように思います。

北山 私のオンラインの実践でもそうなんです。緊急事態宣言の時はオンラインで、そしてちょっと収まった時には出会えるようになる。そうすると、オンラインの時の体験と本当に出会えた時の体験が両方あって、あれはつなぎだったのかもしれないけど、つないでくれたことで非常に大事な橋渡しができた、毎週会えるというリズム感だけは維持できたという意義も感じることができる。この微妙な移行期を、とても貴重だと思うこともできる。

幻滅期をどう乗り越えるか

神庭 おっしゃったように、今、まさに移行期です。だからこそ大事な時期なんです。被災者は、最初に災害に遭うと茫然自失する時期があり、その後にハネムーン期というものがある。

この時期には地域やコミュニティで人々の利他的な活動、援助活動が目立つ時期です。政府からもそれなりの緊急の財政出動があったりする。その後、災害が長期間にわたったり、救えない方々がたくさん出たりすると、今度は幻滅期になる。

今はおそらくハネムーン期から少し時間が経ち、いまだ将来が見通せず、しかも経済不況がのしかかっています。幻滅期に備えることが大事です。

北山 そうですね。またちょっと文化論になるんだけれど、この幻滅へと向かう時期に考えておかなくちゃいけないのは、『鶴の恩返し』の話です。皆、人間のつもりでいる時に1人だけが傷ついた鶴になると、その者が退去することで人間の共同体を維持しようとする。これが同調圧力の典型例だと思うのです。

与ひょうがつうを、「鶴だ鶴だ」と言っているだけではなくて、近所にいる運ずや惣(そう)どという仲間までが、皆、「鶴だ鶴だ」と言ってしまうと、つうはいたたまれなくなって去って行ってしまう。そんなふうに異類視したり異端視したりして排除してしまうこの心理を、今、皆で自覚したほうがいいと思うんですよね。

自粛、自粛で我慢しているから、皆の中に何か憂さみたいなものがたまっていって、その時、1人目立つ者がいると、それに向けて我慢できなくなった気持ちをぶつけてしまう。それを受けた人が非常に敏感であると、私1人だけが問題なのだから、私がいなくなれば元の平穏がやってくるんだと思い込む。そういったことがこの幻滅期に現れやすい。実はわれわれ皆が傷ついた鶴なんだけど、1人だけが目立ってしまうと、その者にぶつけてしまう。

このようにはけ口を求めてしまう私たちの心のありよう、こういう心理を小学校から学んでおいてもいいのではないかと思うんです。夜の街に出掛けて行く人たちだけが悪いわけじゃない、むしろ私たちの中にある「夜の街」が大問題なんだ、そこに隠された鶴がいるんだということを、考えたいと思うんですよね。

医療関係者も「傷ついた鶴」になることがある。異類視されることがあるということを、私たちはある程度覚悟しておいたほうがいいですね。カウンセラーもはけ口にならないといけないのでね。そういった思いも引き受け、そこを持ちこたえることが、メンタルヘルスにかかわる者の重要な役割だと思うんです。

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