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特別座談会:「コロナ報道」を考える──リスク社会のメディアのあり方

2020/07/10

ソーシャルメディアとワイドショー

大石 これは山腰さんにぜひお聞きしたいのですが、今までエコーチェンバーとかフィルターバブルと言って、ネットの世論は、両極を形成し、相手の主張にほとんど耳を貸さずに、自分たちの主張の中で循環を繰り返し、非常に固い世論をつくってしまう傾向が見られました。しかし、今回、テレビなどの情報を共有しながらネットが動いていたという面がありますよね。

そのあたりの世論のつくられ方も、新型コロナウイルスのような、まさに危機的な状況になって違いが出てきたのでしょうか。

山腰 基本的にこれまでの延長線上にあると個人的には捉えています。ソーシャルメディアの中で形成されていく世論は、まさにポスト真実というか、自分が信じたいもの、自分にとって望ましいものに基づいて形成される。この現象は今回も大きな違いはないと思っています。

例えば検察庁法改正案についても、世論は一枚岩ではなくむしろ賛否が両極化する中で、芸能人に向かってソーシャルメディア上で「政治を知らないくせに口を出すな」と攻撃するような動きもありました。ワイドショーなどテレビの様々な情報を引用しながらソーシャルメディアで話題が盛り上がっていたとしても、やはり自分たちが信じるフレームに基づいてつまみ食いをしている。極端な場合には自分自身で番組や記事に直接触れていなくても、ソーシャルメディアで流れてくるそうした情報や他者の感想や解釈を引用・参照する。

まさにウイルスとは違った意味での「クラスター」、つまり同じ意見を共有する集団に根差した世論形成の仕方は変わらなかったと思います。

ただ、どこに行けば批判する対象があるかという部分は、ソーシャルメディアはワイドショーから影響されていたと思います。パチンコ屋に行ったり、バーベキューをしている河原に行ったり。それはソーシャルメディアがそうした情報を流すからワイドショーも取材に行ったのか、ワイドショーが放送するからソーシャルメディア上で話題になるのか、どちらが先かはわかりませんが、その怒り、不安の感情を動員しながらまとまっていくプロセスには、ある種のマスメディアとソーシャルメディアの連動性がありました。

 最近、特にツイッターは格好の取材場になっていますよね。マスメディアが世論の動向を見る手がかりとしてもツイッターの書き込みを見たり、またどこでどういう問題が起きているのか、地域の細かい出来事をつかむ時にも見ています。

多くの記者たちにとって、今、ツイッターは大事な情報入手手段ですね。クラウドソーシングとも言いますが、災害の時のいろいろな映像もそこで収集したりしています。

烏谷 ツイッターが非常に影響力を増してきながら、一方で根拠の怪しい情報が一瞬で拡散されていくという現状があるんですが、記者の側もツイッターを安易に否定できるような時代ではない。テレビならテレビ、新聞なら新聞で、自分たちの取材活動を活性化するためのインフラとして、どうやってソーシャルメディアを上手く成長させていくことができるかという視点で考えている人たちが、だいぶ増えてきている。

そういう中、ツイッターの中に拡散するデマをできるだけ早くファクトチェックして、その成果をメディアの世界に還元しようとするファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)などの団体があります。

例えばオリンピック・パラリンピックの開催を延期した途端に、感染者数が一気に増大しました。これは今までオリンピック・パラリンピックを開催したいから検査を抑えていたのではないのかという話がツイッター上で広く拡散したわけです。

この点については、ファクトチェック・イニシアティブのページで確認することができます。毎日新聞と「BuzzFeed」が、PCR検査の担当者に取材をして、この噂は誤りであって、実際になぜ検査件数がこのタイミングで増えていったのかの理由などをきちんと取材して説明していました。

ソーシャルメディアではデマが拡散しやすいからと避けるのではなく、ここまで基幹的なインフラになった以上、どうやってそれを上手く使いこなしていけるかということが、オールドメディアの側の見識としても問われていると思います。

病院現場の報道は行われたのか

大石 もう1つ、気になっているのが病院現場の報道なんです。台東区の永寿総合病院では約180人の陽性者という、ものすごいクラスターが発生したのに、何も見えてこなかった。

医療崩壊の危険があれほど強く言われていたのに、当初は具体的な医療に対するサポートは不十分だった。要するに現場が全然見えていなかったということで、これは報道の責任もあると思うのです。海外の報道などでは、ニューヨークの病院の大変な様子などが次から次へと映し出されたわけです。

日本の医療の見えなかった現場ということについて、何かお気づきの点があったらお話しいただきたいのですが。

山腰 この座談会の準備のために朝日新聞のデータベースで「病院 現場」と記事検索をしたところ、やはり病院現場の報道は、それほど多くなかったようです。例えば、永寿総合病院で院内感染が広まって危機感が高まっているという記事はありましたが、やはり中に入っての取材という感じではなかったです。

大石 当然、院内感染が起きている現場に入るということは難しいのだけれども、その脇を固めるような証言を集めていく取材方法は、記者たちはいくらでもできるはずなんです。それさえも何で踏み込まないのか。

それは戦争報道でもそうですが、日本のジャーナリズムが持っている、ある種の、踏み込まない、踏み込めないという問題があるのでは、と思うのは考え過ぎでしょうか。

烏谷 僕は日本のテレビの報道をそこまで注意して見ていたわけではありませんが、確かにCNNを見ていると、例えばニューヨークの病院の医療の崩壊の現場が出てきて、働いている人が盛んに医療現場の危機的状況についてしゃべっている。それを見ていると、何か正視できないところがありましたね。

大石 そうなんです。外国の医療崩壊の報道をあれだけやっているのに、日本の報道は、あまりにも少なくて落差があるという印象を受けたんです。

山腰 「報道特集」で一度、金平キャスターが集中治療を行っている病院の現場を取材していました。立ち入りが厳しく制限されていて、中に入れるスタッフは防護服をきちっと身にまとってやっているけれど、医療資源もだんだん少なくなってきて限界が近づいている、といったストーリーでした。

しかし、もちろんニューヨーク、あるいはイタリアやスペインの状況に比べると、衝撃的な映像ではありません。テレビの場合、映像のインパクトを重視するというニュースバリューの問題も日本での現場取材が優先されない要因かもしれません。

大石 医療従事者に対する感謝の念ということで、ヨーロッパ、アメリカでは、だれが発案したか知りませんが7時、あるいは8時、9時になったら皆で拍手していた。日本はブルーインパルスが飛んで終わってしまった。報道だけでなく人々の医療現場の大変さに対する関心の薄さが何か見えてしまったという感じがしました。

現場の中に入り込むという意識が違うと言えばそれまでですが、日本のジャーナリズムの場合、やはりある種の慎重さが強すぎるのかなという感じは否めなかったと思うんです。

山腰 クルーズ船の時から現場に積極的に入ろうという姿勢は見られなかったように思います。

大石 そうですね。神戸大学の岩田健太郎先生が入ってYouTubeで発信したら大騒ぎになりましたが。

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