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特別座談会:「コロナ報道」を考える──リスク社会のメディアのあり方

2020/07/10

科学ジャーナリズムは機能したか

大石 今までジャーナリズムというのは、犠牲者や被害者を人数だけで伝えていいのかという悩みを一方では持っていたはずです。

1人1人の命の問題なのに数だけで処理すると、個々の命や姿が見えなくなることへの恐れを、少なくとも頭の中には抱いていた。ところが今回は、それが当たり前のように行われていますよね。

烏谷 人数がクローズアップされる1つの理由は、われわれはこのコロナの問題に対してあまりにもわからないことが多過ぎるからではないですか。

特に同じ先進国であるのに日本や韓国と欧米の人口当たりの死者数がなぜここまで大きく違ってくるのか。安倍首相は日本モデルが非常に素晴らしいと言いましたが、この死者数の差の謎がまるで解き明かされていない。

今、研究者がいろいろな仮説を出していますね。ウイルスの型が変異していてアジアからヨーロッパやアメリカに行って毒性を高めたのだとか、遺伝子の型の違いであるとかいろいろな仮説が出てきてはいますが、本当のところはわからない。この数字が示す謎の前では、ジャーナリストはもっと謙虚にならなければいけないと思うんですね。特にテレビなどは。

大石 水俣病事件報道の時も3・11の原発事故の時もそうでしたが、ジャーナリズムは、こうした科学的な問題をどうすれば適切に伝えられるかということですね。非常に専門性の高い情報・知識を持っている人たちがある種の知識人コミュニティをつくっている。それに対して記者は頑張って、その人たちにいろいろ取材はするのだけれども、どうしてもギャップを埋めることが難しい。

数値をどう処理して、それを理解していくかという時に、まさにいくつかの選択肢をそのまま羅列する形、専門家の意見を並列する形でしか出せない。そういったある種のもどかしさが科学ジャーナリズムにはあるのだろうと思うんです。

烏谷 大石先生がおっしゃった水俣病事件報道と今回の件を比較して大きく違うのは、水俣病の時には専門家の中でも一部の人々は原因がわかっていながらそれを隠していた、という意味で犯罪性の強いものだったわけです。

ところが今回は、世界中の科学者が寄ってたかって英知を結集しても謎が解けない。だからとにかく皆で協力してパズルを解く作業をしなければいけない。いわゆる科学ジャーナリズムは、どうやって専門家の意見を素人にわかりやすく教えるかという問題意識で基本考えるわけですが、今回は専門家も皆、まだわからないわけです。

そうなってくると、一般市民がどういう行動をとるかというと、自分の好む「神様」、つまり自分のフィーリングに合う専門的な言説を提供してくれる人を選んで、その言説を中心にコミュニティをつくり、敵対する考え方の人たちと非常に激しくバトルをするという傾向が出てくる。

私は、仮説が並んでいてどれも決定的ではないような状況では、自分の思っている確信、怒り、正義の感情も、非常に危うい仮説の上にしか乗っていないのだ、ということをしっかり自覚して発言しないと、非常に独断的、独善的なものの言い方、伝え方になってしまうのではないかと思うのです。

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