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特別座談会:「コロナ報道」を考える──リスク社会のメディアのあり方

2020/07/10

専門家の発信と受け手のギャップ

大石 ウイルスという実際に目には見えない相手であることの難しさが、こうした面でも表れているということでしょうか。

 日本の報道の中で印象に残っているのは「正しく恐れる」という表現です。最初は、これは東京オリンピックが延期される可能性もあったから、それを心配してあまり騒ぎ立てないようにしたいという思惑もあったのかなと思いながらも、非常にいい標語だなと思いました。

でも「正しく恐れる」ためには正しい情報、正しい知識がないといけない。新型コロナウイルスに関しては、最初、ヒト・ヒト感染の可能性は低いという情報もあったし、マスクは実は効果がないという話もあった。それがいつの間にか、マスクは効果があるということになり、何が正しい情報なのかがわからない。だからそういった時には、最大限に警戒するということが生存戦略としては合理的なわけです。

そういう点から考えると、あまりはっきりしたことがわからない状況下で「正しく恐れましょう」という、やや警戒を緩めさせるようなニュアンスを伝えることは、あまりいいことではなかったのではないかとも思っています。

大石 確かに「3密を避ける」「手を洗う」「マスクをする」という最大公約数的なものを繰り返して奨励するしか感染予防の方法としては出てこない。それ以上、何がきちんとした正確な情報なのかが見えないままにずっときてしまっている、と言えますね。

山腰 科学ジャーナリズムというか、科学コミュニケーションの話になってくるかと思うんですが、専門家会議などが、「8割接触を減らすように」とさかんに情報発信をしていますよね。しかし、PCR検査の数が適切なのか、それとも少ないのかといった話も含めて、時期によってメッセージが違うように見えて、わかりづらかったことは確かです。

しかし、4月に放映された「NHKスペシャル」で厚生労働省のクラスター対策班に密着した番組を見ると、フェーズごとに対策が変わってくるのだということが理解できました。専門家会議や対策班はきちっと考えて戦略を練って、ある種のロジックを持ってやっているということが、よくわかったんです。

しかし、それは「NHKスペシャル」、あるいは「BuzzFeed」による西浦博先生へのインタビュー記事など、限られた回路でしか伝わらず情報が多くの人に共有されない。ワイドショーなどでは何でPCR検査を増やさないのだという話がずっと続いている。そこに乖離があると思いました。

対策を担う専門家たちは非常にプラグマティックに、できることをやっていくというロジックを一生懸命に発信しているのだけれど、それがニュースという形で十分に伝わらない。それは取材する側の問題もあると思います。わかりやすい数字しか切り取ってこない。このまま行けば40万人が死ぬとか、8割減らせ、という部分だけ切り取ると科学的なメッセージとしては上手く伝わらない部分があります。

一方、専門家の側も、報道陣の前で話せば受け手に100パーセント伝わると思っているようなところもあり、ニュースがつくられる時にどういうコミュニケーションが適切かという戦略が欠けていた面もあると思います。

その不幸な認識ギャップがあったのかなという印象があります。

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