三田評論ONLINE

【その他】
特別座談会:「コロナ報道」を考える──リスク社会のメディアのあり方

2020/07/10

  • 李 光鎬(イー ゴアンホ)

    慶應義塾大学文学部社会学専攻教授。
    同大学メディア・コミュニケーション研究所所員。専門は社会心理学、メディア研究。

  • 烏谷 昌幸 (からすだに まさゆき)

    慶應義塾大学法学部政治学科准教授。
    同大学メディア・コミュニケーション研究所所員。専門はジャーナリズム論、政治社会学。

  • 山腰 修三(やまこし しゅうぞう)

    慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所教授。
    専門はマス・コミュニケーション論、ジャーナリズム論。

  • 大石 裕(司会)(おおいし ゆたか)

    慶應義塾大学法学部政治学科教授。
    慶應義塾常任理事。専門は政治コミュニケーション論、世論研究。

アメリカと韓国の報道から

大石 「コロナ危機」に関しては、メディアの報道についてもいろいろと考えさせられることがあります。テレビ、新聞等のいわゆる従来型のマスメディアの報道とSNSなどのソーシャルメディアの発信が入り組んだ形で人々に影響を与えている。とりわけ、今回ニュースが「コロナ報道」一色ということで、いい意味でも悪い意味でもテレビが復権している、という印象を私は持っています。そこで今日はコロナ報道に関して皆さんと話し合っていきたいと思います。

烏谷さんは3月半ばまでアメリカにおられて、ギリギリのタイミングで日本に帰って来られたのですね。

烏谷 はい。3月の上旬にはマンハッタンでもまだほとんどマスクをしている人がいませんでした。アメリカから見ると、コロナはその頃はまだ遠いアジアの出来事で、自分たちの問題という意識はほとんどなかったと思います。

大石 メディアの報道もそうだったんですか。

烏谷 ニュースでは伝えられていましたが、一般社会の反応はまだまだ他人事という感じが強く、非常にギャップがありました。社会の雰囲気がはっきりと変わり始めるのは、3月中旬ぐらいです。3月上旬に私が日本に帰ると言った時には、アメリカのほうが安全なのだから帰らないほうがいいと、まるで戦場に行くような感じに見られたんですね。

私が日本に戻ってから、4月上旬にCNNのクリス・クオモという有名なニュースキャスターが新型コロナウイルスに感染しました。ニューヨーク州のアンドリュー・クオモ知事の弟さんですね。典型的なアメリカ人のタフガイといったイメージのクリス・クオモが、新型コロナウイルスに感染しながらも、自身の様子を自宅から一生懸命伝えるわけです。実際にコロナにかかったらどれぐらい高熱が出てつらいのかを、率直な言葉で語った。

ジャーナリストというのは、基本的に世の中の問題に対して非当事者の視点からリポートする仕事だと思うのですが、彼はコロナにかかって、当事者の言葉で皆知るべきであると、自宅からアメリカ国民につらさを訴えた。その光景が非常に印象に残っています。

彼はある種、リポーターというよりロールモデルになって、この問題をちゃんと受け止めなければいけないんだと自分の言葉で伝えたのです。

大石 ではそのリポートがターニングポイントになったと。

烏谷 そこまで強くは言えないと思いますが、シンボリックなものではありました。

日本では、志村けんさんが亡くなった(3月29日)ことで皆、非常に衝撃を受けましたよね。つまり身近に感じていた有名人が突然亡くなることで、非常に多くの人が認識を改めたところがあると思うのです。アメリカにおいては、その1つのターニングポイントをニュースキャスターがつくったことが印象的でした。

大石 次に李さん、韓国の状況についてお願いいたします。

 韓国では、2月中旬、日本より早く感染者の爆発的増加があったんですが、当初は何で中国からの入国制限をしないのだと、保守系の新聞、「朝鮮日報」「中央日報」「東亜日報」から政府が強く批判されました。

最初は大邱(テグ)にある「新天地イエス教会」という新興宗教の信者の間で感染が爆発的に広がっていきました。一時はどうなるかと心配していたのですが、政府で打ったいくつかの対策が功を奏し、何とか沈静化させることに成功しました。

私が、一連の経緯を報道する韓国のメディアを見て強く感じたのは、自国中心的、自国優越主義的な報道を展開しているなということです。まず印象深かったのは、日本もやりましたが、チャーター便を送って感染が蔓延していた中国・武漢から自国人を帰国させたことです。

烏谷さんは戦場に行く感じで見られたと言いましたが、逆に戦場から人質を救出して帰ってくるように、大々的に深夜に飛行機が降り立つ映像を流して国の力を示すイメージが流されたことが非常に印象的でした。

他にも、例えば韓国はマスクもまだ買える、他国に比べて死亡者が少なく、非常に上手く対策をやっている、とさかんに報道されました。最終的には「K防疫」という言葉をつくってブランド化することまでやって、非常に自国優越主義的なフレームで報道がなされたと思います。

欧米の先進国と見られていた国々がことごとく防疫に失敗し、今まで抱いていた先進国に対する尊敬の念が一気に崩れてしまった。そして、われわれは先進国より優れている、追い越したのだという形で報道がなされるということがあり、それが、私が非常に気になっているところです。

見えない「現場」

大石 山腰さん、今のお二方の話と日本とを比較して、お話ししていただけますか。

山腰 日本では、最初は中国でそれから韓国、ヨーロッパ、アメリカと、海外の集団感染、医療崩壊、ロックダウンの状況が大変インパクトのある形で報道されていました。一方、台湾や韓国がPCR検査を大量にやっているのに日本は何でやらないのかという批判がテレビやネットを中心にさかんに語られました。それから、3月下旬には2週間後の東京は今のニューヨークの感染状況と同じようになるなどと、何か煽るような語りがネットなどで頻繁に見られました。

また日本でも、2月にダイヤモンド・プリンセス号が来ると、ある種現場が可視化されました。チャーター便(1月29日~)、クルーズ船(2月3日)と、皆それらの「現場」を追っていたのですが、政府による全国の学校の一斉休校要請(2月27日)という話になると、もう現場がどこだかわからなくなってしまったのかと思います。

どこを取材しても結局、全部がコロナに関連したニュースになって、コロナ報道の取材方法や見せ方も手探りの状態だったという印象があります。

大石 そうですね。例えば1995年の阪神・淡路大震災の時には高速道路が倒れ、2001年の9・11の時には貿易センタービルが崩れた。それから2011年の東日本大震災の時には津波や原発の事故があった。つまり現場が直接テレビ画像で伝えられていた。

ところが、新型コロナウイルスは感染症ですから、敵とか戦争と言いながら相手が全く見えない。ですから、結局、人の動きにかかわる同じ映像が繰り返し使われ、同じ取材現場に殺到する。ウイルスという見えないものをどう報道するかといった時に、とにかくその影響が及んだ同じような場所や人を探し出して、取材するという方法がとられたという印象を持っていますが、その点についてはいかがでしょうか。

 テレビニュースなどでも、常にコロナウイルスの電子顕微鏡の写真を色着けしたものが使われていますね。結局、取材をして印象的な「絵」となるものがないので、その映像しか使えないのでしょう。

また今回の報道で非常に特徴的だなと思うのは、感染者や死亡者の人数のカウントです。どこの国は今日の感染者が何名で死亡者は何名、検査数はいくつと連日カウントして、それをグラフとともに見せたりする。可視化する手段が、そういったものに限られてしまっているのかなと思いました。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事