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【特別対談】「慶應建築の系譜」

2020/02/29

慶應建築の系譜をどうつなげるか

小林 慶應のキャンパスは、これからもいろいろと更新をしていかないといけません。そういったときにどんなことを考え、慶應の建築を深めていけばいいのか。これからの慶應に期待する、あるいは慶應がやらなければいけない建築あるいは建築教育について、ぜひお二人からお言葉をいただければと思います。

谷口 いろいろなご縁から、私は慶應の建築に関わらせていただきました。最初に父が幼稚舎を設計するきっかけになったのは、槇先生のおじさんの槇智雄さんが父の事務所にいらしたことです。当時、槇智雄さんが父に一言だけおっしゃったのは、「慶應の建築には福澤先生の建学の精神が宿っている。それをぜひつないでほしい」ということだったそうです。その話が私の記憶に非常に残っています。

 人生にはいろいろなご縁というものがあり、今言ったように幼稚舎を私も存分に使わせていただきましたし、その後、谷口吉生さんがハーバードに行ったときに初めてお目にかかりました。非常に楽しい出会いであったと言うことができます。それをやはり大事にしていきたいという気持ちは今でも非常に思います。

小林 今、慶應でも建築教育というものが少しずつ始まってきています。慶應の建築家の系譜というものが、どのような未来になっていってほしいと思われますか。

谷口 慶應には建築学科はないのですが、父から聞いた話では、過去にいろいろな試みはあったらしいですね。日本の場合、建築学科というのは、最初から地震に耐える建築、火事に強い建築という要請からエンジニアリング、工学部に多くは属している。でも、そうするとデザインという分野からは離れていく。

エンジニアリングを求めるのか、それともデザインを志向するのか、両方のバランスがうまく取れた新しい学科が もし慶應にできれば、非常にユニークなものになるのではないかと思います。

小林 有り難うございます。まさに今、そういうチャレンジをしようとしていて、どういう教育をすれば、そこを育った人たちが社会で活躍でき、社会のためになれるのかを、まさに我々も探っているところです。理工学部でやられてきたこと、そしてSFCでやってきたことを、これから一緒にやっていくことがとても大事ですし、そこにまた新しい教育分野が入ってくることを目指していきたいと思っています。

今日はお二人に、まさに慶應建築の系譜、歴史をお話しいただきました。この歴史を辿ることで、私たちにはまた未来が見えるのではないかと考えています。有り難うございました。

(本稿は、2019年7月19日、日吉キャンパス協生館藤原洋記念ホールにて、理工学部創立80年・藤原銀次郎翁生誕150周年記念イベントおよび慶應アーキテクチャプロジェクトの一環として行われた、対談「慶應建築の系譜」を編集して収録したものである。司会は、小林博人慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授が務めた。)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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