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【特別対談】「慶應建築の系譜」

2020/02/29

芸術家とのコラボレーション

谷口 父が最初に設計した慶應の建物は先ほど槇先生がお話しされた通り幼稚舎の本館で、1937年の私が生まれた年に完成しました。他に代表的なものを挙げていくと、これは、戦後に建てられた三田キャンパスの学生ホール(1949年⑤)です。

これは後に北門のところに移築されましたが、1990年代のはじめになくなりました。父はよく芸術家とコラボレーションをしましたが、この建築には猪熊弦一郎先生が壁画「デモクラシー」(⑥)を描きました。まだ戦後の暗い世の中にあって、猪熊先生の壁画は非常に明るい絵でした。その建築は今ありませんが、壁画だけは移されて、三田キャンパスの西校舎の生協食堂の中にあります。

 それは素晴らしいですね。

谷口 猪熊先生の壁画で有名なのは、上野駅にある大きな壁画「自由」です。当時、地方から東京に集団で就職に来た若者たちを、最初に迎えたのは、この明るい青春を謳歌する絵でした。現在もまだあります。

 あなたは、四国で猪熊弦一郎さんの美術館を設計しましたね。

谷口 そうです。四国の丸亀にある猪熊弦一郎現代美術館(1991年)を設計しました。

 非常に素晴らしい美術館で、谷口さんの親子の縁でつくられたものが今でも残っている。

谷口 父は慶應の建築を26棟設計しています。慶應病院の病棟(臨床研究棟)や、建築以外では「慶應義塾発祥の地記念碑」という碑が築地明石町にあります。私には3件しか依頼がありませんでしたけど(笑)。

 先ほど芸術家との交流があったとおっしゃいましたが、有名なのはイサム・ノグチとのコラボレーション、万来舎(ノグチ・ルーム)(⑦⑧)ですね。

谷口 猪熊先生は有名な画家であると同時に建築家や芸術家のパトロン的な存在でもありました。丹下健三先生を高松や広島に紹介なされたり、イサム・ノグチさんを父に紹介したのも猪熊先生です。

 槇智雄は、慶應の施設関係のことをやっていて、東急から土地を譲り受けて日吉キャンパスをつくることにも尽力しました。だから谷口先生の建築の中の何件かは日吉にあるわけですね。

⑤学生ホール
⑥壁画「デモクラシー」(学生ホール内)
⑦万来舎
⑧イサム・ノグチ(左)と谷口吉郎

谷口 そうですね。戦前に戻りますが、日吉の寄宿舎(大学予科寄宿舎⑨)は学生の新しい住まい方を提案している面白い建築です。これができたのは幼稚舎のちょうど1年後、1938年のことです。戦後、進駐軍に接収されてしまいます。

 そんなに早かったのですか。日吉は僕も非常に思い出があるんです。終戦の年に藤原工大の予科の1年生で日吉に行っていました。海軍の施設があったので、時々アメリカ軍の艦載機が飛んできて、皆で逃げた覚えがあります。8月15日も学校に行きましたら、先生が「今日は天皇陛下のお話があるから君たち、帰りなさい」と言われた。 そして、友達の家で陛下の玉音放送を聞いたのです。

小林 今、この寄宿舎3棟のうちの1棟(南寮)が、きれいに改修されて現在も使われています。

谷口 敷地の中にはローマ風呂(⑩)と呼ばれた、丸い大きなお風呂があったんです。そこが戦後は進駐軍がバーとして使ってまわりでダンスを踊っていた、という面白い歴史があります。80年も昔に、こんな設備がある、非常に斬新な寄宿舎をつくったわけです。これは幼稚舎の講堂、自尊館(1964年⑪)です。このあたりが、父の慶應での代表的な建築で、現存しているものです。

⑨ 日吉大学予科寄宿舎(慶應義塾福澤研究センター蔵)
⑩ 「ローマ風呂」(日吉寄宿舎内)(慶應義塾福澤研究 センター蔵)
⑪幼稚舎自尊館
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