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【講演録】漫画家の目から見た世界

2019/11/13

サバンナの真実

今の生態系で人間の絡まないものはほとんどないと言えます。ところがアフリカへ行って、360度の地平線の中で動物を見た時に、人間の関与しない自然というのは、こういうかたちで何百年も何千年も何万年も続いてきたんだな、ということが皮膚感覚で伝わってきます。アフリカに25回行って思ったのは、「シマウマの群れというのはいつも元気だ」ということです。なぜ、そんな元気なシマウマばかりいるのだろうか。シマウマだって病気にもなるし、ケガもするし、年も取ります。しかし、人間社会ではお互いに助け合い、みんなでいい社会をつくっていこうとしていますが、シマウマの場合、老人問題や障害者問題は全部ライオンに任せていたのです。年を取ったり、ケガをしたり、運が悪かったり、群れから脱落したものは、あっという間にライオンの餌食になってしまうのです。

逆に言えば、ライオンはいつもそんなシマウマばかり食べていて、元気なシマウマはなかなか食べられない。弱肉強食と言いますが、生態系はそのようなかたちでまわっている。いつ行ってもシマウマの群れは元気で、ライオンはいつもその周りをうろうろしています。そのような生態系の無慈悲を当たり前のように繰り返しながら、一見平和に見える、緑のきれいなサバンナの景色ができているということがしみじみ皮膚感覚で感じられます。

見ていると、肉食動物の狩りというのは成功率が非常に低い。これは当たり前です。食べられるほうは死にたくないから必死になって逃げる。しかし、食べるほうだって、食べ物に逃げられたら、おなかが減っているけど必死に追いかけなければいけません。肉食動物というのはそのような経験を毎日しているわけです。これは大変なことです。

生態系は肉食動物と草食動物のバランスの中でできています。草食動物が増え過ぎて植物を食べ過ぎても環境が大きく変わる。そうすると草食動物も生きられない。それを調整するのは肉食動物です。でも肉食動物が増え過ぎても、今度は草食動物の数が減ってくる。植物、それを食べる草食動物、さらに肉食動物、そのバランスの中で生態系ができているわけです。その中で環境が変わっていくと、少しずつ植物や動物が変化し、そのような形で進化というものがあるのだろうと思います。

そのことがよくわかるのが実は恐竜の化石です。ある種が生まれてある種が滅びると、その種と置き換わるように違う種が出てくる。恐竜時代はいろいろな恐竜が出てきては滅びながら、2億年近く栄えてきました。それが今から6500万年前にすべての種類が大絶滅したのです。不思議なのは、隕石がぶつかって環境が変わったとか、火山の噴火があって地球環境が変わったと言われますが、6500万年前の地層に恐竜が折り重なって死んでいるものはありません。6500万年前を境に恐竜の化石が出なくなるだけです。

その後しばらくはあまり大きな動物がいなくなります。そしてその後、恐竜時代を生き残った哺乳類が新世代になると多様化し、今まで恐竜が占めていた生態系をなぞるように、ゾウになったり、ラクダになったり、カバになったりして大進化をしていきます。

生物進化の歴史を漫画家の視点で考える

恐竜も哺乳類も、先ほどのモアイ像と同じでだんだん大きな種類を生み出すようになります。以前は恐竜は大型化しすぎて滅びたと言う人もいましたが、それは逆です。繁栄しているから、その環境の中で大きくなることができた。哺乳類もそうです。大型の哺乳類はたくさんいましたが、氷河時代の寒冷化を迎えた時に大きな種はいなくなりました。それと同時に出てきたのが人類です。

進化というのは、目的があって進化したのではなく、偶然の積み重ねで、いろいろな種が出てきたのだと言われますが、人類の誕生を見ると、どうもそうとばかりも言えないような気がしてくるのです。

諸説ありますが、35、6億年ぐらい前に単細胞の生物が出てきて、地球上で生まれた生物がだんだんいろいろな種類を生み出すようになります。すべての動物が地球のありとあらゆる環境の中に進出しようとして生物としての機能を発達させてきました。恐竜の時代は恐竜という1つのシステムを持った動物たちが、森の中にも、高い山にも、砂漠にも、草原にも、海の中にも進出しようとしました。それが大きな環境変化で滅びた後も、今度は哺乳類が自分の体のデザインをどんどん変えて、いろいろな種を生み出し地球のありとあらゆる環境に進出しようとしました。地球で生まれた生物はいつも自分の生きる場所を広げようとしています。でも、いくら広げようとしても地球という器からは絶対に出られません。

ところが人類は、初めて自分の体のデザインを変えないで地球のありとあらゆる環境に進出することができました。空を飛ぶには飛行機を使う。水の中にも潜水艦で入ってしまう。陸上で速く移動するために鉄道や自動車をつくった。人間以外の哺乳類は自分の体の中でエネルギーをつくり、ものを考えたり動いたりしてきましたが、人間は外部にあるエネルギーを利用することを覚えたのです。火を使って、そのエネルギーで熱を得て、食べ物を食べやすくする、土器をつくる、金属を溶かしていろいろなものを加工し、やがて電気を生み出して外部のエネルギーを使って、複雑な社会をつくるようになりました。今ではネットを使って情報ですら全人類で共有しています。

人間にとって自分の体を変えずにあらゆる環境に進出できるということは、自分に都合のいい環境をカプセルにすれば、海の中だろうが、宇宙空間だろうが、生存できるということです。それにロケットを付けて地球から打ち出せば、地球で生まれた生物が初めて地球の表へ出られるわけです。

人類が地球外に出られるということは、ほかの地球の生き物も連れていくことができます。地球で生物が生まれ、試行錯誤しながら地球上のありとあらゆる環境に広がっていきましたが、どうしても地球の外には出られなかった。それが人類の誕生により、初めて、地球で生まれた命をその外に広げていくことができるようになりました。これはすごいことではないでしょうか。もしかしたら生物の進化というのは、はじめから地球以外にも出たい、そのためには人類を生まなければいけないというような方向性があったのかもしれない。漫画家の妄想ですが、そのような見方も恐竜や動物を見ていると感じるのです。

いま動物保護や環境問題などいろいろ言われていますが、環境問題というのは、つまり人類にとって都合のいい環境を守りたいだけです。地球の歴史を見ると、この100年くらいを見るとそんなに変わっていないように思いますが、1000年単位で見るとすごく変わってきています。1万年前は氷河時代で日本にもナウマンゾウなどのゾウがいました。北海道にはマンモスもいました。環境問題というのは、もう少し長いスパンで見ていかないといけないと思います。この100年ぐらいのことを基準にして、それを守るのが環境問題だという狭い視野の科学力では対応しきれないかもしれません。

そこで結論です。まず、若い人には海外に行っていろいろな角度で物事を見て、地球の歴史、生命の歴史という長いスパンでものを見てもらいたいと考えます。そのために、ぜひアフリカのサバンナにも足を運んでもらいたい。サバンナの地平線の中で朝日と夕日を迎えるのは最高です。夜明けの寸前にジープで平原に出ると地平線から太陽が上がっていく。お尻を出していなくても顔が温かくなります(笑)。鳥が一斉に飛び立っていく。朝帰りのハイエナとかライオンが骨をくわえて歩いている。これが自然だったんだ、こういう中で昔、僕たちの祖先も生きていたんだと、実感できます。

15万年から20万年ぐらい前、アフリカで生まれたホモサピエンスが世界中に広がったと言われていますが、その魂の故郷を感じます。いろいろな意味でそこには原点があります。その中で人間が手に入れたもの、これから目指さなければいけないもの、いろいろと考えることができると思います。そんな現場に身を置いて、物事を多角的に見て感じてもらいたいと思います。

今日は、ご清聴有り難うございました。

(本稿は2019年7月1日に行われた第708回三田演説会での講演を元に一部加筆修正したものである。)

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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