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【講演録】反グローバル主義とポピュリズム政治

2019/08/09

白色革命家、ビスマルク
こうした考え方自体をポピュリズムと呼ぶのは語弊があるでしょうが、少なくとも当時の支配層の目には、大衆を動員し、秩序の動揺を生む危険要因に映ったのだろうと思います。大久保利通、木戸孝允、伊藤博文、そして岩倉具視らエリートは、ナショナリズムが国内産業を興す力になりうる半面、対外的な政治や軍事の均衡を脅かしかねない危険な力になりうることも理解していました。そこで、彼ら自身は、微妙なバランスの調整に苦心しました。

岩倉たちが薫陶を受けたビスマルクが、まさにエリートの立場の代表者でした。冷戦期のアメリカ外交に大きな影響を与えたジョージ・ケナンは、ビスマルクを次のように評しています。「ビスマルクはドイツの『ナショナリスト』ではなかった。有能であり、強大な権力をもっていたが、彼は君主──はじめはプロイセンの、後には新生ドイツ帝国の君主──に仕える忠実な臣下だった」(『The Decline of Bismarck’s European Order』)。つまり、彼は典型的なエージェントでした。ただし国民のではなく、君主のエージェントだったのです。

ビスマルクは1871年にドイツ帝国をつくり上げ、その2年後、73年3月16日にベルリンで日本の使節団と面会しますが、そのときの講演が『米欧回覧実記』に記録されています。

「現在、世界各国はみな親睦の念と礼儀を保ちながら交際している。しかし、これは全く建前のことであって、その裏面ではひそかに強弱のせめぎあいがあり、大小各国の相互不信があるのが本音のところである。……(中略)……
かのいわゆる『万国公法(国際法)』は、列国の権利を保全するための原則的取り決めではあるけれども、大国が利益を追及するに際して、自分に利益があれば国際法をきちんと守るものの、もし国際法を守ることが自国にとって不利だとなれば、たちまち軍事力にものを言わせるのであって、国際法を常に守ることなどあり得ない。小国は一生懸命国際法に書かれていることと理念を大切にし、それを無視しないことで自主権を守ろうと努力するが、弱者を翻弄する力任せの政略に逢っては、ほとんど自分の立場を守れないことは、よくあることである。わが国もそのような状態だったので私は憤慨して、いつかは国力を強化し、どんな国とも対等の立場で外交を行おうと考え、愛国心を奮い起こして行動すること数十年、とうとう近年に至ってようやくその望みを達した」(『現代語訳 特命全権大使 米欧回覧実記』慶應義塾大学出版会)。

そして、この話を記録した久米邦武は「両国の使臣たちが一堂に会している中でのこのスピーチは、たいへん意義深く、ビスマルクの弁舌のすぐれていること、政略にたけていることがよく認識できた。よくよく味わうべき言葉だったと言うべきであろう」と結んでいます。

実はその当時、ドイツ国内ではほとんどの人がビスマルクの考えを理解できませんでした。彼は革命的な考えを持つけれども絶対王権主義者であり、同時に絶対王権主義者から見ればあまりに革命的な思想の持主であり、何を考えているか分からなかった。それなのに、伊藤や大久保たち、特に木戸は素直に感心するわけです。

なぜ、彼らはビスマルクを理解できたか。この謎を解くには、もう1人の重要なアメリカの外交家、ヘンリー・キッシンジャーがビスマルクを評した「The White Revolutionary(白色革命家)」という論文がヒントになります。

「白色革命家」とは、反体制派(赤色)ではなく、「王党派の革命家」という意味です。明治維新は王政復古であり、過去の体制に戻りながら国内を統一するという革命を行ったわけですから、ビスマルクのような白色革命家の立場は非常に分かりやすかったと思います。

制度は天才に敗れる?
ちなみに、この論文が書かれたのは1968年ですが、その中に次のようなくだりがあります。試しに、いったんビスマルクのことを忘れ、ドナルド・トランプ氏を思い浮かべながら読んでみてください。

「革命的であるとは、どういうことか? この質問への解答が『曖昧』でなかったなら、ごくわずかな者しか革命家として成功しないだろう。革命家が何を目的にしているかを理解できるのは、後世のものだけである。……(中略)……『エスタブリッシュメント』が、そこで根本的な挑戦が起こっていることを理解できないのである。……(中略)……その結果、革命家の『革命性』についても、疑問の余地があることにされる。たとえ革命家が、社会に対する根本的な挑戦を明言していても、それは駆け引きのために、誇張した発言をしているに過ぎないと見做されるのだ。……(中略)……安定が長期にわたり続いたことの結果として、『変革』とは既存の枠組みの調整の形を取るものに過ぎず、既存の枠組みそのものを破壊するものではないという『幻想』が生まれる。
……(中略)……いかに堅固な保守的基盤も、限界を超えた『挑戦』に遭遇するなら政治、社会を管理する枠組みを喪失する。なぜなら、制度とは平均的な行動を基準にして設計されているからだ。……(中略)……制度が、『天才』や『悪魔的な才能』に対応できることは稀である。もし、社会の対内的、対外的な地位を維持するために、その社会がどの世代においても『偉大な人物』を必要とするようなら、そのような社会は崩壊するのが確実だ。なぜなら、『偉大な人物』が出現するということ、いやそれ以上に『偉大な人物』の存在が認識されるということは、幸運に依存するからである」。

ビスマルクは破壊一方のトランプ氏と違い、ドイツ統一という大事業を成し遂げた政治家ですが、この表現はトランプ革命の理解にも役立つと思います。三権分立が制度的に確立しているアメリカ社会にあって、トランプ大統領は行政府の長にすぎません。しかし、彼は司法と立法に「挑戦」し、制度が社会を管理する能力を破壊しようとしているわけです。例えばメキシコとの国境の壁建設についても、本来なら連邦議会で国家予算を決めるところを、彼は非常事態宣言を発令することで議会の予算決定権を迂回する。

制度は、平均的な負荷が課されているうちは大丈夫ですが、想定外の強力な負荷が課されれば壊れてしまいます。

「オズの魔法使い」とポピュリズム運動
さて、「ポピュリズム」を論ずるにあたり、歴史上で明示的に「ポピュリズム(人民主義)」と呼ばれた政治運動についても一言お話しておきましょう。

アメリカにウィリアム・ジェニングス・ブライアンという政治家がいました。彼は1896年、1900年、そして1908年と3回の大統領選挙に出馬し、すべてに敗北します。1896年の選挙では、彼は当時の金本位制に挑戦し、銀を本位通貨に加えるよう訴えました。その頃、アメリカはデフレに陥っていたので、金と銀の両方を準備として紙幣を発行することができれば、マネーサプライが増えてインフレが起こり、農民の苦労が緩和されると考えたのです。

ブライアンはまた、不朽の名作『オズの魔法使い』のモデルとなったことでも知られます。そもそも「オズ」とは金の目方であるオンス(表記は「OZ」)のことで、「オズの魔法使い」は金本位制を支持する金融街(ウォール街)を指しています。それに挑戦する少女ドロシーはミッドウエストに位置するカンザス生まれ。当時も今もポピュリズム運動の支持基盤で、ウォール街には反発する風土です。

ドロシーは、知恵がない案山子(農民)、心を持たないブリキ男(工業労働者)、臆病なライオンという仲間を連れ、黄色いレンガの道(yellow brick road)をたどってエメラルドシティに向かいます。黄色は金本位制の象徴、エメラルドシティはワシントン、そして臆病なライオンがブライアン自身です。もっとも、実際のブライアンは有名な雄弁家で、その演説によって一夜にして大統領候補になった人です。

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