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【講演録】反グローバル主義とポピュリズム政治

2019/08/09

第1次大戦まで──エリートが不眠症になった時代

エリートは眠れない
第1幕は、第1次大戦以前の1860年から1913年頃まで、この時期はまさに「エリートの時代」でした。エリートが政治の主たるプレーヤーであり、彼らが目指したのは既存システムの維持でした。

この時代はエリートが不眠症に悩まされた時代でもあります。例えば伊藤博文やプロイセン=ドイツのビスマルク、ロシアのセルゲイ・ヴィッテなどの伝記には、「不眠症」という言葉が頻繁に出てきます。

伊藤博文を見てみましょう。1881(明治14)年、井上馨が佐々木高行に伊藤の様子を語っています。「神経症差し起こり、毎夜不眠、酒1升も飲みて、漸く寝に就く」と。また1898(明治31)年には、松方正義が「顔色も憔悴し、どうも本気のようじゃない。兎も角、君は大磯にでも行って、健康を養ったら善かろうといった所、伊藤はしきりに法衣を着て、法師になるというていた」と語っています。

一方、ビスマルクの伝記には、彼が友人であったファン・ルーンという軍事大臣に手紙を送るくだりが出てきます。「1869年までビスマルクの憤激と心気症は大きく進行し、彼は辞任するという脅しを再び使い出した。『私の病気はひどく進行しており、胆嚢の病を抱えている。ここ36時間一睡もできず、吐き続けている。私の頭はまるで氷嚢の中に突っ込まれた焼けたオーブンのように感じられる。恐らく、間もなく正気を失うだろう。』」と。

彼らエリートが国家の重責を担い、大変なプレッシャーに晒されていたことが窺えますが、半面、病気は彼らにとって武器にもなりました。つまり伊藤が辞めると、行政が進まなくなるので「言うことを聞くから辞めないでくれ」と周囲が折れ、伊藤の意見が通るという計算がありました。

グローバル化の進展
彼らが晒されていたプレッシャーの背後には、2つの同時に進行する現象がありました。1つはグローバル化、もう1つはナショナリズムです。彼らは19世紀が抱えたこの根本的矛盾の中で、内外のバランスを保ち、体制を維持しなければならない難しい立場にいたのです。

グローバル化の進展については、ジョン・メイナード・ケインズの『The Economic Consequence of the Peace(平和の経済的帰結)』の表現が実に鮮やかです。

「1914年8月に終わったのは、なんと素晴らしい人類の進歩の時代だったことだろうか……。ロンドン市民は、ベッドで紅茶をすすりながら、電話を使って世界中からの商品を、望むままに注文することができ、自宅のドアの前にそれが間もなく送られることを、当然のこととして期待できた。彼はまた同時に、同じ方法により自分の財産を世界のいたる所の天然資源や新企業に投資し、さして苦労せずに、その成果や利益の分け前を得ることが期待できた……(中略)……だが、もっとも重要な点は、彼がこのような状態を、正常で、確実で、恒常的と……(中略)……みなしたという点である。……(中略)……社会や経済の動きの国際化は、ほぼ完璧だったからである」(拙訳、以下同)。

この文章で、ケインズは、それまで当然のように進んでいたグローバル化への流れが、1914年8月、サラエボでのオーストリア皇太子暗殺事件によって、一種の自然災害によるように突然断絶したと言いたいのだと思います。

しかし、必ずしもそうではないと思います。戦争へと向かう動きは、グローバル化の中でナショナリズムの高揚とともに同時に進んでいった。つまり、ナショナリズム、民主政治への動き、軍国主義という3つの要素が三位一体となって進行していたのです。

ナショナリズムの台頭と戦争
軍事史研究者のギュンター・ローゼンバーグによれば、戦争が、「『君主』に関連した出来事から、『国家』に関連した出来事へと変化」する大きな契機となったのは、フランス革命とナポレオン戦争でした。

かつての啓蒙君主は、「期待効用最大化の原理に大まかに従い、費用対利益の計算のもとに『戦争』もしくは『平和』を決定」し、戦闘も「『傭兵からなる常備軍』に任されていた」ため、戦争に際して「国民の意思が問われたこともなければ、彼らが武器を取ることを期待されたこともなかった」。当然、戦争において「国家間の対立感情」は「少なくとも前面には立たないもの」となり、「人手、補給、財源が限定されていたために、戦闘行為は厳しい制限の下」で行われることとなります。しかし、フランス革命によって、国民が「市民」の地位を得ると、「国民は戦争への積極的参加者」となり、戦争には「国家の総力」が傾注されることになりました(The Origin and Prevention of Major Wars, JIH, 18 (4))。

つまり、啓蒙君主時代の戦争とは一種のビジネス投資で、君主の自己資本がある領土の征服に向けられるので、財源が尽きたり、投資から期待した成果を得られないと判断されたりした時には、さっさと終わるわけです。

ところが、国民が国家の主体的な構成員である市民(citizen)として登場してくると、人々には戦争に参加する権利と義務とが生じるようになります。そして戦争も、国の名誉、存亡、あるいはシステムの存続をかけた闘いに変わっていったのです。18世紀の終わりからは、戦争とナショナリズムは表裏一体になったと言えます。

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