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【特別記事】メルケル首相、塾生と語る

2019/06/12

移民・難民問題について

学生12 経済学部3年です。首相に難民問題についてお聞きしたく思います。ドイツ、またEUにおいては、難民受け入れに関してさまざまな意見が対立していると思います。日本では、移民はある程度受け入れる政策がとられ始めたものの、難民の受け入れ率はごく低く、現在のEUの難民受け入れの状況などを考えると、あまり体制が整っていないという印象を受けます。

日本では歴史的な背景を踏まえると、どうしても安定志向や平和主義という価値観に起因するのかなと思いますが、それが難民問題の政策にとってネックになるとすれば、日本の政府としては、教育政策など、どのようなことが考えられると思いますか。

メルケル ヨーロッパでは極めてさまざまな現象が起こっています。EU内部では移動の自由が認められています。ルーマニア人でもブルガリア人でもマルタ人でも、域内の他の国に働きに行って、そこでお金を稼ぐことができます。それによって非常に大きな人の移動が起こります。今のようにドイツ経済が好調だと、毎年50万人が他のEU加盟国からやって来ます。特に多いのはポーランドやルーマニア、ブルガリアです。子どもたちはドイツ語ができないため、学んでもらわねばならないなど、大変なこともあります。これは移民であり、労働移民であり、社会への統合という課題を私たちに突きつけています。

その他、ドイツは1960年代初頭にトルコ出身者をいわゆる外国人労働者(ガストアルバイター)として受け入れました。今ではその第3世代、第4世代がドイツに暮らしています。イタリア人、スペイン人、ポルトガル人もいますが、中でもトルコ出身者は300万人がドイツに暮らしています。しかしこの人々の場合、社会統合が果たしてよりうまくいっているのか必ずしも明らかではありません。うまく溶け込んでいる人々もいますが、今でも妻となる人をトルコ、アナトリア地域から呼び寄せる人もおり、世代を経ても期待されているほど統合が進んでいるとは言い切れないのです。

また、ユーゴスラビアの解体に伴って発生した西バルカンの紛争の影響で、非常に多くの難民が1990年代、そして2000年代にもやって来ました。バルカン地域では思うように情勢が好転しなかったのです。彼らは、非合法の移民あるいはまさに戦争難民としてやって来ました。多くの人は戦争が終わると国に帰りましたが、ドイツに留まった人もいます。

それから私たちはシリアの内戦とイラク国内の状況、つまりISというイスラム原理主義によるテロに非常に大きな影響を受けました。ここで、私たちは間違いも犯しました。避難民キャンプの状況は、紛争勃発から5年経っても基本的に悲惨なものだったのです。

シリアの人口は2000万人ですが、その半分が避難の途上にあります。そのうち半分は国内避難民で、もう半分はレバノン、ヨルダン、トルコに逃れています。そこでの生活条件は非常に劣悪で、誰も難民にきちんとした手助けをせず、そのうちに貯金も底をつきました。そうした状況を見て動いたのは不法渡航仲介業者、悪徳ブローカーで、彼らは人々の最後の所持金を搾り取ってヨーロッパへと送り出したのです。状況は無秩序な形で進みました。そのツケを難民に負わせるべきではないと考え、私たちは多くの人々を受け入れました。

もちろん、これがいつまでも続けられるわけではないことも明らかでした。そのためEUはトルコと協定を結び、資金提供をすることでトルコが難民によりよい処遇を与えられるようにしました*13

これによって合法的な進め方を見つけたわけです。つまり、難民の中でとりわけ助けを必要とする、例えば治療が必要な難民がいるのであればその支援を私たちが行いましょう、ということですが、しかしこれはあくまでトルコとドイツの間、あるいはトルコとギリシャの間で取り決めることであって、誰がヨーロッパに来て誰が来られないかを悪徳ブローカーたちが決めるようなことを許してはいけないのです。そんなことをすれば、来るべきでない人も来てしまう。逃亡の途上で苦しみ、亡くなる人もいます。誰がヨーロッパに来るか来ないかを不法渡航仲介業者や悪徳ブローカーが仕切って決めるようなことは、容認できません。

合法的な手続きに基づいていることを常に確認したうえで、ある国が別の国を支援する体制の確保を図っていかなければならないのです。それは国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)などの難民機関を通じて行うことが可能でしょう。非合法の難民に対しては、毅然として対処していかなければなりません。これをゼロにすることはできませんが。そこで私たちは、例えばリビアで沿岸警備隊の教育訓練を共同実施しました。ブローカーのボートに乗ってもリビアに戻されるのだから、乗っても意味がない、という印象を人々に持ってもらうことが狙いです。私たち自身が、国連の難民機関と共同で、誰を受け入れ、誰を受け入れないかを決定していくのです。

こうした状況の中でも、いろいろな国からなるヨーロッパはよりオープンになっており、そこから就業の可能性が生まれています。もちろん文化が似ているとはいえ、いろいろな違いもあります。例えばスウェーデンとポルトガルやギリシャの間には大きな違いがありますが、言語の面でも文化の面でも、ヨーロッパには幅広いスペクトルがあるということなのです。

長谷山 有り難うございました。今日は、当初はAIやIoTを使ったテクノロジーを中心にした話題を予想していましたが、実際には皆さんの活発な質問によって、国際政治から東アジア情勢、女性の社会進出など、さまざまな問題について、首相から大変明確で率直なご意見を伺うことができました。ここには留学生を含めて大勢の学生がいます。どうぞ皆さん、今日首相といろいろな話をしたことを刺激にして、これからまた慶應義塾での学問やさまざまな活動に励んで、よい人生の糧にしていただきたいと思います。それでは首相に大きな拍手をお送りしましょう。(拍手)

メルケル 私の方からも心からの御礼を申し上げたいと思います。皆さんに期待したいのは、とにかくオープンに世界を見ることです。ここには多くの交換留学生の方たちもいます。言語は私たちを分け隔ててしまうものではなく、言語を学んで、それによっていろいろな文化を知ろうとしてください。こうして、人々の相互理解が進むのを見れば、政治家の相互理解も進むでしょう。

皆さんの今後のご健闘をお祈りしています。(拍手)

(この対話は2月5日、三田キャンパス北館ホールにて行われた「ようこそ慶應義塾大学へ—メルケル首相、塾生と語る:Herzlich willkommen an der Keiō Universität — Besuch von Bundeskanzlerin Dr. Angela Merkel」の録音を翻訳し、ドイツ連邦共和国大使館の協力も得て編集したものである。ドイツ語部分は、三瓶が訳出し、訳注を加えた。掲載にあたって、読みやすさと事実関係の正しさを確保するために、適宜変更や修正を加えてあることをお断りする。)

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