三田評論ONLINE

【その他】
【特別記事】メルケル首相、塾生と語る

2019/06/12

ヨーロッパの安全保障

学生10 法学部政治学科1年です。私は父が日本人で母がルーマニア人なのですが、数年前に起きたクリミア危機には、日本に住んでいながらもヨーロッパ人の一人として、大変大きな衝撃を受けました。

私はメルケル首相にヨーロッパの安全保障についてお伺いしたいのです。先月フランスとのアーヘン条約を結んだ際に、メルケル首相の「欧州軍の創設に貢献していきたい」との発言をニュースで拝見しました。これからヨーロッパが外国からの干渉とか圧力を受けるときに、ヨーロッパ全体として、またドイツとして、どのように脅威に向かって行くのかをお伺いしたいです。

メルケル EUの基礎となっているリスボン条約にすでに記されていますが、ヨーロッパ諸国には相互援助の義務があります*9。例えばフランスで恐ろしいテロ事件があった時に、フランスはヨーロッパ全体に協力を要請しました。フランスが警察官と兵士を自国に戻せるように、ドイツはマリに兵士を派遣して、困難な状況にあるフランスの負担を減らしました。ヨーロッパの他の国々についても同様の対応が期待されています*10

EU加盟国すべてがNATO加盟国であるわけではありませんから、NATOに加えて、いわゆる防衛政策分野における構造協力(訳注:恒常的構造防衛協力、英語名称の略語でPESCOとも)を立ち上げて、将来的には独自の兵器システムを設計します。それによって、欧州共通の戦略文化を構築していきます。例えばアフリカでは様々な活動が行われることになるでしょうが、欧州と米国・カナダの関心は異なっているため、NATOとしての出動とはならないでしょう。なにしろアフリカは欧州のすぐ隣に位置する大陸です。EU加盟国であるマルタからは対岸のチュニジアを望むことができ、ひとまたぎの距離なのです。したがってこれについては、密接な協議を行っていくことになるでしょう。

とはいえ、ロシアやその軍事力といった防衛に関する高い次元の問題については、依然NATOに依存しています。私たちが構築しようとする欧州としての防衛活動はNATOに対抗するものではなく、NATOを強化するためのものであり、必要な場合は独自に行動できるようにするものなのです。

医療分野での個人情報の活用

学生11 私は医学部の博士課程で学んでいます。昨今、医療分野においてもメディカルAIやビッグデータの活用が非常に期待されています。私は本塾の医学部を卒業後、アメリカのハーバード大学の大学院に進んで、大規模なコホートデータを用いた疫学研究に従事してまいりました。アメリカは非常に自由な、オープンな研究体制を持っていると思うのですが、日本はそれと比較すると、個人情報保護の観点が、研究やデータシェアリングの障壁になっているように感じます。

一方ドイツでは、データプロテクションを非常に強く行いながらも、インダストリー4.0*11のもと、世界に先駆けたデータシェアリングの部分、IoTの普及でも素晴らしい社会構築をされていると思いますが、データプロテクションとデータシェアリングの両立をどのようにして図ることができたのでしょうか。

メルケル まず匿名データと非匿名データを区別して考えなければいけないでしょう。医学にとっては、匿名化されたデータが極めて重要だと思います。そこから、経験豊かな医師の能力をはるかに超える形で、全く新たな知見を得ることができるからです。皮膚ガンなどが最もわかりやすい例でしょうが、その他にも早期発見とよりよい治療に繋がる数多くの適用例があります。ドイツにはもちろん個人情報保護の制度がありますが、まさに医学においてはその方向で進めています。スカンジナビア諸国はもっと進んでいて、免疫学分野などでも多くのデータを集め、それによって予防等に関する貴重な知見を得ています。

個人情報に関しては当然、本人の同意があることが重視されなければなりません。今日、グーグルやフェイスブックを使えば、これらプラットフォーマーはあらゆる人のデータを入手しているので、これら膨大なデータや個人の位置情報を使えば、匿名のデータですらまたたく間に個人の特定が可能です。誰のデータかを判別するのにそれほど手間はかからないのです。

そこで私たちは今よりはるかに個人情報について意識を持つ必要があるでしょう。いわば人間が農耕時代から時を経て都市に出てきたのと同じような時代に生きていると言えるのです。昔の農村では家に鍵を掛ける人はいませんでした。誰でも家の中を覗くことができたのです。都市に出るようになってからは、ちゃんとした鍵を使うようになりました。それと同じように、現在ではちゃんとしたパスワードをきちんと設定しておかなければいけない。ドイツで最も多い「1234」のような、あるいは2番目に多い「Hallo」のようなパスワードを使っていたら、誰にでも大事な情報にアクセスされてしまいますよね(笑)。

一方で、私たちはデータの利活用に不安を持ってはなりません。特にインダストリー4.0の分野では、すべてのモノがデータのやり取りをし、デジタル化されていきますが、それ自体は悪いことではないはずです。しかし他方で、自身の個人情報の強力な保護を確保したいのであれば、それだけ力を注いでいかなければならないでしょう。そうすることで、個人の様々な医療情報などを自身の手元で保有するのです。またそうするメリットもあります。つまり、個人の電子カルテなどの場合、「実は誰でもアクセスできるのでは?」と不安に思う人もたくさんいますが、実際はメリットがあります。ヨーロッパでの先進例はエストニアです。エストニアではあらゆるものがデジタル化されており、電子カルテを見るにはパスワードが必要ですから、誰がアクセスしたかはあとで確認できるのです。それに対し、病院で誰かがあなたの紙のカルテを抜き取って読んだとしても、それが誰だったかは決してわかりません。このように、デジタル化はデータ保護を強化する面もあるのです。いずれにせよ、どの国もメリット、デメリットのバランスをとっていかなければなりません。

なお、すべてのヨーロッパ諸国に適用されるEU一般データ保護規則*12が導入されました。欧州共通というものの、まだ各国で若干異なる取り扱い方をしているようで、現在は試行錯誤の段階です。いろいろ笑い話もあります。例えば政党が党員に集会の案内状を書面で送ろうとする時、書面が送られることを了承した党員にしか送ることができなくなりました。知っている人であっても、案内を送ると住所のデータが集められてしまうので送れない。一人一人に案内状を送ってもよいかどうか、了解を求めて尋ねなければならず、最初はとても大変です。でも結局は、これによって新しい文化が生まれるでしょう。データを使うことで、本人が望んでいないかもしれないことまでできてしまうのだ、という意識が広がるからです。

ここでは、日本の取り組みにも期待しています。中国ではデータはすべて国家のもの、米国ではデータはみな企業のもので、これは両方ともよろしくない。操作される危険性があります。ですから、よりよい情報保護の施策を考えることが望ましいのです。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事