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【講演録】インターネット文明論之概略

2019/04/09

インターネット、社会へ

知識・情報の世界共有基盤

「世界の大学が情報ネットワークでつながる」。このことは、大学に大きな変化をもたらしました。大学の第一の仕事は研究です。研究者が論文を書いて、学会が運営する学術雑誌に投稿します。すると、例えば「条件付き採択」といって査読者が注文を付けてくるので、書き直して、また送ります。これを繰り返して論文が何本か掲載されると、やがて博士号を取得できます。ただし、論文が採択されてから雑誌として出版されるまで、私たちの分野ですと、ゆうに半年はかかります。そうすると、何本かの論文を書かなければいけないので、博士号を取得するまでに少なくとも3年〜5年もかかることになります。

この他、アカデミズムが知識を共有する場として、国際学会があります。慶應でも多くの国際学会をホストしていますが、世界中の研究者が飛行機に乗って集まり、ホテルに泊まり、学会に参加するわけです。大変に費用がかかります。しかし、大学がインターネットでつながれば、このコストが格段に下がります。

現在では、インターネット上で論文を共有し、会議を行うこともできます。国際会議も論文誌もどんどんオンライン化されています。最新の研究成果が世界中で瞬時に共有できて、コストもかからない。大学こそがインターネットの最大の恩恵を受けたのですが、これはインターネットの特性を考えれば、当然のこととも言えます。なぜなら、インターネットは人間の知識と情報の共有基盤だからです。この「知識・情報の世界共有基盤」が大学から生まれ、大学が活用し、世界に提供してきたという歴史は、インターネットの役割を考える上でも、とても重要だと思います。

産業・生活の技術へ

そして、こうしたインターネットの恩恵は、産業分野にも生活分野にも、速やかに伝播していきました。

例えば1990年、ティム・バーナーズ=リーという人がWWW(ワールド・ワイド・ウェブ)を発明しました。これはインターネット上に散らばる文書を結び付けて相互に参照できるようにするためのプラットフォームです。バーナーズ=リー氏はスイスのセルン(CERN:欧州原子核研究機構)という研究所で研究者間の情報共有システムを開発していたのですが、それが後の「ウェブ」に発展し、そこから今日のグーグル(Google)など検索エンジンの誕生につながっています。

また、WWWはAIの進歩にも大きな影響を与えます。WWWは、インターネット上にある大量の論文にいくらでもアクセスできるようになっていきます。ある事柄に関する論文をソフトウェアがロボットのように集めてきて、分析することができるのです。これを利用すれば、膨大な情報を分析して、多くの知性や情報を生み出すことができます。これがAIの開発を大きく後押ししました。

ビッグデータ、ディープラーニングと呼ばれているものも、その基盤にはインターネットの整備と検索機能の進歩があります。今日ではツイッター(Twitter)上の情報を分析して、マーケット予測をする研究も生まれています。

ユニークな例としては、高校生による花粉症のつぶやき研究などというのもあります。私たちが用意したデータを使って、ツイッター上で「花粉症」「鼻水」「涙」といったキーワードを集めて分析してくれたのです。気象庁が花粉の位置情報の予報を出していますが、その予報とツイッターでのキーワードの使用頻度やその移動が見事に一致しました。のみならず、その高校生は男と女で反応に差があることを発見します。この知見が、やがて医学的な研究成果につながる可能性もあります。

インターネット上では、圧倒的に低いコストで膨大なデータを収集・処理することができます。このことは、学問のみならず、社会のどの分野にも大きなインパクトと、そして恩恵を与えています。

ちなみに、慶應義塾でSFCが開設されたのも、まさに1990年でした。インターネットの基盤技術は、おおむね90年頃までに完成の域に達し、その後、急速に進歩しながら社会へ広がっていったということが分かります。

日本はネット開発で負け続けている?

私はときどき「インターネットはGAFA(Google, Apple, Facebook, Amazon)のようなプラットフォーマーに牛耳られて、日本は連敗じゃないか」といったお叱りを受けることがあります。いちいち反論しませんが、これも事実ではありません。GAFAにも、日本の知恵がたくさん生かされています。

そこで、インターネットの開発における日本の貢献について、少しご紹介しておきたいと思います。この90年代、日本は非常に大きな貢献をしているのです。

例えば、ブラウザで何かのドキュメントを見るとき、中国語のドキュメントは中国語で、英語は英語で、フランス語はフランス語で見られます。実は、このインターネットにおける多言語環境は、日本が先導して作ってきたものです。

それと言うのも、2000年頃まで、インターネットのユーザー数が多かったのはアメリカと日本でしたが、アメリカのコンピューターサイエンスの専門家たちは、英語を話さない人が地球上に住んでいるなんて気付きもしないような人ばかりだったのです(笑)。

たしかに、計算をするときの「go to」とか「if」といった指示はアルファベットで構いませんし、研究者は論文程度の英語が読めればよかったので、あまり気にする必要がありませんでした。ところが、コンピューターが人間の生活や知恵を支える道具として使われるようになると、言語は重要な問題になります。

英語を日本語にするということは、大変な仕事なのです。かつて、先述のデニス・リッチー氏と「C言語」というプログラム言語について議論したことがあります。C言語には文字を取り扱う「char型」という変数あって、8ビット、つまり256通りの表現ができます。私はデニスに言いました。「デニス、charってどういう意味だよ」「おまえ、そんなことも知らないのか。character(文字)に決まっているだろう」「そこは分かっているよ。characterがどうして256通りしかないと思うんだ」。すると彼は「256もあれば十分じゃないか」と言うのです。しかし、日本語では漢字・仮名を合わせて少なくとも6千字は必要なのだから、8ビットでは収まりません。

「じゃあ、どう作り直せばいいのか、考えよう」ということで、ソフトウェアの国際化の技術を研究する分野が誕生しました。これを「INTERNATIONALIZATION」というのですが、20文字もあって長いので「I18N」と書いて、「インターナショナライゼーション」と読みます。この研究は日本語をいかにしてコンピューターの中に表現するかということから生まれています。

当初は、ソフトウェアができるたびに日本語化しなければならなかったので、非常にコストがかかりました。ですから、国際標準を作る舞台に行って、「世界にはこれで困る人もいるのだから、標準の元を直せ」と言わなければいけません。私はいわば、その切り込み隊長役でして(笑)、中国や韓国、アラブ諸国を口説いて「日本だけが我がままを言っているわけじゃない、世界を見ろ」と言って、国際標準を変えるための仕事をしてきました。ですから、日本の功績は大きいのです。

ただし、出来上がったソフトを配信する段になると、ビルに頼んでバークレーから送ったり、MITのⅩ Windowプロジェクトで配ったりするのが、一番簡単で世界に貢献できます。そうすれば、世界中どこででもインターネットで日本語が読めるようになるのです。どんな言語も画面に映るのです。私は大喜びしていました。

すると、あるとき通産省に呼ばれて「何をやっているのだ」と叱られました。日本がこれだけ貢献しているのに、どうしてMITやバークレーに配らせるのだと。たしかに、私たちは「日本の功績」をアピールしてきませんでした。それが必要だとも思っていなかったのです。

皆さんの中には「どうせなら、慶應義塾の名前を広げてこいよ」と言われる方もいらっしゃるでしょう。もちろん、私もそう思いますので、どこで話をするときも、私は慶應義塾の肩書きで話します。しかし、ナショナリスティックに競争するということは、過去40年、あまり考えてきませんでした。

慶應義塾の貢献

せっかくですから、このインターネット文明に対する慶應義塾の貢献についてもお話ししておきましょう。

最近では、私は出版業界と組んで、HTMLファイルというウェブの標準に縦書きとルビを入れまして、これが2017年に完成しました。これは大変でしたね。先ほどの多言語対応より、縦書きのほうが苦労しました。

なぜなら、中国が公式文書や学校の教育書から縦書きを廃止してしまったからです。現在、日本の他に新聞で縦書きを使っているのは香港の一部と台湾だけです。ですから、孤軍奮闘だったのです。GAFAのブラウザを作っているエンジニアに、「縦書きを入れろ」と言います。「なんだそれは」。「ほら、日本語では献立が縦だときれいじゃないか」。「俺たちは、そんなものは使わないんだ」。「ちょっと待て」と、ここからが戦いです。私たちは、縦書きの文化を捨てられませんから、これが標準化に入っていないと、いちいち全部作り直さなければなりません。大変なコストがかかります。標準化で戦うとは、かくも大事で、ここでも慶應義塾はウェブの標準化の組織W3C(World Wide Web Consortium)を運営し、大きな貢献をしています。

さらに、アップルのネットワークに使われているソフトウェアは、もともとの開発コードを「KAME」と言います。これは、SFCのすぐ脇に「刈込(かりごめ)」という交差点があって、「カリゴメ」のカとメを使ってKAMEという開発コードにした成果が世界標準になり、アップルがそれを採用したのです。GAFAの中にも慶應がある。インターネット開発のコミュニティの中では、慶應は非常に認知され、リスペクトされている大学だと思います。そのような関係もあって、慶應義塾は前出のヴィントン・サーフ氏、ティム・バーナーズ=リー氏に名誉博士号を授与しています。

私たち慶應義塾は今日のインターネット文明の形成に対して大きな役割を果たしてきたのです。とくにSFCはこのインターネット文明を牽引する働きもしてきましたので、慶應のみならずSFCの名前も国際的に知られていて、鼻高々になることもあります。

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