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【講演録】インターネット文明論之概略

2019/04/09

インターネット創世記

自律分散思想と慶應義塾

さて、日本でインターネットが普及する過程で、慶應義塾大学はとても大きな役割を果たしました。当時、私たちは手づくりでネットワークの研究をしていました。工学部ではいつも怒られていました。「おまえら、電話会社がやるようなことを研究でやるのか」と(笑)。しかし、研究者が手づくりで作ったものが国のインフラを担う、これもまたインターネットの設計理念を象徴しているのです。つまり、設計の考え方の1つに、インフラに膨大なコストをかける必要がない、自律分散的にそれぞれが役割を果たし、それらが連結することでインフラができる。社会システムを中央集権的に動かそうという発想と、自律分散的に動かそうという発想と、システムの設計理念の根本的な違いがここから生まれてきます。

私が「文明」という言葉を使いたい理由の1つも、ここにあります。一人一人の参加や役割分担の集合によって、人類は何を作り出せるのか、私たちはどのように力を合わせられるのか。こういう思考にまで結び付くところが、インターネットの設計理念と文明の関係として、大変重要な意味を持っていると思います。

その後、私は慶應から東工大に移りました。しかし、まだ学生たちが慶應にいましたので、慶應のデータを取りに行かねばならないのですが、東工大のある大岡山と矢上の研究室を往復するにはずいぶん時間がかかります。その面倒を省きたくて2つのコンピューターをつないだのが、JUNET(ジャパン・ユニバーシティ・ネットワーク、あるいはジャパン・ユニックス・ネットワーク)です。これが私にとってのインターネット誕生の歴史です。

「RFC」の名付け親

インターネットの歴史をもう少し遡ってお話ししましょう。その出発点は1969年で、2つのルーツがあります。このことは、私の著書以外にあまり書いていないので、他の本は信用しないほうがいいと思います(笑)。ひどい記事や教科書になると、「インターネットは軍事産業から生まれた軍のネットワークである」などと書いてありますが、これは嘘です。

まず1つ目のルーツは、ARPANETと呼ばれるコンピューターネットワークです。ARPA(高等研究計画局)というのは、高度で挑戦的な先端技術に対して研究資金援助を行うアメリカの組織で、現在はDARPA(国防高等研究計画局)という名称になっています。

「DARPAは国防総省の機関だから、やはり軍事ではないか」と思われるかもしれませんが、アメリカでは、軍事産業に直結しない先端技術研究がDARPAから数多く生まれています。このDARPAからの資金援助で始まったのがパケット交換ネットワークに関する研究で、その中から生まれたのがARPANETです。ただし、これは国防関係の目的で作られた技術ではありません。私はリーダー格の1人だったヴィントン・サーフ氏をはじめ開発メンバーをよく知っていますが、彼らはむしろ、どうやって国防総省に関わらないようにインターネットの研究成果を広げていくかという努力をしたのです。

そのことを裏付ける1つのエピソードをご紹介しましょう。インターネットの技術標準は、「RFC何番」という形で決まっています。RFC799番とかRFC822番とか、各技術の標準ごとに番号が与えられているのです。そして「RFC」というのは、「リクエスト・フォー・コメント」の略です。不思議でしょう。技術の標準化のドキュメント名が、「コメントを求める」なのです。

この名付け親は、ジョン・ポステル氏です。彼がUCLAで働いていたとき、研究成果のドキュメントをまとめる担当でした。彼はこの研究成果を出す際に、「完全にオープンにしたい。世界中、お金持ちでなくても誰でも、すべての内容を読めるようにしよう」と考えます。文章の書き方にもルールを作り、また誰でも印刷できるようにする。それこそ、すべての人が参加できるという、標準化のドキュメントのルールなのです。ところが、研究資金の出どころは国の機関です。研究成果も国に納めなければいけません。そこで、彼はある方便を考えるのです。

すなわち、納品した研究成果にもしも欠陥があれば、それを公表した際に批判を受けるかもしれない。そうした事態を避けるために、まずは研究成果を広く公開して評価を受ける。その結果、優れた成果と認められたら納品しましょうと。だから、RFC(皆さん、コメントをください)という名称にしたのです。こうして、DARPAはこの研究成果を確かに受け取りましたが、納品前に公開されていますから、世界中の人々の目にさらされ、誰でもアクセスできる人類の共有財産になりました。それがARPANETです。

UNIXという思想

実は、ここから先があまり本に書いていないインターネットの起源なのですが、もう1つ、これも私が、そして慶應義塾が大きく影響を受けている事実があります。それは、UNIXというオペレーティングシステム(OS)です。私は、UNIXのルーツからこの研究に関わってきました。

OSというのは、コンピューターを動かすための基本ソフトです。従来は、まずメインフレームと呼ばれる汎用大型コンピューターがあって、それを皆が使えるように、またその機能を最大限に発揮できるようにOSが開発されてきました。ところが、このOSを「人間のために作れないか」、つまり人間の側から開発しようと考えた人たちが現れました。

アメリカにベル研究所という、基礎研究で有名な研究所があります。ノーベル賞受賞者を数多く輩出していることでも知られます。このベル研究所で、ケン・トンプソンとデニス・リッチーという2人の研究者が、Multicsという大きくて複雑なOSから、よりシンプルなOSを開発しました。「multi(多くの)」に対する「uni(単一の)」、だからUNIX。1969年のことでした。皆さんがよく使っている「フォルダ」「ディレクトリ」「ファイル」といった概念はUNIXから生まれたものです。コンピューター会社が提供するコンピューターではなく、使う側のロジックから考えた使いやすいコンピューター、つまり人間側の要求で発展するコンピューターがこのUNIXによって誕生したのです。

これが、なぜ重要なのか? 少し脱線しますが、学生の頃、私は計算機が大嫌いでした。なにしろ、高いし、偉そうなのです(笑)。慶應義塾も非常に高価なコンピューターを買いまして、皆で行列して順番を待ち、データを入力すると、次の日に計算結果が出てくる。この様子を見ていると、なんだか計算機という怪物がいて、その周りに人間が群がっているようなイメージを思い浮かべてしまうのです。人間が偉いはずなのに、どうしてコンピューターがこんなに威張っているのだ。だから、コンピューターが嫌いだったのです。

ですから、私は工学部に入ってもコンピューターの研究をするとは思っていませんでした。数学も物理学も好きでしたが、計算機に取り組むのは、矢上に進んで中西正和先生に出会ってからです。そのときにUNIXの概念を知り、そこから私はこの世界に入っていきました。

ネットワーク + オペレーティングシステム

さて、当時ベル研究所では、「ライターズワークベンチ」というソフトウェアの研究をしていました。これは、コンピューター上でよい文章を書くためのツールで、同じ語尾が繰り返されている文章は読みにくいから変えようとか、1つのパラグラフが長いと読みにくいから改行しようとか、語尾だけを抽出して他は全部ピリオドで表現するとか、こういうものを誰でも作れるようになってきたのです。そうすると、よい文章を書くためにコンピューターをどう使おうかとか、テキストから何かを探すときにコンピューターをどう使おうかとか、まったく人間の思うままに、コンピューターを道具として使えるようになってきます。これがUNIXから生まれてきた流れです。

このUNIXの流れと、ARPANETというパケット通信の流れが、1970年代はそれぞれ独立していました。この頃、学部から修士課程に進んでいた私は、相磯秀夫先生、所眞理雄先生のもとでネットワークを研究し、一方のOSは斎藤信男先生に師事していたのですが、そろそろこの2つをくっつけたい、つまり、コンピューターをつなぎたくなりました。これが私たちにとっての、いわばコンピューターと、通信技術の結婚です。80年代初頭、矢上キャンパスでの出来事です。

ところが、同時期に似たようなことを考えた人がいました。カリフォルニア大学バークレー校のビル・ジョイという人物です。私とは学年も一緒、修士時代からの友人で、どちらもOS研究から入りました。私は矢上で行っていたこの研究について、バークレーでビルと議論しました。

バークレーは、70年代の終わりからOSを改造して、BSD(バークレー・ソフトウェア・ディストリビューション)として世界の大学に配っていました。研究成果を世界に広げるのが非常に上手なのです。これも歴史の本にはあまり書いていませんが、本当は慶應のほうが先にこのUNIXのネットワークを大学の中で作りました。このときビルは、私に「やがてジュンの研究を追い抜いて、バークレーで配っているOSの中に組み込むぞ」と言いまして、その研究計画書をDARPAに提出しました。

すると、巨額の研究資金がつきました。彼らは、配布していた4.1BSDというヴァージョンにTCP/IPのネットワークプロトコルを組み込みます。私たちは独自にそれを作っていましたが、世界で共有されていませんでした。そして1982年、4.2BSDが配布され、それによって世界中の大学・研究機関のコンピューターが1つにつながったのです。

これを「インターネットの誕生」と書いている本はあまりないのですが、しかし、これが真実です。ARPANETからの流れだけを見ると、軍事技術から生まれたように誤解してしまうのですが、本当はBSD、つまりカリフォルニア大学バークレー校の研究チームが配ったソフトウェアが世界をつないだのです。これはオープンソースの原点でもありますし、また大事なことは最初につながったのが大学だった・・・・・・・・・・・・・・・ということです。

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