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【講演録】インターネット文明論之概略

2019/04/09

インターネットの仕組み

すべての情報は「計算」される

ところで、インターネットとは、いったいどんな仕組みになっているのでしょうか。インターネットの開発に携わってきた私にとっては、最初からある仕組みが出来上がっていたのではなく、「今日より明日はよりいいものを」「明日の問題は明後日に解決してみせる」と少しずつ改善を重ねながら作り上げてきたわけです。しかし、ふと振り返ってみると、これが本質的にどういうものであったのか、どういう理念をもって設計されるべきものなのかということが、だんだん分かってきます。

その中で一番大事なのは「デジタル」という考え方であろうと思います。例えば、カメラを考えてみましょう。昔はフィルムに焼き付けていたものが、今日ではプロの方々もデジタルカメラを使っています。ビデオも8ミリフィルムからデジタルに変わりました。また、それ以前に、私たちはLPがCDに取って替わられるという音楽のデジタル化にも遭遇しました。

しかし、もっと早くから私たちが恩恵を受けたのは、ワープロではないでしょうか。ちょうど、私が博士論文を書いている頃でした。ワープロは、文字を数字にして、数字になった文字をコンピューターの力を借りて清書をする道具です。私は字がとても汚いので、きれいな字に憧れ、小学校のときからタイプライターが大好きでしたが、残念ながら日本語は打てません。ワープロが売り出されたときは、私でもきれいな漢字が印刷できるので、嬉しくて相当な無理をして買ったのを覚えています。当時はまだ、工学部でも手書きで論文を書く人が多かった時代でした。

つまり、文字を数字(digit)で表現する。画像を数字で表現する。温度も、感情も、すべて数字で表現する。つまり、数字を使ったデータに変換するという意味で、デジタル(digital)技術となります。デジタル技術はすべて数字ですので、匂いも味も、映像も、そして文字も一緒くたにまとめて並べることができます(もっとも、味や匂いはまだまだ難しいところもありますが)。

一方、生命科学の分野を見ても、私たちの神経がどういう信号を出しているのか、DNAがどのような構造でできているのかを解明していくと、やはり、すべて数字で表現できるということが分かってきました。すると、それらのデータもデジタルデータに変換できますので、計算する(compute)ことによってさまざまな処理ができます。ここでコンピューターが登場するわけです。もともとコンピューターは字義どおり「計算」をするものでしたが、あらゆるデータが数字で表現されるようになったとき、コンピューターの役割もがらりと変わったのです。

私が工学部の学生だった頃は、難しい演算を素早く計算する機械が計算機(computer)でした。ところが今日では、私たちの身の周りのあらゆる情報が数値化され、それを処理するための道具がコンピューター(computer)です。この変化こそが、おそらく現在のインターネット文明に至る一番大きな変革だったのではないかと思います。まさしく、「パラダイムシフト」と呼ぶにふさわしいでしょう。

なぜ、これが大変革なのか。デジタルデータの重要な長所は「一緒くた」、つまり本来は性質の異なる情報を共有して計算できるということで、それは1つの計算機上で映像や音楽、文章を同時に扱えることを意味します。これを「コンピューターが汎用性を持つ」と表現します。この汎用性が、文明へとつながる共通基盤を生み出すのです。

すべての情報は「接続」される

そして、情報のデジタル化は、もう1つ「ネットワーク」という重要な考え方をもたらします。1つのコンピューターに皆が集まるのではなく、私たちの身の周りにあるたくさんのコンピューターが相互につながって、私たちの生活・社会の環境を作っていく。これがコンピューターネットワークの考え方です。

コンピューターネットワークの技術は、簡単に言えば、数字のデータをコンピューター間で伝達するための技術です。例えばハガキは、私たちが紙の上に字をしたため、ポストに投函し、郵便物として物理的に配達されて、相手がハガキを読むことでメッセージが届くわけです。これをデジタル世界で再現すると、まず文字情報を数字に変換し、数字をコンピューターで処理をして、次のコンピューターに渡し、その次のコンピューターに渡し、やがて相手に届くということになります。

この仕組みをいかにシンプルに作るかがインターネットの設計理念でした。それが実現すると、私たちはデジタル情報を自由に交換できるようになります。これが「デジタル情報のやりとり」という意味でのインターネットの基盤技術なのです。

いつか、どこかで通じればいい?

ところで、「数字にしてよかったな」ということが2つあります。例えば、年賀状を郵便局から送るとします。毛筆で書く人、版画を掘る人、パソコンを駆使する人、皆さん一生懸命に書くわけです。すると、郵便局員が正月に届けてくれるのですが、もしも届かなかったら大変です。「途中で失くしました」「どこかに落としてしまいました」となったら、もう取り返しがつかない。ですから、郵便物の配達には、確実で安全な仕組みが必要になります。

ところが、デジタル情報はそうでもありません。なにしろ、美しい年賀状の中身も結局は数字の羅列です。これをインターネットで送って、もし届かなかったら、もう一度送り直せばよいのです。元のデータはあるのですから。送り直し、また送り直し、そのうち届けばいいだろう。しかも、これで情報がまったく劣化せずに届くのです。書き直して下手になることも、刷り直して絵がかすれることもありません。デジタル情報が数字の並びである以上、何度でも劣化することなく「再送」することができるのです。

実は、このことがインターネットシステムの設計上、とても重要な意味を持ちます。もう一度、ハガキの例で考えてみましょう。ハガキの場合、投函するところから相手が受け取るまでの間を運搬するシステムの精度が非常に高くないと、正しいコミュニケーションができません。そのようなシステムを作るには、とても費用がかかります。郵便は非常に高価なインフラストラクチャーであり、システムを構築するのに長い年月がかかりました。

一方、インターネットの場合は、「一応、なんとか届くようにしようね」と言いながら、相手まで辿り着く道を探していくイメージでしょうか。これを私はよく鉄道になぞらえます。例えば、小田急線の成城学園前駅から三田キャンパスへ来るには、以前なら下北沢経由で渋谷駅に来てバスに乗って通いました。近頃は下北沢駅も渋谷駅も大変な構造変化が起こっていて、絶対にここで乗り換えたくない(笑)。「じゃあ、新宿に出て田町へ行こう」とか、いろいろな道がありますね。日吉からも「東横線で渋谷に出ると混雑するので、三田線を使おう」とか、ある路線が止まったら、私たちは別の経路の判断をしながら駅を乗り継いでいます。

鉄道は、小田急線も井の頭線もJRも違う会社が運営しています。まったく独立したネットワークが相互に接続していて、私たちはそれに乗っていくのですが、「最近の東急の経営は……」なんて気にしながら電車に乗る人はあまりいなくて、「着けばいいや」と思っているだけです。これがまさに、インターネットなのです。

インターネットは、デジタルデータを次の乗換駅まで送ろう、そして、その次の乗換駅まで……ということを組み合わせてできています。どこで乗り換えればよいかを考えながら、パケットというデータの塊がバケツリレー式に伝搬される仕組みです。ですから、ときには「データがうまく届かなったらしい」「途中で壊れちゃった」ということも起こります。しかし、それが分かれば、「いいよ、いいよ」と送信元から送り直しているうちに正しい道で届くようになる。

原理は単純ですが、社会システムとしては郵便とはまったく違う作り方です。私たちがハガキを送って届かなかったら怒ります。しかし、デジタルデータは、「そういう原理なのだから、心配するなよ」と中継点に言えるのです。先ほどの鉄道で言えば、混雑する路線に事故の多い路線、本数や車両数の少ない路線など、あちこちに問題があったとしても、連結すればどこかの道の一部を担って、結局は到着するのです。郵便のようにすべてが正確で安全で頑強な仕組みがなくても、システム全体として機能する。だから、インターネットはわずか30年で世界中を網羅してしまったのです。

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