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【講演録】金正恩政権の北朝鮮と国際社会

2019/02/14

北朝鮮は合理的か、非合理的か?

北朝鮮は先制攻撃をするか?

さて、世界の専門家たちが朝鮮半島情勢を分析する際の基本的な命題の一つに、「北朝鮮は合理的か、非合理的か」という問いがあります。つまり、金正恩委員長は合理的な人間なのか、非合理的な人間なのか、そして北朝鮮は合理的な意思決定ができる国なのか。2017年、北朝鮮の核問題が議論されていた頃のアメリカの政権中枢の関心は、この一点に集まっていたと言われます。

それは、なぜでしょうか。仮に北朝鮮が合理的なプレーヤーだとすれば、彼らが核ミサイルを保有したとしても、アメリカに対して先制攻撃はしないでしょう。当然、アメリカの報復攻撃を受けて体制崩壊の危機を招くことは避けるでしょうから。だとすれば、十数発程度の核ミサイルを北朝鮮が持ったとしても、アメリカにとって大きな脅威ではなく、十分に共存できることになります。アメリカは何千発の核を持ったソ連・ロシアとも共存してきた。何百発も持っている中国とも共存している。その前提となっているのは、ロシアや中国が合理的なプレーヤーであって、核の先制使用はしないだろうという認識です。同様に、北朝鮮が仮に合理的だとすれば、高い犠牲を払ってまで核ミサイルを取り上げる必要はないという判断になります。

しかし、もしも北朝鮮が非合理的なプレーヤーであると前提すれば、一発でも核を持ったとたん、アメリカを攻撃するかもしれない。ならば、どんな犠牲を払ってでも──つまり戦争になって数十万人に被害が及ぶとしても──、この核は絶対に排除しなければいけないというのが、当時のアメリカの議論だったようです。

北朝鮮にとっての合理性

ただし、合理・非合理というのも、それぞれ考えるところが違います。例えば、アメリカの研究者から「北朝鮮は、金正恩委員長個人を含め、合理的だと思うか」と訊かれた時、私は「合理的だと思う。だから先制攻撃はしないだろう。彼ら自身、自分たちが先制攻撃をすることはないと繰り返し言っており、その意味での合理性はあると思う」と答えます。

すると、彼らから「アメリカが北朝鮮の軍事施設・核関連施設に部分的な攻撃を加えた場合、彼らは反撃するか」という質問が返ってきます。それに対して「反撃すると思う」と答えると、「それなら合理的ではない。なぜなら、反撃したとたんに戦端が拡大して、体制が崩壊することは、彼らにも分かるはずだ。ノリエガ将軍であれ、カダフィ大佐であれ、部分的な攻撃に対しては反撃してこなかった。金正恩委員長もそれぐらいの合理性を備えているとは言えないのか」と訊くので、「北朝鮮からすれば、アメリカの最初の攻撃がそこで止まるかどうかは分からない。二の矢、三の矢が来るかもしれない。だとすれば、その前に一矢を報いるということが彼らの合理性だ」、すると「いや、それなら合理的なプレーヤーとは言えない」と。

私たちのように地域研究の枠組みで朝鮮半島情勢を分析する場合、欧米の物差しを使って北朝鮮が合理的かどうかを測ることよりも、「北朝鮮にとっての合理性とはどのようなものか」を明らかにすることのほうに、より重点を置きます。欧米の人々にすれば、北朝鮮の「合理性」を受け入れることはなかなか難しいでしょう。しかし、彼らには彼らの合理性というものがあり、それを理解しなければ、彼らの行動に正しく対応することもできないはずです。

チュチェ思想と国際法

北朝鮮の場合、その一つの手掛かりになるのが、彼らの行動指針であるチュチェ(主体)思想です。チュチェ思想を一言で説明するのは難しいのですが、ここでは簡単に、一種の唯心論として、「自分たちがどのように考えるのか」を最重要に考える思想とお考えください。北朝鮮で、とりわけ政治・外交などに従事する人々は、自分たちの行動をこのチュチェ思想に則って説明するのです。

そして、このチュチェ思想を基本にして、自分たちが所属する社会で貫徹しているルールを自分たち流に解釈し、自らの行動を正当化するというのが、私の北朝鮮に対するイメージです。例えば、東西冷戦期には社会主義陣営の中で行動の規範となる最も重要な思想がマルクス・レーニン主義でした。彼らは、このマルクス・レーニン主義をチュチェ思想によって都合よく解釈し、自分たちの行動を正当化していたわけです。

冷戦終結後の現在、彼らが自分たちの行動を正当化するために使うのが国際法です。もちろん、国際社会一般に共有されている解釈に従うのではなく、国際法の規定を都合よく引用・解釈し、自分たちの政策・行動を正当化するための論拠とするのです。

例えば、この2〜3年間、北朝鮮はいわゆる軍事目的でミサイル発射実験を繰り返してきましたが、その前段階では「宇宙開発」すなわち人工衛星の打ち上げ目的と称してロケットを発射していました。国際社会から見れば、人工衛星の打ち上げであれミサイルであれ、ロケット技術を利用したものなのだから区別はなく、国際社会に対して挑発行為を繰り返す北朝鮮はけしからんということで、実際に国連で「ミサイル」発射実験を禁止する制裁決議が出ます。

それに対して北朝鮮は「これはミサイルではなくロケットだ」という理屈で「ロケット」発射実験を続けます。そこで、次の国連決議ではロケット技術を利用した「あらゆる」発射実験を禁止します。すると、北朝鮮は「いや、宇宙開発は国家の自主権だ。人間の自主権と同様、国連決議で制限されるものではない」と返してくる。これはもちろん、専門家から見ればとんでもない話ですが、とはいえ国際法の解釈というのは難しい面もあり、北朝鮮の主張が100パーセント間違っているとまでは言い切れないこともあるようです。私もかつて国際法の専門家から「北朝鮮にミサイル発射実験を制限させるのに、国際法との関連で議論しないほうがいい。むしろ、国連決議違反であるという一点で攻めたほうがいいだろう」というアドバイスを受けたことがあります。

いずれにせよ、北朝鮮は「自分たちは無法者ではなく、国際法に照らして(それを自分たちで解釈して)正しく行動している」という論法を用いるわけです。したがって、北朝鮮の行動の合理性を問うならば、彼らが自分たちの行動を国際法でどう説明しているのか、どのような立場で自分たちを正当化しようとしているのかという視点をも踏まえる必要がありますし、それが北朝鮮の行動を理解する一つの手掛かりになると思います。

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