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【講演録】国際ニュース報道と『時事新報』

2018/03/01

『時事新報』のロイターとの契約

日本で最初にロイターと契約したのは日本政府でしたが、その後日本の各新聞社は何とか通信社と契約したいと考えました。1897(明治30)年、『時事新報』が初めてロイター通信社と直接契約を結びました。これにより『時事新報』はロイター電報をいち早く入手することができるようになったのです。当時の『時事新報』の社告では、「我国の新聞は外国より直接電報を取寄せることなく僅に横浜に達するロイテル電報を転載して責を塞ぐに止りしが、ロイテルの価高き為横浜の欧字新聞も其契約を続くる能はず遂に廃することになった」、しかし国際関係は重要になってきていることから、「我社は遂に意を決し巨額な費用を擲てロイテル電報を取寄す事」としたと書いています。「巨額な費用を擲て」というように、当時としてはかなり大胆な投資をして、ロイター電報を入手することにしたと読者に宣言しているわけです。それぐらいの意気込みで『時事新報』はロイターと契約したのです。これだけでも、『時事新報』は国際報道において、東京の新聞社の中で圧倒的な優位に立ったことになります。

それまで、日本の新聞社の中で国際報道に関する競争はありませんでした。ロイターがニュースを独占していますから、それを横浜の英字新聞から翻訳していればよかったわけです。ところが、『時事新報』が意を決してロイターと契約したのですが、他の新聞社はこれに対抗する手段がない。では、どうなったのか。

1898年5月1日付の『時事新報』の社告では、「電報掲載の制裁」を掲げ、『時事新報』は、ロイター電報、あるいは北京からの電報を他新聞社が掲載することを禁止しました。そのため、他の新聞社は、『時事新報』のニュースを転載するか、あるいは、電報局にうまく工作して途中で盗んでくるかしかないことになりました。『時事新報』は、自分たちが意を決して多額のお金を投入して契約したのに、それを他新聞社に転載されてしまったら身もふたもありません。そのような「不徳」は認めず、制裁をかける、法律的手段に訴えると言ったわけです。ただし、『時事新報』発行後24時間を経過したら、『時事新報』からの転載だと明記した上で載せるのはよい、としました。

でも、これは他新聞社から見てあまりにも屈辱的です。1日遅れのニュースを載せるだけではなく、これは『時事新報』から転載させていただきましたと明記しなければいけないからです。明治30年代、この出来事は東京の新聞界全体で大紛争になりました。『時事新報』はあまりにも圧倒的優位に立ちすぎてしまったわけです。他の新聞社は、対抗する手段がない窮地にまで追い詰められてしまったことになります。

他新聞との紛争、シンジケート

当時、東京には『時事新報』の他にもたくさんの新聞社があったので、他の新聞社が『時事新報』を一斉攻撃する事態にまでなりました。当時の有力新聞であった『萬朝報』は、「海外の報道を供給する唯一の源泉たりしを知る者ハ、此の源泉を買占めて他の加入者を拒絶するが如き専横の条件を作る可からず」と書いていますが、これは無理な理屈です。ロイターが唯一のニュースソースであることは間違いないけれど、これを買い占めたと言われても、直接契約でお互いに契約しただけですから、買い占めたのとは違うと思います。でも、他の新聞社から見ると、それは専横だ、乱暴だということになりました。「新聞社会の先進を以て自ら居る時事新報」がそんなことをやるのはおかしいと言うわけです。『時事新報』がお金をかけて努力したのに、努力しないほうが「おまえが努力して先に入手してしまったのはけしからん」と言っているようなものですから、これは無理な理屈ですが、大紛争になってしまいました。

当時、陸羯南(くがかつなん)という人物が『日本』という有力新聞を出していました。『日本』も国際報道を載せていましたが、これは『大阪朝日』から入手したと書いています。『大阪朝日』もロイターと契約しましたが、このニュースは本当に『大阪朝日』から入手したのか。怪しいけれど、そのようにしなければ国際報道ができない状況になってしまっていたわけです。他の新聞社は「天下の公報を独占するのは不都合だから宜しく之を公開せよ」と書いていますが、公報といっても、ここは政府の公報という意味ではありません。ロイターという1つの通信社のニュースは公報なのだ、公だと言ってしまっているわけです。

この大紛争は、多数派と一社の争いですから、『時事新報』は妥協するしかなくなってしまいます。1899年、東京の新聞界で妥協が成立して、『時事新報』を含め十新聞社が共同でお金を出し合い、ロイターニュースと契約するかたちに改められました。一種のシンジゲートを作ったのです。『時事新報』は、獲得した優位性をあきらめざるを得なくなりました。先進的であることがむしろ他新聞社の攻撃材料になり、妥協を余儀なくされたわけです。

このときの『時事新報』を含む日本の新聞社の正式な契約文書が、現在もロンドンのロイター通信社の文書館に残っています。それを見ると、十社の新聞社が公平に料金を分担して支払うかたちになっていますが、契約条件は非常に不平等で、ロイター通信社にとって圧倒的に有利な条件でした。

一般的に日本の新聞社の契約は高い料金を払う上に、さまざまな制限を受けていました。ある事例では、一定の金額の限度額内しかニュースを送らないという場合もありました。ロイターは上海からニュースを送ってきますが、例えば月々の契約が上限1万円と決まっていれば、ロイターは1万円分のニュースしか送ってこない。他に重要なニュースがあっても送ってこないというような制限に甘んじていた場合もあります。

これは明治初期の日本が国際情報の流れを十分認識していないところで起きた海底ケーブルと国際通信社の独占がもたらしたもので、日本の国際情報通信に対する非常に厳しい制約でした。これを乗り越えない限り、日本の通信社は自由な活動を行うことができません。ただ、その中で『時事新報』が、最も先進的に国際情報、国際ニュースの収集活動に努力して、多額のお金を投入していたことは非常に重要だと思います。

紙面だけ見ても、『時事新報』が国際ニュースで優位だったということはわかりますが、その優位性とはどういうことなのか。また、『時事新報』が日々のニュースを伝えるためにどのような条件を克服し、それを実現していたのか。現在のメディアが外国に特派員を派遣してニュースを送っているのとは全く違う条件の下に置かれていたわけです。私はそのことの意味は大きいと考えています。

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