【その他】
【講演録】小泉先生とスポーツ──体育会125年に際して
2017/11/01
スポーツを通じて日本人に何を伝えようとしたか
IOC(国際オリンピック委員会)は、オリンピックの価値を卓越性(Excellence)、友愛(Friendship)、尊重(Respect)という3つのキーワードで表現し、世界の若い人々がこれを頭で理解するだけではなく、身をもって行動することを求めています。この「卓越性」「友愛」「尊重」とは、まさに小泉信三先生の「スポーツが与える3つの宝」と同じではないでしょうか。「オリンピック精神は友情、連携そしてフェアプレーに基づく相互理解が必須である」とオリンピック憲章「オリンピズムの根本原則」にあります。スポーツの本質は、こういうところにあるのだと思いますし、福澤や小泉の教えの空気感・気風が残る、塾体育会の文化は、本当に恵まれた環境であると言えると思います。
小泉先生は、先の東京オリンピック(昭和39年)の際にいろいろな文章を残しています。「日本人が如何に親切で、礼譲を知り、客を快よくもてなすか、また日本の各種の施設が如何によく整備しているか、さらに、何よりも第一に、日本の国土が如何に清潔で、よく掃除が行き届いているかと示すことは国民として何よりの念願」として努力しようと言っています。その一方で、そのすべての奥のそのまた奥の心の底には仕合に勝つこと、1つでも多く勝ちを記録し、ひとたびでも多く国旗を仰ぎ「君が代」の吹奏を聴きたいと願う心があると書いています(「メッセージ」)。
しかし小泉先生は、何が何でも勝て、という考えではなかったのです。練習とは、不可能を可能にするばかりでなく、スポーツマンの態度、動作に不思議な気品をそえるものです。例えば相撲では、十分稽古を積んだ力士の体には一種の輝きがあり、反対に、稽古を怠った相撲にはある鈍さが感じられます。来るべきオリンピックでも「日本の選手全員が皆鍛えに鍛えることによって持つ、特殊の気品を身に備える人のみであることを、私は期待したい」(同前)と書きました。
ここなんですね、信三の願いは。「ただメダルをとれ」ということではないのです。厳しい練習を積むことによって、気品を備えてほしいということなんです。オリンピックが近づいてくると、国内の雰囲気が変わってきたことを信三は感じました。それは日本人選手の健闘を祈るだけでなく外国選手の健闘も願う、というごく自然なフェアーな気持ちです。日本人全体がオリンピックを機にフェアプレーの精神を学びつつあることを信三は喜びました。
東京オリンピックは無事に終わりました。オリンピックが日本の青少年に、日本の国旗と国歌のなんたるかを教えてくれました。国旗の掲揚の時に、自然と姿勢を正し、「これがわれわれの国旗であり、また国歌であることを思うことを彼らは知った。同時にまた人々は、他国の国旗と国歌とを知り、われわれがわれわれの国を愛するごとく、彼らもまた彼らの国を愛するものであることを知った」(「東京五輪の自信と教訓」)。小泉先生は日本人が日本を思い、そして他国の人の気持ちを尊重することを体験した、実に貴重な機会であったことに満足しました。
2020年の東京オリンピックを3年後に控えています。小泉先生が生きていたら、何をこのオリンピックに期待するのか、訊いてみたいところです。
小泉信三のスポーツ論
スポーツは信三の生涯に切り離せないものでした。その人格・人間形成に大きな影響を与えたと言えると思います。例えば、戦後、東宮御教育常時参与として、今上天皇の皇太子時代の先生として、学問をはじめ、行儀作法や気品に関するような内容まで、その御教育に携わった時も、皇太子殿下に、週1回、3時間から4時間という激しいテニスの特訓をしたのです。慶應庭球部OBの石井小一郎が、殿下のテニスの指南役となりました。小泉先生は殿下を特別扱いはせず、失敗したボールは必ず自分で拾うように指導しました。また、試合に負けたら次の試合の審判もさせました。勝負の厳しさを知ることによって心を鍛えられると考えていたからです。
信三は、戦後、日本のテニスの実力の低下は、勉強が足りないからだ。厳しい練習を尊んできたことが日本人の長所だったが、敗戦の反動で、練習や規律をやかましくいうことは封建的で、気ままや寛大であることが即ち民主的だという考え方が起こり、練習の励行をやかましく言わなくなった。このような「民主的弛緩」が不振の原因であると『庭球部報』に書きました。
庭球部長時代には「君達は単に試合に勝つことだけに満足せず、技術の錬磨を通じて尊敬すべき人格を養成し、剛毅にして誠実、勇敢にして沈着、しかも節義のためには敢て利害を顧みぬ、真実のスポーツマンとは、こういうものだということを身をもって示してもらいたい」と部員に伝えています。これが小泉先生の抱く学生スポーツの理想でした。信三はテニスの選手として「努力」ということを知りました。そして苦境において落胆しないという体験を知りました。「凡べてスポーツは何一つとして怠けていて出来るものではない」ということを体得しました。また、庭球部長をすることを通して、青年の成長を見る喜びを知り ました。スポーツを愛し、平生のものの考え方でも常に精神と肉体の調和を喜び、フェアプレーを尚(たっと)び、スタンドプレーを潔しとしませんでした。これが大きな小泉のスポーツ論・スポーツ哲学と言えるでしょう。
信三には、「仕合は最後の最後まで忽(ゆるが)せにしない、諦めない」という信念がありました。ワールドシリーズで9回裏守備側が3点リード、2アウト満塁3ボール2ストライクから、バッター空振りの三振。ゲームセットのはずが、キャッチャーが後逸する間に走者打者全員が生還して大逆転サヨナラということがありました。「これは無論珍しい例である。しかし、それは勝敗の世界においてあり得るし、また現にあったことである」(「スポーツと教育」)。「もう駄目だ」という諦めの言葉は、最も嫌いのようでした。
小泉先生は学生時代は運動選手であり、その後もスポーツの深い理解者であり擁護者でしたが、それは決して傍観者なのではなく、いつでも当事者であったのだと思います。「勝ちたがり」の先生は、果敢なる闘士で最後まで諦めずに勝利を摑もうと努力する。劣勢の中、心が折れそうなほどに弱い自分を奮い立たせるのは、練習によって培った自信と勇気であり、困難に負けないその「勇気」は、練習によって体得した気品であったのです。
そこに小泉先生の気概と人間味を感じ、生き方を見ることができます。善を行う勇気を持ち、真実を尊び、偽りを許さず、感謝の気持ちを持ち、自分の非を認める勇気も持つ。これらはまさに、厳しい練習によってテニスというスポーツが小泉先生に与えた、「気品」という宝物であったと思うのです。
本日はご清聴どうも有り難うございました。
(本稿は、2017年6月27日に行われた小泉信三記念講座での講演を元に構成したものである。)
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
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