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【講演録】小泉先生とスポーツ──体育会125年に際して

2017/11/01

塾長として

1933(昭和8)年、45歳の若さにして、信三は塾長になります。塾長に推薦された時、とても躊躇(ためら)ったそうです。しかし、庭球部長としての10年間で、早稲田に勝った負けたと、学生と喜び悲しみを共有し、学生を教育するという幸せを知った信三は、「大きな庭球部のようなものだ」と自分に言い聞かせました。信三は塾長として学生へのメッセージを伝えました。「心身ともに鍛え、そして、信じることを言い、言ったことは必ず行って挫折しない、心も体も強くたくましい人になってほしい」。福澤先生以来、慶應義塾が大切にしてきた志を、今改めて新しい覚悟を持って全力を尽くしていこう、という決意がうかがえます。

1941(昭和16)年12月8日、太平洋戦争が始まると、政府・軍部は大学の自由な教育に対して圧力をかけました。慶應義塾は特に政府から目をつけられました。創立者である福澤諭吉は、今戦っている相手である西洋の文化文明を取り入れた人であり、その福澤が作った学校はけしからんと、言いがかりをつけられたわけです。その慶應義塾を、信三は必死に守っていきます。

開戦翌年の1942(昭和17)年10月22日、海軍中尉として出征していた息子信吉(しんきち)が戦死しました。海軍として南太平洋の最前線で敵艦と決戦中に砲弾にあたったのです。翌年春から1年あまりをかけて、信三は、信吉のために、25年の生涯をふりかえった追憶記『海軍主計大尉小泉信吉』を書きました。

翌1943(昭和18)年に、敵国のスポーツだからという理由で、東京六大学野球リーグは文部省からリーグ解散令が出されました。東京六大学野球加盟校は次第に活動停止に追い込まれていきます。さらに戦局悪化とともに10月には文科系の学生に対する徴兵猶予停止の勅令が出され、「学徒出陣」が始まりました。慶應でも多くの学生が、卒業を待たず学業半ばで戦場へ行かなければならなくなったのです。最後に野球がしたい、早慶戦がしたいという学生の想いを聞き、部長平井新先生は塾長小泉信三に早慶戦の開催を申し出ます。学生の餞(はなむけ)のため、その実現に尽力しました。

早稲田大学野球部マネージャーだった相田暢一(ちょういち)氏が「出陣学徒壮行早慶戦」当日、戸塚球場にいらした小泉塾長を特別席にお招きしようとしたところ、「私は学生と一緒の方が楽しいのです」と言われて、小泉先生は学生席へ座られました。相田さんはこう書かれています。

「私は思わず目頭が熱くなるのを覚えた。この壮行試合を挙行するに当り、先生の英断のもと慶應側の一貫した立派な態度、先生の学生への思いやりなど考え、塾長に先生のような立派な方を戴く塾生が、これ程までに幸せに見え、うらやましく感じたことはなかった」

小泉塾長は日吉で予科の授業の様子を週に1回見に行くと、蝮谷に下りて、テニス、柔剣道場、相撲、空手、拳闘、弓術と一通り見て回ったそうです。学生は練習をやめて整列し、礼をするという具合でした。現在43部ある体育会ですが、小泉塾長当時は23部でした。信三はその大部分の早慶戦を見ました。「当時の日本の大学総長で、私ほど運動場に姿を現すものはなかったであろう」(「スポオツ一般」)と書いています。塾長時代、全ての早慶戦に勝ちたいと思っていたそうで、そうしたら盛大なお祝いをするのが夢だったようです(笑)。

現在の体育会の活躍はどうかというと、平成28年度早慶定期戦勝敗表(『体育会誌』2017)を見ますと、男子は13勝33敗。女子は1勝17敗。宿敵早稲田に随分やられている状態です。我が庭球部では、男子は早慶戦に平成9(1997)年秋以来39連敗中、実に20年間勝利から遠ざかっています。つまりこの25年間、私がOBとなってから2勝49敗。でも本当に頑張っているんです。

無試験による部長推薦枠がほとんどの大学にあります。関東大学テニスリーグで慶應は一部の上位に必死になって踏みとどまり、日本一を狙っていますが、部長推薦枠のない学校は、1・2部校の中で慶應義塾だけのようなものです。その中で慶應の学生は本当によくやっていると思います。

「庭球部は単に優秀なる庭球技術者を造ることに甘んずるものではない。技術の錬磨を通じて尊敬すべき人格を養成し、我が運動界に於ける気品と気節の泉源たらんことを期するものである」(『庭球部報』昭和4年部長時代)。このような言葉を信三は残しています。

今年3月、蝮谷テニスコートの近隣住宅の庭から火災が発生し、その初期消火を行ったとして、庭球部が港北消防署から表彰されました。庭球部員総出で、消火器14本をキャンパス中からかき集め、部室から70メートルの距離をバケツリレーを行って火を消し止めました。日本一には今のところなっていなくとも、火事を消せるチーム力は素晴らしいと私は思います。庭球部の学生に大きな拍手を贈りたい。小泉信三先生がもしいらっしゃったら相当喜ばれたと思います。

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