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【講演録】小泉先生とスポーツ──体育会125年に際して

2017/11/01

卓越したスポーツへの眼力

小泉先生がテニス以外のスポーツをどう見ていたか、いくつか紹介したいと思います。12歳の信三は三田山上の弓道場で弓を習っていました。実はまだ普通部に入る前の御田(みた)小学校時代のことで塾生ではなかったのですが、元塾長の息子で、福澤の庇護を受けて三田に住んでいるので、特別に構内を遊び場にしていたのでしょう。信三は、入門の年の大会で金的を当てて一等賞の金メダルを獲ります。その記事が『時事新報』にも載り、塾生ではないのに金メダルを獲った選手としてちゃっかり記事になってしまいました。実はテニスより前に行っていたスポーツです。

次に野球です。信三は熱狂的な大学野球ファンで明治36年11月の三田綱町で行われた第1回早慶戦も観ています。戦後も双眼鏡を持ち、慶應以外の試合も敵状視察といって観戦。「ヒイキ目には司令官とも見えたが、スパイの親玉のようでもあった」と二女の小泉妙さんは書いています。早慶戦で負けて不機嫌な時も「仕方がない。日本だって負けたんだ」と自ら慰めてはもぐもぐ食べ、勝ったら勝ったでご機嫌でよく食べたそうです。

信三の学生時代には、まだヨット部はありませんでしたが、「若し部があれば、入れてもらっていたかもしれない」と書いています。ヨット部報復刊第1号の巻頭言「自然に順い自然を制す」にこう書いています。

「自然に順って自然を制す、といふがヨット帆走ほどこの言葉の適切なことを感じさせるものはない。どんな場合にも帆は風に逆らうことはできないが、吾々はたゞ風に従うことによって風に逆らうことが出来る。人間は無理をきくかも知れないが自然は決してきかない。自然はたゞ自分に従順なるのに対してのみ寛大である。こゝに自然の厳しさと優しさとがあるともいえるであろう。この至妙の原理或は哲理はヨットを操るものにより知らず識らずの間に体得されるのである」

名文だと思います。小泉先生は競技スポーツとしてヨットのレースをしたことはないのは確かだと思うのですが、専門外のスポーツにしてこれだけの見識がある、その鋭い洞察力と文章力にとても魅かれます。「帆を操るという技術は、人間の誇って好い工風である」(「スポオツ一般」)とも書いています。帆の角度をかえてジグザグに走り、風下から風上へ進むことを船頭さんの用語で「まぎる」というようですが、小泉先生はこの「まぎる」ヨット帆走に興味を持ち、海や湖に白い帆が動く景色を愛しました。

他に、文学的に秀逸な表現をしているスポーツはアイスホッケーです。「燦然たる燈火が、氷面に輝いている。ときどき氷面に霧が湧き起って、選手の顔が隠見する。実に美しいものであった」(同前)。水泳についても「一の競技の勝負が決する。歓呼と拍手と満場のどよめきは暫らくやまない。この時、競泳者によって搔き乱された水面に、燈火の影は粉な粉なになって散り、きらめく。やがてどよめきが静まるとともに、水(み)の面(も)も漸く落ちついて、一つ一つの燈影がハッキリ長く、静かに映って、ゆれる」(同前)と書いています。サッカーについては、ゴールキーパーの姿を、「一身以って国難に当るの概(おもむき)があって実に好い」(「スポオツ雑話」)と書きます。

山岳部については、特殊の気風と風格が感じられる。自然の懐ろに抱かれて日を過ごすからではないか、と書いています。「山岳部員の特殊な気品を愛したけれども、彼等の方から見れば、私はあまり話せる校長ではなかったかも知れない」(「スポオツ一般」)。

小泉先生は、このように鋭い観察力、卓越した眼力でスポーツを見ていたのです。

小泉流スポーツの見方の良い例が野球です。内野ゴロを打って一塁アウトになった時、捕手がホームに駆け戻ってくるのは見るが、そのプレーで打者が内野ゴロを打った瞬間に捕手がマスクをかなぐり捨てて一塁のバックアップに走る姿は、誰も見ていないし気付かれないプレーだ。また援護に備えても、一塁手が後逸するのも多分十に一度もないだろう。この公算の少ない、しかしながら起り得る場合に備えること、縁の下の力持ちのプレーをチームとして怠ってはならない、これがチームワークでありスポーツマンの精神である、と考えています。「スポーツでない実人生の無数の場面において、我々はこの捕手の用意と努力をしなければならぬ」(「『チームワーク』について」)と、スポーツが我々に与える貴重な教訓、チームワークの何たるかを、鋭い眼力から述べています。この「『チームワーク』について」は、私の大好きな小泉エッセイの1つです。

信三はこんな見方もしています。野球において、ランナー一塁の内野ゴロは、ダブルプレーをとるのは今では当たり前ですが、昔はそんなプレーは存在しなかった。アウトを1つとればよいという具合だった。それを誰かが果敢にもゲッツーにトライしたら、ダブルプレーがとれた。このように、諦めの悪い人、研究熱心な人が、偶然にも発見したプレーが今や常識になっています。信三はただのスポーツ観戦ではなく、人類の技術の進歩といった学問の世界をスポーツに見るというわけです。卓越したスポーツへの眼力があったと言えるでしょう。

幼稚舎の私のクラスでは今、放課後には毎日ドッジボールをします。私は味方の誰かが当てられたら、そのボールをなんとかノーバウンドでキャッチせよ、と言います。当てられて弾んだボールをノーバウンドでキャッチできれば、アウトになった仲間をセーフにすることができるわけです。この仲間を救う美技を「スーパーファインプレー」と呼び、これができたらものすごく褒め、ご褒美のシールをあげます。人はこの偶然のプレーを見て「ラッキーだな」とただ感心するだけかもしれません。でもそれは、捕る準備をしてきたからこそ捕れたということだと思うのです。「捕るぞ」という心構えがないことには体も反応できません。実際、我がクラスでは、この半年に16人延べ27回もこのスーパーファインプレーが出ています。私は、クラスの子どもたちのスーパーファインプレーにもスポーツの進化を思います。

「小泉先生とスポーツ」というテーマとして、忘れてはならないエピソードが1つあります。昭和27年春、隔離され娯楽の少ない寂しい想いをされているハンセン病療養所の患者さんが、一流選手の野球試合を見たいと希望していることを知り、小泉先生が仲介して、東村山の多磨全生園で慶應野球部は紅白試合を行いました。選手たちはこの企画に感激し、好ゲームになったそうです。

この時ピッチャーとして好投していたのが、後に長く慶應野球部の監督を務められ、昨年亡くなられた前田祐吉さんでしたが、ホームランを打たれた時に、入所者の方々が包帯を巻いた不自由な手で精一杯の拍手を打者に送る姿を見て、打者に「有難う」とつぶやいた、と言います。

小泉先生自身も、昭和20年5月25日の空襲で大火傷を負い不自由な身にありながら、病苦に悩み、慰めの少ない気の毒な人々を思う先生の心に、前田さんは「この時の感動は今も忘れることができない」と後に書きました。小泉先生は、患者さんだけでなく、野球部員たちにも貴重な経験を与えたのです。スポーツが持っている大きな力を知っていたからこそ、このような機会を作ったのでしょう。

「練習は不可能を可能にす」の真意

ちょうど55年前、1962(昭和37)年の慶應義塾体育会創立70周年記念式での記念講演「スポーツが与える3つの宝」で、小泉先生は、「練習は不可能を可能にする」「フェアプレーの精神」「生涯の友」の3つを説きました。

小泉先生は「練習」すること、精神と肉体を鍛えることによって、不可能を可能にし得ることが無数にある、と考えています。例えば自転車に乗ったことのない人と乗れる人とを比べたら、とてつもなく能力が違う。また、水泳を知らない人は水に落ちれば溺れて死ぬ。水に落ちて溺れて死ぬのと浮かんで生きるのとでは別種の生き物ほど違う。さらに、小さな子が水に落ちたのを目前に見て、泳げないから黙って見ていなければならない人と、飛び込んで助ける人とは、道徳的にも別の種類の人間であると言います。それを分かつのが「練習」なのです。

練習を繰り返すことによって獲得した自信、その強い心こそ美しい人間の気品なのです。我々が備えている精神的能力も肉体的能力も、今持っている能力がすべてであると思ってはいけない。「練習すれば定刻を守る人間になれる、練習すれば信義を重んずる人間になれる」と信三は考えていました。人は愛する心をもって生まれているが、それを磨き強めるのと、怠って放っておくのとでは大変な違いがある。練習の「習」の字は、「羽が白い」と書きます。飛べない雛鳥がその羽を羽ばたいて飛び方を習うことを表した字ですが、雛鳥が羽ばたくように、我々も心の羽を羽ばたかないと忘れてしまうことがあると思います。

幼稚舎という学校は、実によく運動をする学校で、運動会や校内大会、夏は水泳授業、冬は朝の駆け足や縄跳びと、様々な運動を行う場面がありますが、「練習は不可能を可能にす」という言葉を使って作文を書く子が時にいます。確かに、練習したから勝てた、逆上がりができるようになった、1000メートル泳げるようになったというのはその通りなのですが、小泉先生がおっしゃっている「練習は不可能を可能にす」の本当の意味は、実は運動のことだけではない。それは私たちの品格・気品というものだ、ということを子どもたちに伝えていきたいと思っています。

例えば、挨拶をする、身だしなみを整える、忘れ物をしない、友達にやさしくする、登下校マナーに気を付ける、などです。電車やバスの中で、お年寄りや体の不自由な人が乗って来た時に、「どうぞお座りください」と言って座席を譲ることができるかどうか、それは私たちの品格に関わってくる問題です。いつでもそのほんの僅かな勇気を持っていようと常に心に言い聞かせていることこそ、練習によって出来るようになるのだ、と私は思います。電車やバスの中で席を譲ろうと思い続けていることによってのみ、とっさに「どうぞ」という言葉が出てくる。その強い心こそ練習によって可能にし得る美しい気品なのです。

小泉先生は、「練習によって、私たちの品格も高めることができる」と話されています。容儀礼節を重んじることが信三の信念であり、塾の使命と考えていました。正しいことを知りながらそれを行わないことは、正しいことを知らないことと同じです。心を鍛えること、容儀礼節といった道徳、心の気高さ、滲み出る品、勇気、優しさ、忍耐、それらの品格こそが「練習は不可能を可能にす」の真意ではないかと考えます。

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