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【講演録】防衛大学校と慶應義塾

2017/02/01

防衛大学校の概要

防衛大学校の教育方針は、広い視野、そして科学的な思考を持ち、豊かな人間性を育む、ということです。私が経験したこの5年間の防大は、一言で言うと、リベラルアーツ・カレッジだということです。

そして防大は、慶應義塾とのつながり、紐帯が非常に強い。私自身、防大に移ってから、むしろ福澤先生の本をかなり読むようになりましたし、また慶應義塾の歴史を繙いたりすることも増えました。なぜかと言うと、防大の原点そのものが、慶應と非常に深い関わりがあるからです。

皆さんは意外に思われるかもしれませんが、私の知っている幹部自衛官の方々、あるいは防大の同窓会の方々には、福澤ファンが多い。福澤の本をよく読んでおられ、信じられないほど福澤に傾倒しておられます。

自衛官の方々は皆さん同じ制服を着ていますから、一見個性がないように見えますが、実は、その制服の下は個性の塊です。それを抑えて仕事をしているのです。なので、引退が近づくと個性がはみ出してくるんですね。そこが非常におもしろい。個性の塊みたいな人たちと話していると、福澤が好きになるという気持ちも非常によく分かります。

防衛大学校は、戦前の陸軍士官学校、海軍兵学校を解体し、戦後の民主主義の下での士官学校としてスタートしました。そこには戦前への反省が盛り込まれています。なぜ失敗したのか、何が間違っていたのか。その議論が徹底的に行われたという歴史が残っています。例えば、防大は陸・海・空が一緒になっていますが、それは、戦前に陸軍と海軍がバラバラであったことへの反省にもとづいています。これは当時の吉田茂首相の考えによるものです。

さて、防大は横須賀の走水(はしりみず)にあります。浦賀と観音崎、ちょうどペリーが来航したところの上にあって、「小原台」と呼んでいます。1952年、保安大学校として、久里浜でスタートしたのですが、その2年後、いまの校地に移りました。これは、初代学校長であった槇智雄(まきともお)先生が決められたことで、当時京浜急行がゴルフ場をつくっていましたが、そこを説得してお願いしたということです。

大学と大学校がどう違うか、皆さんご存じでしょうか。一言で言えば、文科省管轄以外の学校は、すべて大学校です。防衛大学校や海上保安大学校などは、大学ではありません。したがって、もともと卒業生は、学士とは認められなかった。それが平成に入って、文科省が学位授与機構をつくり、学卒として認められるようになりました。

ただし、現在でもわれわれには、学位審査権がありません。したがって、防大には非常に水準の高い研究者がたくさんいますが、その先生たちは、学位を出す権利を持っていません。日本の大学はどこでも先生方が審査権を持っていますが、防大はそうではありません。修士、博士については、100%外部の、その分野のトップの先生たちが覆面審査しています。このことだけみても、防大の先生たちがどれだけ苦労して教育にあたっているかがお分かりいただけると思います。この点に関しては、もう少し「大学」としての立場を認めてくれればと思っています。

防大には、「大学院」という名称がありません。「大学院」は、「大学」にしかつくれないからです。したがって、防大にあるのは「研究科」という名称です。理工学研究科、総合安全保障研究科のそれぞれ前期博士・後期博士課程を持っていますが、「大学院」という名称は使えません。

防大は、理系が中心の学校です。これも戦前が精神主義に偏り、科学的思考が足りなかったことへの反省にもとづいたものです。吉田首相の考えで、開校当初は理系しかありませんでした。70年代に文系が入り現在に至っていますが、文系はだいたい2割ぐらいです。

防大は6つの学群、14学科、6つの教育室を擁していますが、ほとんどが理系で、1学年は480人、女性が約1割で、増員傾向にあります。それ以外に留学生が全体で約120人、約6%ですから結構多い。ほとんどは東南アジアからの学生です。いまのところ11カ国から受け付けています。留学生のカリキュラムは5年間で、最初の1年は日本語の学習です。後の4年間で、教養・専門課程を学ぶことになります。また、数週間から数カ月の短期留学生もいます。ちょうどいま、アメリカのウエストポイントの陸軍士官学校やアナポリスの海軍兵学校などから学生たちが10人ほど来て、4カ月の研修を終えて帰る時期です。

もちろん、防大からも学生を海外に送っています。年間約40人で、数週間から1年の幅での派遣です。一番長いのが1年で、韓国に送っていますが、多くは1セメスター、4カ月とか半年などです。彼らは真剣ですから、3、4カ月でも、人が変わったようになって帰ってくる。われわれが見ていても非常に頼もしく思います。

学生は、特別職の国家公務員ということで、手当が出ます。月額11万円強ですが、そこから食費などが天引きされ、実際は8万円強ぐらいではないかと思います。若干の期末手当も出ることになっています。

スタッフですが、学校長と副校長全体で4人、現在、教官が292人、事務官が217人、245人の自衛官、全体で758人です。教官は異動がほとんどありませんが、事務官と自衛官は、1年、長くて2年で交代しますので、人事異動が非常に多い職場です。しかし、人が代わっても組織として継続させるのが原則です。副校長は3人で、1人は教官の代表、もう1人が防衛省の官僚、もう1人が幹事という呼称で陸将(中将)クラスです。ほかに海将補1名、空将補1名で、それぞれ訓練部長などの役でおられます。

学生は、2年のときに陸・海・空に分かれます。これは希望と適性によって分けます。割合としては、陸・海・空で2:1:1です。防大を卒業しても、すぐに最前線の自衛官になるわけではありません。そのあと、幹部候補生学校に進みます。したがって、実質は約5年間学ぶことになります。幹部候補生学校では陸(久留米)・海(江田島)・空(奈良)に分かれて、それぞれ半年から1年間、座学と訓練があります。例えば一般大卒の人が自衛官になる場合、この幹部候補生学校で防大卒業生と合流するわけです。

このところ、いわゆる有名大学から自衛官への道を進む人が非常に多くなっています。慶應からは陸・海・空合わせて、毎年5人ぐらいでしょうか。女性のパイロット志望者も出ているようです。早稲田もそれぐらいで、東大・京大出身者などもだいたい同様の状況です。

ただし、防大卒業生のほうが4年間訓練などで鍛えていますから、最初はだいぶ差があるようです。一般大の卒業生がそれに追いついていくのは大変だと思いますが、頑張っています。そこを出ると、三尉、いわば少尉の格になって部隊に散っていくことになるわけです。

このようにして自衛官になっていくのですが、そのあとも研修や試験も多く、海外留学の機会も増えています。

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