三田評論ONLINE

【その他】
【講演録】防衛大学校と慶應義塾

2017/02/01

  • 国分 良成(こくぶん りょうせい)

    防衛大学校長、慶應義塾大学法学部客員教授

拡大する自衛隊の役割

皆さんこんにちは。ご無沙汰しております。私は慶應義塾から防衛大学校(防大)に移り、すでに5年目が終わろうとしています。本日は、私の防大生活における中間報告をさせていただければと思います。私は、防衛大学校を心から愛しています。それは、学生たちは誠実で素晴らしい若者ばかりで、また卒業生の皆さんも一緒にいて気持ちが豊かになるような人たちばかりだからです。

実際に防大に入ってみると、世間での一般のイメージとはおそらくかなり違い、相当にあたたかいところです。もちろん規律は厳格ですし、すべてがピシッとしている世界ですが、しかし、それだけに、そこにいる人々の心はあたたかい。そんな感じを私は受けており、一緒に働いていて気持ちのいい人たちが多いですね。

現在、自衛隊は、非常に忙しくなってきています。自衛隊の役割はきわめて多岐にわたっていますが、言うまでもなく、国防・安全保障、これが最大のテーマであり、最重要の任務です。また、つい最近も南スーダンでの自衛隊派遣の話がさかんに行われていましたが、それだけではなく、海賊対処などでも活躍しています。今後も国連の要請に基づいた形でのPKO(平和維持活動)をはじめ、いわゆる国際平和協力活動は減ることはないと思います。

世界の安全保障環境は、年々厳しさを増しています。私どもの世代は、いわばソ連を見ながら仕事をしていたわけですが、いまはご承知のようにもっと複雑化しています。しかも、自衛隊の活動が多様な形で世界に広がっているので、こうした急激な安全保障環境の変化に対応することは容易ではありません。

さらにもう1つ、自衛隊の仕事で予想以上に期待が大きくなっているのは、特に東日本大震災以来、災害対応と復興支援という役割です。自衛隊は現在、世論調査では信頼度が93%にのぼっていて、日本の中で最も信頼される組織とされています。かつては、自衛隊や防衛大学校の存在そのものが否定されたり、斜めから見られるような時代が長く続いていたことを考えると、状況は大きく変わりました。ある人が、「これまでは愛される自衛隊を目指したけれども、これからは裏切れない自衛隊になってきたな」と言っていました。われわれは表に出る役回りではありませんが、最後の砦として、国民・国家を守るという崇高な任務に精励しなければなりません。

本日は少し防大の内部についてお話しさせていただき、それが実は慶應義塾との非常に深いつながりを持っているというお話をさせていただこうと思っています。

教育と研究のバランス

正直に申しますと、私は防衛大学校に移って反省していることがあります。それは、私自身の慶應での30年以上にわたる教員生活において、自分は本当に真剣に教育をしたのかということです。もちろん時間も割いたつもりだし、学生もかわいがったつもりですが、本当の意味で教育をしたのか、問われているような気がするのです。

いま防大で、ほとんど毎日のように、学生教育をどうすべきかについての議論に長い時間を費やしています。教育とは、若者に生きる夢や希望を与えることだと思います。あるいは、夢や希望そのものではなくても、そういうものをつかみ取るうえでの、ある種の気付き、契機を与える。これが教育ではないかと、私はこの5年間で実感しています。防大では、教職員全員に「すべては学生のために」をスローガンとして徹底しています。

いったい、大学とは何なのか。これもよく考えます。防大は大学ではなく大学校ですが、大学の役割は、社会人、市民としての使命感、つまりミッションを発見する場ではないかと思います。自分自身が社会のために何をやるのか、やれるのかということですね。

私に「大学」について語る資格が十分にあるとは思いませんが、やはり教育と研究のバランスが重要だと思います。いまは、研究が非常に重視されています。それで先生方はみんな忙しい、忙しいとおっしゃる。そして学校の業務もやらされて大変なことになっていると。私に言わせれば、そんなに大したことはないというのが正直なところです。 これを防大に来て、非常に強く感じています。

大学の教員が研究をするのは当たり前で、研究者である以上、研究に手抜きは許されない。しかし研究に偏りすぎて教育がおろそかになる、しかも研究といっても量の側面ばかりが肥大化していて、質はどうなのか、と感じることが多いような気がします。今日の大学は、入試と就職という入口と出口ばかりに関心を払って、中身の教育がおろそかになりがちです。慶應の場合、就職活動では学生たちが自主的に動くので、教員たちが苦労することはあまりありませんね。大学では、教育をどのように研究に生かすか、研究をどのように教育に生かすかという議論が必要ではないかと思います。

カテゴリ
三田評論のコーナー

本誌を購入する

関連コンテンツ

最新記事