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【特集:「排外主義」を問い直す】
毛受 敏浩:人口減少と外国人受入れ──共生政策の課題と展望

2025/12/05

移民2世の教育

日本社会が外国人を一過性の存在として見てきたことは外国人の子弟に対する教育の遅れにも顕著に表れている。文部科学省の調査によると、日本語指導が必要な高校生の中途退学率は全国平均の8倍、非正規就職率は38.6%と平均の12倍以上に達する。教育支援の不足は、移民2世の社会的排除を招き、貧困の再生産につながる。

移民国家の場合、移民1世は言語的な問題を抱え生活に苦しむケースが少なくないが、移民2世はその国の一般市民と同等の学力を身に着け、また所得も同等あるいはそれ以上になるケースが多い。それは受入れる社会が移民を社会の一員とするために言語を教える体制を持ち、その国の労働者と同等に扱うからである。

また移民の側も移住先の国の言語を覚えようと努め、その子どもたちに対しても教育を熱心に受けさせようとする。一方、日本においては政府は移民政策をとらないとしており、その政策の中で、外国人労働者は現実には定住化が進みながらも、出稼ぎ、一時的な滞在者との認識が強く、子どもたちの日本での教育も中途半端となる。この状況の中で定住する外国人の増加は、日本人と外国人の分断につながることは必至である。

実質的な移民政策の開始

日本の従来の外国人労働者受入れ政策は高度人材と単純労働(ブルーカラー)では大きく異なっていた。大学卒以上の高度人材については人数制限を設けず受入れ、一方、ブルーカラーの分野での労働者は原則として受入れない方針をとってきた。そのため人手不足が続くブルーカラーの分野においては労働者ではなく研修生との名目で技能実習制度を1993年から続けてきた。

しかし、勤め先企業がブラック企業であった場合においても転籍ができない技能実習制度は米国政府から人権侵害との批判を複数回受け、また国内においても批判が高まり、2018年にはブルーカラーの分野で労働者として受入れる特定技能の制度が決められた。さらに政府は2024年に技能実習制度の廃止を決め、新たに育成就労制度の創設を決めた。

育成就労制度ではその名称の通り、企業は受入れた外国人に対して育成する責務を負う。3年後にはその企業は受入れた全員が日本語の能力も職務能力も特定技能1号の試験に合格するレベルにまで成長することを目指す。育成就労制度は2027年に開始される予定である。

他方、技能実習から特定技能、育成就労への政策変更と並行して、政府は「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」と「外国人との共生社会の実現に向けたロードマップ」を策定・改訂してきた。これらの政策は、外国人との共生を推進するものである。

「総合的対応策」は特定技能制度創設と同時期の2018年12月に関係閣僚会議で決定され、毎年改訂されている。「ライフステージ・ライフサイクルに応じた支援」では、乳幼児期から高齢期まで、外国人に対する包括的な支援が掲げられ、「共生社会の基盤整備」では、啓発月間やイベントを通じて日本人の意識改革を促す施策も含まれている。

さらに、2022年6月には「総合的対応策」の指針として、「外国人との共生社会の実現に向けたロードマップ」が策定され、共生社会のビジョンと中長期的課題、具体的施策が示された。このロードマップも毎年、改訂されている。

この2つは国際的には移民政策の柱である「統合政策」に相当する。政府が外国人を定住者として位置づけていることは明白であり、日本が実質的に移民政策に踏み出したと考えられるが、「移民」についてのネガティブなイメージによる反発を恐れて政府はそのことを明示していない。筆者はこの状況を「移民ジレンマ」と呼んでいる。

「日本人ファースト」現象

政府が移民ジレンマに陥り、移民政策に対して曖昧な姿勢を取り続ける中、その矛盾を鋭く突いたのが参政党の「日本人ファースト」という主張である。2025年の参議院選挙において、参政党は1議席から14議席を新たに獲得し、飛躍的な躍進を遂げた。この躍進の原動力となったのが、同党が選挙戦で前面に打ち出したスローガン「日本人ファースト」である。

筆者は2025年10月号の月刊『文藝春秋』の企画として実施された座談会で参政党の安藤裕幹事長と意見交換を行った。その場で改めて認識したのは、参政党の台頭の背景には、「失われた30年」の長期的な経済停滞があり、それに伴う若年層の賃金低迷、未婚化、少子化といった社会現象が根底にあることである。これらの要因が若者を中心に既存政党への不信感を生み出し、新たな政治的選択肢として参政党が支持を集める土壌となった。

加えて、外国人に関する諸問題も「日本人ファースト」が支持を得る要因となった。中国人による土地の買い占め、インバウンド観光客によるマナー違反や迷惑行為、そして急増する在留外国人に対して政府が十分な説明責任を果たしていない現状が、国民の不安を増幅させたのである。

政府は「移民政策はとらない」との立場を表明しているが、現実には各地で外国人居住者が増加している。企業が地域住民への説明を十分に行わないまま外国人労働者の受入れを進め、その結果、日本語に不自由な外国人の増加が地域住民の不安感の高まりを招いている。企業はインバウンド需要や外国人労働者の活用によって利益を得ているが、その恩恵は地域住民に直接還元されているとはいい難い。説明不足のまま外国人が増加する状況に対し、「日本人ファースト」という言葉が一般市民の心に響いたのは当然の帰結ともいえる。

一方、JICAがアフリカ・ホームタウン構想を発表した際には、JICAが当初の説明不足を謝罪した後においても執拗な反対活動が行われた。政治的な意図を持った活動とも考えられるが、こうした動きはますます移民についての客観的な議論を封殺することにつながり憂慮すべき問題といえる。

「日本人ファースト」は日本人以外の存在を暗黙のうちに「セカンド」あるいはそれ以下の位置に置くことを暗示しており、外国人を社会に包摂していくという理念とは相反するものである。外国人が日本社会にとって必要不可欠な存在である以上、彼らを分離するのではなく、共に社会を構成する同等の一員として包摂する姿勢が求められるが、外国人を二級市民として扱えば、やがて社会には分断が生じ、犯罪やヘイトスピーチの温床となる危険性がある。

一方、地域で行われてきた外国人を支援する草の根活動である「多文化共生」は、「日本人ファースト」とは対極に位置する。「日本人ファースト」は、外国人が日本人よりも優遇されているとの認識に基づき、日本人こそが優先されるべきとの主張である。他方、「多文化共生」は、外国人が日本社会において様々な困難や差別に直面している現状を踏まえ、彼らを日本人と同様に扱い、社会に包摂していく必要性を訴える。

この差が生じる背景には、外国人に対するイメージの違いがある。「日本人ファースト」を支持する層が想定する外国人像は、土地や高級マンションを買い占め、利益目的で転売を行う富裕層である。一方、「多文化共生」を推進する立場が想定する外国人像は、低賃金で働き、生活に困窮している外国人家族である。両者が描く外国人像はまったく異なるものであり、そこに認識の乖離が生じている。

では、実態はどうであろうか。確かに一部の外国人が高収入を得て、贅沢な生活を送っている例も存在する。しかし、先に見た通り、外国人の平均賃金は極めて低く、安定した生活状況ではない例が多い。またその子どもたちの教育も極めて深刻な状況にある。日本に居住する370万人を超える在留外国人の大多数は、日本人よりも優遇されているとは到底いえない。

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