【特集:防災とコミュニケーション】
山崎 元靖:「防ぎえた災害死」の意味とは?──能登半島地震における避難調整の経験を通して
2024/12/04
防ぎえた災害死(PDD:Preventable Disaster Death)
「防ぎえた災害死」という言葉をご存知でしょうか? この言葉の意味を、時代による変遷も含めて理解することは、きっと現代の本邦の災害医療を理解する一助になるはずですので、その意味について述べてみたいと思います。
「防ぎえた災害死」とは、「平時の救急医療が提供されていれば救命の可能性があった災害死」と定義され、阪神・淡路大震災の6,434名の死亡者のうち、約500名(約7.8%)が初期救急医療の遅れによる「防ぎえた災害死」の可能性があったと報告されたことから、以来「防ぎえた災害死」を防ぐことが、本邦の災害医療の最大の目標にされるようになりました。
阪神・淡路大震災では、発災直後に被災地内の医療機関の機能が大幅に低下する一方、発災直後に被災地外から被災地内に進入し救護をする医療チームの不足、重症患者の被災地外への搬送手段の欠如、情報共有手段の未整備などが指摘されました。これらを教訓として、災害拠点病院、DMAT(Disaster Medical Assistance Team:災害派遣医療チーム)、広域医療搬送、EMIS(Emergency Medical Information System:広域災害救急医療情報システム)など、現在の災害医療の骨格となるシステムが整備されていきました。まさに阪神・淡路大震災から、本邦の近代災害医療の歴史がはじまったと言うことができると思います。
いわゆる「72時間の救命の壁」という概念が生まれたのも阪神・淡路大震災でした。救出者のうち生存者が占める割合が、発災初日が74.9%(518/692)、翌日は24.2%(195/806)、翌々日は15.1%(133/883)と急速に低下し、4日目には5.4%(26/484)となったことが報告され、「72時間の壁」を突破するための迅速な救助・救急の重要性が共通認識となっていきました。
また死亡原因は倒壊家屋等による窒息・圧死などが77%、火災等による焼死・熱傷が9%と、外傷関連による死亡、いわゆる「災害直接死」が大半を占めたことも、「災害医療≒発災直後の救急医療」という認識が広まった一因でしょう。なお、私が塾医学部を卒業したのは、まさに阪神・淡路大震災が発生した平成7年であり、救急医の道を進んだきっかけでもありました。
防ぎえた外傷死(PTD : Preventable Trauma Death)
実は「防ぎえた災害死」という概念は、平時の重症外傷患者に対する「防ぎえた外傷死」にルーツがあります。受傷後に適切な診療を受けられなかったり、標準的な手技が施されたりしていれば死亡せずにすんだと考えられる症例を意味します。一般的には患者の年齢、初診時の意識状態や血圧・脈拍、画像診断や手術によって得られる身体の損傷程度等を用いて予測生存率(Ps: Probability of survival)を算出(TRISS 法)し、Ps≧0.5にもかかわらず死亡した症例が、まずは「予測外死亡: Unexpected Death」とされます。さらに複数の第三者の立場にある外傷専門医によるPeer Reviewを経て、「防ぎえた外傷死」であったかどうかが判定され、「防ぎえた外傷死」を防ぐための様々な策を講じることで、医療の質の向上に役立てられます。
この概念は米国で先行して普及したものですが、本邦で注目されるようになったのは平成13年の厚生労働科学研究に端を発します。全国の救命救急センターへのアンケート調査が行われ、来院時心肺停止例を除く1年間の外傷死亡例のうち、なんと38.6%が「防ぎえた可能性が高い外傷死」と判定されました。これは米国の30年前とほぼ同等の状況であること、さらに国内での著しい地域間格差や施設間格差も指摘されました。この調査結果は、本邦で最高水準の救急医療を提供するとされている救命救急センター(いわゆる3次救急病院)のみを対象としていたことからも、本邦の救急医療関係者にとっては衝撃的な数字でした。
この結果を受け、JATEC(Japan Advanced Trauma Evaluation and Care)、JPTEC(Japan Prehospital Trauma Evaluation and Care)等の標準的な初期外傷診療・救護の研修制度や、ドクターヘリ事業等の救急搬送手段が全国に整備され普及していくことになりました。特にドクターヘリ事業は令和6年現在、47都道府県で57機が運用されるまでになり、能登半島地震をはじめ災害時にも重要な患者搬送手段として活用されるようになっています。また一部の地域では独自の対策もされるようになり、例えば横浜市では、市内の9カ所の救命救急センターのうち、診療拠点として重症外傷患者の救急搬送や外傷対応医師を集約化させた2カ所(済生会横浜市東部病院、横浜市立大学附属市民総合医療センター)を、平成26年に「横浜市重症外傷センター」に指定しています。「防ぎえた外傷死」の減少に一定の効果があったとの検証報告も令和4年にされています。
私は、済生会横浜市東部病院に在職中、横浜市重症外傷センター長の任にもありましたが、“Trauma is neglected disease of modern society” という言葉で象徴されるように、重症外傷を「不慮の事故」として片づけるのではなく「地域で一定の確率で必ず発生する疾病」として再認識し、地域全体のシステムを構築して対応することの重要性を実体験として痛感しました。このような考えは、前述の「防ぎえた災害死」を防ぐこと、つまり「発災直後の外傷患者を救急医療によって救う」ということと親和性が高く「災害医療≒救急医療」という認識が、本邦の関係者の底流として存在しているとも言えます。
2024年12月号
【特集:防災とコミュニケーション】
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山崎 元靖(やまざき もとやす)
神奈川県健康医療局医務担当部長・塾員