【特集:予防医療の未来】
伊藤裕:メタボリックドミノと〝未病〟医療──コンヴィヴィアリティ(conviviality)の創造
2023/10/06
5.生活習慣病vs.生活環境病──社会的ストレス、リソース
これまでメタボリックドミノの諸病態、非感染性疾患は、「生活習慣病」と称されてきました。しかし、現在、生活習慣の変調は、往々にして、自己責任とされ、個人の生活が「だらしない」からだ、として個人の自覚と努力に委ねられることがみられます。この問題は、「スティグマ(Stigma, 烙印)」と呼ばれ、大きな医療課題となっています。しかし、その人がそのような生活習慣をとらざるを得なくなったのは、その人を取り巻く社会環境──生育・教育状況、住居、仕事場などにその原因があることが認識されるようになっています。欧米での認知症抑制に関わる因子の解析では、禁煙、血圧の適正化に加え、学歴の向上が指摘されています。また、政令指定都市に住む高齢者のほうが、地方に住む方より認知症発症が少ないことも知られており、これは、都会の人のほうが、地下鉄などの交通機関の整備により、車を使わず歩行数が多くなる、公園などへのアクセスがいいことなどが原因であると推定されています。
「地球温暖化」は、17の課題から構成されるSDGs(Sustainable Development Goals)の努力目標のなかで最も重要な課題です。我々は、患者さんが、どのような住居環境、すなわち、室温、湿度、騒音、照度の中で生活しているのか、患者さんの住居にさまざまなセンサーを装着してモニターし、それらの指標と患者さんの生体状態を照合する検討を行っています。
6.栄養代謝とミトコンドリア健康長寿法──老化は病か?
未来型の予防医療では、健康な人をより健康にすることが目指されます。そのためのヒントは、超高齢社会の日本に見い出せます。慶應義塾大学医学部百寿総合研究センターでは、現在日本で9万人を超え、その数が増加し続けている100歳以上の方(百寿者、センチナリアン)がどのような病気に罹患しているかの調査を行いました。センチナリアンの人も、高血圧や白内障、骨折などの病気に罹患することは多いのですが、注目すべきことはこうした疾患に罹患するのが、85歳あたりを過ぎてからであり、それまでは病気らしい病気にかかっていないということです。これは、「疾患の圧縮(Compression of morbidity)」(病気が人生の最後の時期に押し込められている)といいます。「細く長く」ではなく、「太く長く」生きるのが現実なのです。
さらに特徴的なことは、糖尿病の罹患率が低いということです。罹患する人は、数%です。一般人では、10%程度、さらに予備軍まで入れると20%程度です。このことは、栄養・エネルギー代謝、いわゆる新陳代謝が寿命の決定にとって極めて重要であることを物語っています。
我々のエネルギー源はATP(アデノシン三リン酸)と呼ばれる物質で、これは細胞の中に存在する「ミトコンドリア」とよばれる細胞内小器官において、栄養素である糖、脂肪を主に原料として、酸素の力で作られています。ミトコンドリアの機能が低下するとATP産生が減少し、酸素がうまく使われなくなって、化学反応性が高く細胞を障害する「活性酸素」となり、これにより老化、臓器障害が起こります。メタボリックドミノのドミノ倒しは、まさに、ミトコンドリアの衰えです。糖尿病はエネルギー代謝の障害により発症しますが、ミトコンドリアの病であるといっても過言ではありません。ですから、ミトコンドリアを元気に保つことが、健康長寿の秘訣です。そして、そのカギとなる物質の1つがサーチュインです。
カロリー制限(通常の栄養摂取量の70~80%にする)により、サルに至るまで、寿命が延び、糖尿病、心血管病、がん、認知症が少なくなる、いわゆる健康寿命が延びることが示されています。この「腹八分目」が長寿をもたらすことにサーチュインが関与しています。サーチュインは、ビタミンB3(ナイアシン)からつくられるNAD(ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)により活性化される酵素で、ミトコンドリアを元気にし、エピゲノム変化を調節する作用があります。メタボリックドミノが進行する中で、様々な臓器で、NADのもとになる物質(前駆体)のNMN(ニコチンアミドモノヌクレオチド)が減少し、そのことが老化の進行につながることが明らかになってきました。我々は、全身老化の要である腎臓の老化、慢性腎臓病におけるNMNの意義を明らかにしました。現在、NMNには、アンチエイジングの領域で過熱気味に注目が集まっています。我々は、メタボリックドミノの先制医療、さらには、未病対策として、2016年世界で初めてNMNをヒトに経口投与し、NMNが十分体に吸収され、そして安全に作用することを報告しました。その後、様々な施設でも投与効果が検証され、サルコペニアや認知症などに対する効果も期待されています。
これまでの医療は、それぞれの疾患の成因を明らかにして、その原因を特異的に取り除く薬剤の開発が行われてきました。しかし超高齢社会においては、これら多くの疾患の基礎には老化が存在し、多くの疾患の母体、マザーとなっています。ですから、一つの病気を抑制できても他の病気が起こってくるというモグラ叩きの状態になりがちです。早い時期から老化そのものに介入するモードの医療が大切であり、NMNもその一つとなりうる可能性があります。
現在、アンチエイジングの方法には2つの潮流があります。1つは老化した細胞を除去する方法(Senolysis、セノリシス:セノは老いた、リシスは消去する、という意味)と、新しく細胞を生み出す前駆細胞(ステムセル)を刺激する方法があります。前者は、老化細胞のマーカーを見つけそれをもとに老化細胞を除去する、あるいは、老化細胞が生き残ろうとする仕組みを働かなくするものです。いま最もホットな分野ですが、わたしは、いくら老化した細胞を殺しても、若い新しい細胞が生み出されないと、「若返り」はうまくいかないと思っています。NMN療法は、後者のアプローチのカテゴリーに入ります。
デビッド・シンクレアはその著書『LIFE SPAN 老いなき世界』において、老化は病気であるとしています。我々はこれまで、老化は不可避なものとして、ただただ受け身で受け入れてきましたが、そうではなく、老化は治すことができるという考えを示しています。
2023年11月号
【特集:予防医療の未来】
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