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【特集:日本の住環境、再考】
池田靖史:コエボハウスから見えた2030年以後の環境住宅像

2021/12/06

生活様式をめぐる社会の変化への適応力

コロナ禍で住宅での滞在時間が圧倒的に多くなった傾向は、リモートワークの定着とともに将来的にも続く可能性が高いだろう。生活様式の省エネ化の観点だけから言えば決して悪いことではなく、恒常的安定的な利用の方がエネルギー消費削減の工夫は見つけやすい。しかし、このような大きな生活意識の変化が、社会全体にこれだけ大規模に急激に起きると予測した人がいただろうか。そして、今後は似たようなことが起きないと断言できるだろうか。住宅は良くも悪くも使い手の側の意識の変化によってその価値を目まぐるしく変えてしまう。

コエボハウスで当初から議論を呼んだことに、50センチくらいの内部段差がある。高齢者の住宅内での転倒は寝たきりにつながることもあり避けるべきとされるが、あえてタブーに挑戦したのは、日常生活の運動を促進することによる疾患の防止を提案するためであった。こればかりは実験はできなかったが、居住者の身体的状態によって何が良い住環境であるかということが変化していくこと自体を問題提起したいと思ったのである。

高齢者に加え、子育て世代などもライフステージに合わせて生活様式が変わっていく。コエボハウスがさまざまな利用者によって試され評価されたことから、当初考えていた以上にこのことを考えさせられたし、共進化のより深い意義がこうした社会の変化やそれに伴う個人の生活様式の変化への適応能力を住宅が獲得することにあるのも気付かされた。もちろん床段差はなくならないので、住宅の何もかもが適応的に変化に追従できるわけではない。しかし居住者の変化を感知して機器制御の再調整を続けるシステムの発想が、予想していない社会的変化に直面しても住宅が価値を失わないためのステップでもあることも確信できた。もっとわかりやすい具体的な例として、大規模災害の停電時などに、電力使用の優先度を判断したり、建物の健全性を自己診断したりするようなシステムも、社会的状況に応じた住宅の適応力を問題にしているのだから。

そう考えると、住宅には個別の立地条件があるというもう1つの適応課題が浮かび上がる。コエボハウスは最初から解体して移築できるように設計されていて、実際に2つの場所を経験したし、モデルハウスの提案である以上、さまざまな地域と立地を想定すべきだと考えられた。

一般的な建築設計では、道路や隣家の位置、地形や樹木などその立地が持つさまざまな周辺環境を手がかりにすることが常道である。それはここまでに述べてきたような生活様式的な部分よりも安定して固定的だとも考えられるし、立地特性を有効な資源と捉えることは環境共生の上でも正統的である。しかし住宅技術の開発プロジェクトとしては可能な限り多くの人々に役に立つ一般的な方法を求め提案しようとしているわけなので出発点から矛盾を孕んでいる。もしコエボハウスがこの一軒のみならず広範囲に役立つ一般的方法に展開されるとすれば、せっかく南に向けた太陽電池が隣家の影になったり、周辺地形のおかげで生じる風環境があったり、思わぬ騒音源があって窓を開けられなかったりということをどこまで想定すべきか、という問題が生じる。こうした条件を入力してシミュレーション予測し、より良い解決策を探る技術は進歩してきている。

コエボハウスは完成後にシミュレーションと実際とを比較するための研究に使われた。それは異なる条件への適応能力を獲得するために、住宅ができることを考えていくための大事なヒントになった。シミュレーションですべてを予測することはできないが、現時点で直面している状況から改善策を探索するのには有効である。むしろそのおかげで一般性のある解決としてある程度割り切った設定をすることができる。そしてここでも解決案の個別性とそれを見出す方法の一般性を両立させるために、使いながら共進化させていくというコンセプトの有効性が認識されていったのである。

コエボハウスの室内。ハイテク機器を装備しつつも、木質感あふれ る空間

社会に貢献しつつ個人の生活の変化に寄り添う住宅へ

環境問題とは個人の社会への貢献と自身の幸福の関係を考えることではないだろうか。住宅において「できるだけ」環境に対する影響を小さくしようとすると矛盾に突き当たる。なぜなら最も影響の少ない方法は何もしないことで、究極的にはその建築の必要性すら疑われるからだ。通常は前提となる常識的範囲をもとにしているが、突き詰めると将来への不安を避けるための我慢の程度の問題になってしまう。一方でさまざまな観点を総合的に比較した上で人間が許容する範囲は広く、現時点の生活様式の維持が最良かつ十分なわけでもない。

デザインには正解はないと言われる。その価値を決める基準自体が固定的ではないからで、デザインの難しい点も可能性もこの変動的な価値にある。どんなに環境負荷が小さくてもその生活的価値を受容できなければ意味がない。その逆に、魅力を感じさせる要素があれば大きな可能性がある。何が理想的であるかどうかの基準自体が曖昧かつ変動的なものであることが、デザインの潜在力を引き出すとすれば、その関係を探る社会的かつ個人的な適応としての環境システムこそが持続可能性を持っている。

ただ残念ながらコエボハウス一軒のデータではあまり統計的な意味を持たないことを認めなければならない。多数の住宅のエネルギー消費データの収集と分析という意味では、コエボハウス以降にハウスメーカーなどが商業的にも開始している。平均的な傾向を読み取る手法としてはずっと信頼性があるし、今後ますますこうしたデータが日常的に利用されていくことになるだろう。しかし本稿で述べてきたように、住宅の本質である個人の多様性と一期一会の関係にある環境との関係に踏み込むためには、こうした統計的なデータだけでなく、コエボハウスの原点にあった個別の利用主体との共進化的な関係の技術を築くことが、改めて重要に思えてきた。つまり住宅がそれぞれ違う人生を歩んでゆく個人の生活の変化に寄り添い適応できることは大切である。一方、それと同時に、予測自動制御のような技術だけでなく、人間の側の価値発見を助ける視覚化なども通じて双方向的に動的平衡を作るサイバーフィジカルシステムにも、デジタル技術が住宅という難題を通じて個人と社会に貢献する最大の可能性も秘めている。

これまで我々が科学的な知見の成果を一般解として標準的に適用する発想に囚われていたのは、それが大量生産的なコストダウン手法にも合致して社会全体の合理性という正義にもつながることに慣らされすぎていたからかもしれない。それは決して間違いではないのだが、社会への責任と個々の人間性を尊重するヒューマニズムとの相剋、という課題が住宅という人類の暮らしと人工物による創造における最も身近で根元的な主題に見え隠れし、そこに人類が考えることのできる究極の創造物とも言える人工知能が関わり始め、その様相に一石を投じていることはなんとも興味深い。

コエボハウスに設置されたさまざまなセンサと、そこから採集され たデータのインタラクティブモニタ

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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