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【特集:青少年とスポーツ】
高野連が投球数制限に至るまで

2020/03/03

有識者会議で何が話し合われたか

会議のメンバーを初めて見たとき、野球関係者がバランスよく集まったという印象を持った一方、立派な実績をお持ちの方々ばかりなので意見を集約するのは苦労するだろうと感じた。日本高野連は会議発足当初より、20年春のセンバツで何らかの投球数制限を実施したいと考えていたようだ。そのため、同会議のミッションは、4月から11月までの計4回の会合で結論を出すことになった。

世間の注目度の高い会議のまとめ役は荷が重かったが、意外に役に立ったのが私の役人経験だった。07年より2年間、内閣府の統計委員会担当室長として、新・統計法施行後初の〝公的統計の整備に関する基本計画〟を策定するという仕事を任された。各省庁の利害が対立するなか、効率よく会議を開き、決められた時間内に計画の内容を決定しなければならない。ハードルが高すぎれば閣議決定に持ち込めないし、かといって低すぎては何のための統計委員会なのかと批判を受ける。最悪なのは時間切れで結論が出ないことだ。このとき担当室の部下だった官僚たちの優秀さには正直舌を巻いた。委員の先生方にしっかりと丁寧な根回しを行い、会議前には完璧なシナリオ(進行表)ができあがっていた。もちろん、会議では異論も出るのだが、論破するための理論武装も万全だった。

この方式を有識者会議においてもそのまま応用した。1回目の会議では、まずすべての委員に持論を述べていただいた。「正しい投げ方をすれば投球数は関係ない」「高校生たちは高校野球に人生をかけている」「試合ではなく普段の練習法から見直すべきだ」等々、どれも豊富な経験に基づく意見だけに傾聴に値したが、すべてを受け入れていては結論が出ない。かといって無理に押さえつければ会議は空中分解してしまう。

そこでまず考えたのが何らかの〝エビデンス〟を示すことであった。「証拠に基づく政策(evidence based policy)」というタームでも知られるように、説得力のある政策を提示するにはその正当性を示す根拠が必要となる。投球数制限をかける場合は、〝投げ過ぎはケガにつながる〟というエビデンスが必要だ。幸いにも、95年に「日本臨床スポーツ医学会」から出された「青少年の野球障害に対する提言」の作成に関わった医師が委員として加わっていた。その提言には「高校生は500球/週を超えないこと」と明記され、根拠となる論文も併記されていた(*2)。

確かに医学の専門家からの警告は重要な意味を持つ。だが、それだけでは不十分だ。なぜなら、「そんな平均値で規制をかけられてはたまらない」と現場からの反発が予想されたからだ。そのため次に考えたのは、こうした警告に従わなかったときに想定されるペナルティである。もし、医学会からの提言を軽視した指導者が「500球/週」を超える球数を投げさせたことによって何らかの〝障害〟が発生したとき、選手サイドから損害賠償を求める訴訟を起こされる可能性もあるということを弁護士でもある委員に発言していただいた。もちろん、投球数と障害の因果関係を立証するのは容易ではない。しかし障害とは単なるケガではなく、今後一切全力投球ができなくなることを意味するのだ。現場の指導者がそこまでの責任を負えるのかという点を自覚していただきたかった。

ただこうした〝脅し〟的手法は真の意味での〝納得感〟にはつながらない。有識者会議の仕切りを任された座長としては、すべての委員に投球数制限について納得してもらいたかった。そこで最後に打った手は、「高校野球はこのままでいいのか」という危機意識を持ってもらうというものだった。会議の最大のヤマ場は9月にやってきた。第3回会議の前に、全国の都道府県高野連理事長と有識者会議委員が対峙する形での意見交換会が開かれたのだ。すでにアンケート調査などで、投球数制限に消極的なところが多いことは聞いていたが、案の定「投球数を制限すればこれまでの高校野球が変わってしまう」などといった反対意見が出てきた。

通常の会議では座長はまとめ役であり、自らの考えを述べることはしない。だが、この意見交換会では委員を代表して私が理事長たちを説得しなければならない。医師と弁護士の方に意見を述べていただいたあと、会合の締めとしてマイクを握った。そして私がこれまでの著作で対象としてきた業界を引き合いに出し、自分たちの都合を優先し内向きの対応をとっていれば、いずれ世間から見放され衰退に向かうという話をした。野球はもはや黙っていても子どもたちが関心を示してくれるスポーツではない。若者に選んでもらえるよう努力する必要がある。そのために、この会議において高校野球の新たな方向性を打ち出すべきなのだと説明した。

驚くべきことに会合の雰囲気はがらりと変わった。おそらく理事長たちも覚悟を決めたのだろう。意見交換会終了後に開かれた会議では、各委員からこれまでになく前向きの意見が出され、私は有識者会議の成功を確信した。

これで終わりではない

こうして11月まで4回の会議でなんとか答申の完成にこぎ着けることができた。記者会見では概ね好意的な反応だったが、なかには「1投手1週間500球」ではすでにほとんどの出場校が条件をクリアできており、規制として意味があるのかという鋭い質問も出た。もちろんご指摘の通りである。ここ最近でこのルールに抵触したのは、18年の選手権大会に出場した秋田県立金足農業高校の吉田輝星投手のみだ。しかし、日本高野連がこうしたルールを設けるというアナウンスメント効果は大きな意味を持つ。なぜなら〝高校野球は変わった〟という印象を世間に与えることによって、全国の指導者たちが投手の障害予防を優先的に考えるようになると期待できるからだ。

最終回の会議の後で各委員に一言ずつ話をしていただいたとき、元野球部監督のある委員が「はじめは投球数制限には反対だったが、会議に出席するにつれ自分たちが変わらなければならないことを理解できるようになった」と感想を述べた。心から嬉しかった。

わずか半年あまりの短い期間で答申が出せた背景には、日本高野連の事務局の奮闘があったことはいうまでもない。効率よく会議を運営するためのアジェンダとシナリオ、ならびに議事録の作成など、夏の大会やU-18ベースボールワールドカップといった現場の仕事をこなしながらの作業で多忙を極めたと思う。しかし、この会議を無事に終わらせたことで、私は事務局に高いレベルのノウハウが蓄積されたと確信している。

もちろんこれで終わりというわけではない。今回の投球数制限は障害予防のスタートラインに立ったにすぎない。甲子園大会に登場する投手の障害は氷山の一角である。中学野球における障害予防はほとんど手つかずの状態で、高校に入学した時点ですでに肩や肘に何らかの故障を抱えている生徒たちも数多くいるのだ。若者にとって野球が魅力的なスポーツであり続けるため、日本高野連には今後も重要な役割を果たしていっていただきたいと願っている。 (敬称略)

*1 「体罰容認一割の闇」(『朝日新聞』2013年7月2日付)より。

*2 Takagishi, K. et al., Shoulder and elbow pain in junior high school baseball players: Results of a nationwide survey, Journal of Orthopaedic Science, Vol.22, No.4, July 2017, pages 682-686.

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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