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【特集:再生医療の未来】
再生医療の展開と倫理面を中心とした課題

2019/06/05

「国産」原料細胞の供給態勢整わず

民間の事業者から購入する細胞のもとをたどると、海外の組織提供者に行きつき、日本人の細胞ではない場合が多い。再生医療用だけでなく、創薬研究で新薬候補の効果や安全性を確かめるために使う細胞でも同様だ。米欧では本人の同意を得たうえで細胞の提供を受け、それをもとにiPS細胞などをつくり、移植用細胞に育てるなどして細胞製品として販売するルールや品質管理、流通の仕組みが整っている。再生医療だけでなく遺伝子治療なども含めた細胞治療全般を普及させるのに必要な「基盤」として、官民が協力して確立してきたものだ。患者団体などの支援を受け、社会的コンセンサスを得るための地道な努力も続けられてきた。一方、日本では細胞ビジネスは臓器売買などを連想させるためマイナスのイメージが強く、倫理的に問題があるなどとして広がりにくい。

2017年には、経営破綻した民間臍帯血(さいたいけつ)バンクの臍帯血が提供者の知らぬ間に流出し、複数のクリニックで使われていたことが発覚し、大きな関心を集めた。これらのクリニックでは、がん治療やアンチエイジングの目的で、臍帯血を患者に移植する治療を実施していた。再生医療等安全性確保法に基づく厚生労働省への届け出をしておらず、臍帯血の保管や流通にかかわった事業者、医師らの逮捕につながった。臍帯血はCiRAのiPS細胞ストックの原料としても使われているが、厚労省の認可を受けた公的な臍帯血バンクから提供者の同意の下で供給を受けており、事件を起こした民間臍帯血バンクとはまったく別だ。しかし、これらを混同したり臍帯血の利用に悪いイメージを抱いたりする人もおり、健全な再生医療の妨げになっている面はある。細胞治療の原料として臍帯血のニーズが高いのは間違いなく、不信感の払拭にはルールの徹底や細胞の取得、流通、投与のプロセスの透明化が不可欠だ。

経済産業省は、米欧並みに細胞原料の確保、流通を活発にし、再生医療の推進に役立てようと、有識者研究会を立ち上げ、2015年に「原料細胞の入手等に関する調査」を実施し、報告書をまとめた。このなかで、ヒト細胞の利用に関する国民の感覚や感情に配慮しつつ、①法制度への対応に関する検討、②社会的な認知の向上、③細胞提供者の理解・協力を得るための取り組み、④細胞提供者、採取医療機関などの連携を確保するための実務上の課題への対応——が必要などとした。その後、日本医療研究開発機構(AMED)が引き継ぐ形で検討を続け、「再生医療の産業化に向けた評価基盤技術開発事業(国内医療機関からのヒト(同種)体性幹細胞原料の安定供給モデル事業)」などを実施しているが、具体的な法制度や実務上の仕組みの整備はまだできあがっていない。

再生医療をはじめとした新たな治療法開発で国際競争が激化しているなか、原料確保がままならない状況は不利だ。今年3月に神戸市で開かれた第18回日本再生医療学会総会のシンポジウムでも「末梢血の単核球は、日本では購入が困難で、やむを得ず海外から輸入して非臨床試験に使い、データをとっている」「米国では大手3社が販売している」などとして、現状改善を求める声が相次いだ。登壇した経産省の担当者は「もう1年くらい検討したい」「まず実情を理解したい」などと回答するのにとどめた。

細胞治療研究で世界をリードする英国の例をみると、国の予算で運営する「細胞・遺伝子治療カタパルト」が、投資家、企業、医療機関、患者をつなぐうえで大きな役割を果たしている。原料の調達から治療用細胞の調製までサプライチェーンを担う企業の育成、臨床試験に使える安全な細胞を必要なだけつくれる大型CPCの整備、企業や研究者と全国の医療機関との仲介などを広く担う。それぞれが透明なルールの下で運営、稼働されており、新しい治療が国民に受け入れられやすい環境を政府主導で迅速に整えようとしている。

倫理面や安全性の審査態勢に改善余地

原料の問題以外にも、解決すべきことはいくつもある。新しい治療法の臨床研究などをする場合、被験者となる患者を集めなければならない。研究を倫理面や安全性の面から問題なく実施できるかどうかは、専門の委員会が審査する。再生医療等安全性確保法では、iPS細胞などを使う、比較的リスクの高い治療や臨床研究の場合は特定認定再生医療等委員会による審査を、また民間クリニックが間葉系幹細胞や免疫細胞を使って実施する美容整形、がん治療などの比較的リスクが低いとされる治療や臨床研究は認定再生医療等委員会による審査を義務付けている。

これらの委員会は、タイプごとに委員の条件などが決まっており、厚労省の認定、つまりお墨付きを得ている。にもかかわらず、審査とは名ばかりで、料金さえ払えば簡単に臨床研究や治療の実施を認める委員会もあると言われている。議事の概要は公表されるものの、実際のやりとりの詳細はわからない。委員会に立ち会った専門家によると「だれも発言しないまま終了することも多い」という。これでは再生医療そのものに対する信頼性の低下につながりかねない。AMEDと日本再生医療学会が協力して実態調査のプロジェクトを進めており、結果を踏まえて委員会の構成要件の見直しなど、審査の実効性を高める方法を検討する。特定認定と認定再生医療等委員会を合わせると、国内に150以上ある。すべてが質をそなえ、しっかりした審査をする体制を整えるのは無理がある。医師や法律、倫理の専門家がそろいやすい大学病院など、地域ごとに集約するのも一案だろう。

これまでみてきた安全性や倫理の問題が解決されても、技術の急速な進歩は常に新たな課題を生み出す。代表的なものが、iPS細胞から卵子や精子といった生殖細胞をつくる研究だ。日本では、指針で生殖補助医療の研究のために受精卵を樹立する場合、もとになる卵子は不妊治療のために採取したものの使われずにいる余剰卵子や、病気で摘出した卵巣から得られ、使う予定のない卵子のみ、などと決めている。大学の研究室などでも入手しづらく、不妊治療クリニックなどから卵子を分けてもらっている。

iPS細胞を卵子や精子に分化させ、受精させれば技術的に受精卵をつくることは可能だ。もとになる材料は、ほんのわずかな血液だけで済む。生命の誕生の仕組みに迫り、不妊症の原因解明にも役立てる目的で、京大の研究グループが関連研究を進めている。この分野で世界をリードする斎藤通紀教授は、ヒトのiPS細胞から卵子や精子のもとになる始原生殖細胞を作製することに成功した。iPS細胞からヒトの精子と卵子を得て、それらから受精卵をつくれるようになれば、初期の成長過程における異常や、成長とともに現れる病気の原因解明が加速するだろう。その際、作製した細胞にゲノム編集を施し、狙った塩基配列を改変できれば、一気に新たな知見が得られ、難病の治療法や予防法の開発に弾みがつく可能性がある。

一方で、技術の乱用を懸念する声がないわけではない。いつでもどこでも手軽に受精卵をつくれるようになったとしよう。ゲノム解析をして、少しでも病気のリスクや、特定の能力が低いといった「好まれざる」特徴につながりうる配列がみつかった場合、それらを大した抵抗もなく廃棄するようになるかもしれない。受精卵の取捨選択、つまり命の選別がいとも機械的に、簡単になされていくことになるとしたら問題だ。

さらに、極端な場合には、たとえば同一人物のiPS細胞から精子や卵子をつくり、それらから受精卵を作製、女性の子宮に入れるなどして子を産ませる実験を考える人も出てくるかもしれない。1人の遺伝情報だけを忠実に受け継いだ一種のクローン人間が生まれることになり、受け入れられるものではない。再生医療、遺伝子治療などの細胞治療と生殖医療のあり方を総合的に規定する、何らかの法的な枠組みが、いずれ必要になるとみられる。

最先端の技術に対する社会的コンセンサスづくりや、倫理的課題の整理、解決は非常に重要だが、日本では技術開発そのものに比べて軽視されがちだ。問題が発生してから、慌てて政府の総合科学技術・イノベーション会議の生命倫理専門調査会などで検討し、短期間で当座の結論を出そうとするケースが多い。今後は世界的な技術の動向を見据え、つねに社会と対話しながら課題を考えることが必要だろう。委員会やワーキンググループといった「形」をつくるだけでなく、中身の濃い議論ができる専門家の育成が欠かせない。医学、法学、生命科学、社会科学などにまたがる広い視野をもつ人材を発掘し、育てる役割が、大学にもこれまで以上に求められる。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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