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【特集:AI 社会と公共空間】
政治におけるAI

2019/02/05

政策立案におけるAI

次に、実施される政策をつくる場面では、AIをどのように利用でき、また、いかなる課題があるだろうか。

そもそも法律を制定する際の基礎や前提を形成する「立法事実」には、過去・現在の事実(既存の事実)だけでなく、それを基礎とした将来予測(未来の状態や帰結)も含まれる。しかし、過去・現在の社会的経済的事実を精確に把握するだけでも難しい。加えて、既存の事実からいかなる予測を立てるかは、事実認定よりも複雑な作業である。

そこで、各種の統計・資料や行政の業務データなどを収集・解析した上で、AIで情報を選別・集約し、参照すべき情報や検討すべき論点を推薦したり、将来予測シナリオを提示したりすることが考えられる。これにより、法案提出権を有する議員及び内閣を支える行政府・議院法制局などの希少な人的・時間的資源をより効率的に活用できよう。

立案は、政策実施の場面と比べて、裁量が比較的大きい。そのため、統制の難しさが増す場面である。前記のような取組みは、データに基づく判断の促進や判断過程の透明化にも寄与するので、自由度を損なわずに一定の統制を図れる。また、「証拠に基づく政策形成(Evidence-Based Policy Making, EBPM)」の潮流と呼応するものといえよう。EBPMでは、証拠を求めることで、政治的圧力による「歪み」「忖度」を牽制でき、「政策に基づく証拠形成」の抑止にもつながるとされる。立法の「質」向上への期待は、政策立案におけるAI活用にも妥当しうる。

もっとも、実装を進めるには課題もある。まず一般論として、良質なデータセットが揃っていないため、多くの前処理を必要とする。さらに、現状において政策評価や効果検証が必ずしも十分に行われていない点も指摘できる。AIの精度向上のためには、(追加の)学習用データセットとして、政策評価に関するデータがあれば非常に有意義である。しかし、行政活動の無謬性を志向し「減点主義」を基調としがちな公務員の多くにとって、政策評価はキャリア形成上のリスクとして映るだろう。また、計量に馴染まない成果も存在することを考えれば、測定しやすい指標のみを業績として取り上げることで過剰適応が生じ、業績評価指標では掬い取れない効果が減退してしまうおそれもある。

そうすると、立案時の正当化(justification)というよりも、立案後の統制・検証の場面での導入からはじめる方が現実的かもしれない。議会での質疑、会計検査、「行政事業レビュー」などでのAI活用である。ただし、検証それ自体の権力性に留意が必要だ。よって、抑制均衡が機能する仕組みや政策立案の現場で受け入れられる機能を吟味した上で、統計に関する業務の見直し、人事評価制度の変更、統計法や公文書管理法の趣旨徹底などと合わせて、漸進的に導入を進める必要がある。

政策決定におけるAI

政策立案におけるAI活用が期待でき、許容できるとしても、その前段階におけるAI活用は、(技術的な実現可能性があったとしても)許されないかもしれない。

政策決定について、もう少し詳しく見てみよう。ある政策課題Aについて手法a1、a2、a3…などの選択肢がありうるとき、論点整理や将来予測を高度化・効率化することで、よりよい選択肢を提示できるかもしれないというのが前々節の要点であった。しかし、政策決定では、Aとは別の政策課題B、C、D…と比較しなければならない場面がある。例えば、50兆円という予算を、高齢者医療、若年無業者の支援、科学技術振興などにどう按分するかという比較である。

政策課題が共通ならばある程度同じ物差しで比較できるが、そうでないなら比較不能な価値の迷路に迷い込んでしまう。しかしそれでもなお決断しなければならない場面がある。こうした決定は、(各府省や与党内での調整などを経て)議会で行われることになっている。

この調整や議論をさらに充実させるために、マスメディアやインターネット上に散在する意見や行動履歴から推測される選好データなどを収集・分析し、世論をリアルタイムで提示することなどが提案されている。

この提案について、代表制(憲法43条一項)との抵触が指摘できる。憲法が代表制を採用した理由が、(1)国民とその代表者間の討議と、(2)議会における代表者間の討議という2つの討議プロセスを確保する点にあるとの見解に立つとすれば、後者の討議が空洞化する事態は看過しがたい。つまり、意思決定支援を超えてAIが討議と決定を代替することは許されないことになる。

次に、議会における代表者間の熟議(deliberation)を促すようなファシリテーターとしてのAIを想定すると、議題設定(agenda-setting)こそが政治力の源泉との仮説がすぐに頭をよぎるだろう。また、議題設定機能を担うとされるマスメディアが、信頼性低下という苦境に立っている現状を踏まえる必要もある。「公平・公正」「不偏不党」などの理念を検討し、信頼を構築するという難しい挑戦が控えている。

加えて、熟議と決定の関係性にも留意すべきだ。熟議は意思決定の方法というよりも選好形成の方法である。つまり、自己の主張を正当化する「理由」を探求する過程であり、ときとして他者の「理由」を聴いて選好が変わることもある。もちろん選好の一致をみないこともある(むしろ実証研究では、極論同士のぶつかり合いや声高な少数派による議論の誘導が多いと示されている)。そのため、熟議を打ち切る制度として投票による決定が要請される。とはいえ、投票と熟議は接続すべきといわれている。なぜなら、(端的には政策が失敗に終わった時などに)熟議で形成された選好と理由を答えてもらうことで、決定を検証できるからだ。憲法66条三項にいう内閣の責任は、このような答責性(accountability)として把握できる。

そうすると、答責性の確保をAIによって促せるのであれば、よりよき政策形成過程の実現に資するかもしれない。

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