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【特集:AI 社会と公共空間】
「公共性」の2つの含意

2019/02/05

秩序の基礎としての評価と追跡

そして、そのために必要なのは追跡と評価の可能性だと言うこともできるだろう。たとえば我々が知っているような国家や法が存在しなかった古代社会でも、経済活動はそれなりに行われていたはずだ。契約を守るよう裁判によって強制することができない状況でも人々は互いに約束し、それを自発的に守ることによって売買や賃貸借といった経済関係を維持することができる。その重要な要因として、国家一般に対して否定的なスタンスを取るリバタリアンと呼ばれる人々が挙げてきたのが、信頼と評価である。自分がした約束を守らない人間は、次も同じことをする可能性があると周囲から評価され、新たな約束を結んでもらえなくなるだろう。それが自分の不利益につながることを理解することができる理性的な人間であれば、周囲の人々からの評価を下げ、信頼を失うような行為をできるだけ避けようとするはずだ。このようにして人々は自主的・自発的に約束を守ろうとし、他の人々がそうするだろうということを信頼して我々も約束を結ぶことができるというわけだ。

だがただちに気付くとおりこのプロセスが機能するためには、約束を結んでいるのがどこの誰でその結果がどうなったかが周囲の人々の観点から理解され、その結果としての評価が蓄積されていく必要がある。古代の共同体的な集落であればその条件は整っていたかもしれないし、中世地中海交易にたずさわる大商人のようにごく限られた社会集団の内部でもそれは可能だったかもしれない。しかし多くのSNSでは現実のこの私と必ずしも対応しない無数のアカウント──ネット上の「私」──を作り出すことができるし、何か不始末が発覚した場合にはそれを捨てて新たな「私」へと生まれ変わることができるだろう。行動が追跡され評価が蓄積される対象としての「私」自体が激しく流動化している状況では、良い評価を積み重ねて周囲の信頼を勝ち取るより、背信的な行動で短期的な利益を狙う戦略の方が有利になってしまう。

同様に、契約を破った側がその情報を消すことを自由に要求することができてしまえば、やはり信頼のメカニズムは機能しなくなるだろう。インターネットが実現した一定の匿名性や、サービス間・アカウント間の移動可能性は、一方において現実社会の人間関係やそこで生じる圧力から解放された自由な空間を我々に提供し、大きな利便性を生み出すことになった。しかし同時にそれは評価の蓄積を困難にすることによって、自生的な秩序が発展し維持される可能性を失わせることにもなったのである。

我々の直面する選択

このような状況のもとで、しかしインターネットを通じた自由な情報流通・情報利用のもたらす利便性を維持しようとするのであれば、我々は次のような選択に直面することになるだろう。背信的利用者の存在によって情報の秩序が乱れることを避けようとするのであれば、個々の利用者──つまりインターネットを利用している我々一人ひとり──がそのような行為を避け、他者の利便性を(少なくとも故意に)制約しないよう適切に情報を発信し、利用させなくてはならない。仮に個々の利用者の自覚に訴えたのでは問題行動が十分に抑止されないのであれば、何らかのシステム的な対応により追跡と評価の可能性が担保されなくてはならない。先に紹介したように、実際に購入した利用者のみに感想や評価の投稿を認めるという制度はこの一例として理解することができるだろう。逆に言えば、個人に関する情報のすべてをあたかも彼の独占的な所有物であるかのように捉え、その意思による自由なコントロールを認めるような発想は抑制すべきだということにもなるはずだ。

結論を繰り返しておこう。公共的な空間がその公共性を失うことなく「開かれた場所」として万人にその利便性をもたらすためには、特定の人物による排他的な占有だけは排除されなくてはならないという制約が不可欠である。インターネットをその中心とする現代の情報化社会において蓄積・流通する個人情報が万人への利益を生み出すことを可能にするためにも、情報を歪曲することによって自分だけが利益を独占しようとする背信的利用者は排除されるべきであり、他者の提供した情報の生み出す利便性は享受しつつ「自分の情報」は渡さないというような態度にも、一定の疑いの視線が向けられるべきかもしれない。

公共性には、他者を制約しないという前提、他者が同じ自由を享受することを受忍しなければならないという限界が、内在的に含まれている。我々がAI技術のメリットを享受しつつその弊害を防ごうとするならば、自由と受忍とのあいだで適切なバランスを見出し、それを維持し得る制度的な仕組みについて、真剣に検討する必要があるだろう。

※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。

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