【特集:動物園を考える】
似て非なる日本と欧米の動物園──野生生物保全と動物福祉の視点から
2017/06/01
動物園は必要か
動物園は必要か。私は、動物園は都市生活者に野生の生き物のこと、自然のことを忘れさせないための最後の砦の1つであり、都市から自然体験への最後の門口でなければならないと考えている。動物園がなくなったら、野生動物も、自然も、ひたすら観念の産物となり、人間は自然の一部だということを忘れさせ、ついには野生動物や自然環境を保全しようという意志も失わせかねないと思う。極言すれば、漁労・狩猟・採集社会で獲物を捕えなければ生きていけないように、超都市社会の住民にとっては動物園の動物たちは残された自然を忘れ滅亡に向かわないために必要な犠牲だと考えることができる。
このように考えれば、動物園の動物たちが野生動物や自然環境の保全にできる限り役に立つよう、そして、彼らが動物園という環境でできるだけ快適な生活ができるようできる限りの努力をする、それが私たちの責任ではないだろうか。井の頭自然文化園のゾウのはな子は、海外からの批判を受けた時に何かできるような状況ではもはやなかったが、幼くして日本に連れてこられて他のゾウと一緒に暮らすことがなかったことは許されるのか、20年、30年前だったら何か出来たことがなかったか、そうした検証と反省は、されなければならないだろう。日本にはまだほかにも1頭で暮らすゾウがいるのだからなおさらだ。鯨類についても、繁殖を前提にした施設すら用意しない新施設が作られていいのか、鯨類の身になって考えた時、はたして最善のケアを提供していると言えるか、考えてみる必要があるだろう。日本のメジャーなメディアではほとんど報道されないが、アメリカのハンドウイルカの場合、保護個体などを除いて80年代を最後に野生からの導入無しに展示が維持されているという事実は認識しておく必要がある。
日本の動物園や水族館が全てダメだと言っているわけではないし、現場の職員は皆まじめに担当動物のために尽くしている。世界標準でも高く評価されるべき努力や取り組みはちゃんとある。ただ、そうした取り組みが力を得て事業を発展させる体制と機構と社会の関心がない、ということだ。山本幸三・地方創生担当相の「文化学芸員はがん」という失言とそれにまつわる事例の事実誤認は、はからずも日本の政治家と文化行政の質を露呈した形となったが、究極的には公共性の高い非営利事業を官民協働で取り組める新しいシステムが日本には必要だというのが私の今の考えだ。
もし動物園や水族館に足を運ばれる機会があったら、こうしたことを思い出していただければ幸いである。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。
2017年6月号
【特集:動物園を考える】
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