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【特集:動物園を考える】
似て非なる日本と欧米の動物園──野生生物保全と動物福祉の視点から

2017/06/01

  • 本田 公夫(ほんだ きみお)

    野生生物保全協会(Wildlife Conservation Society、米国)展示グラフィック部門スタジオマネジャー・塾員

この3年ほどの間に太地町のイルカ漁とWAZA(世界動物園水族館協会)の問題や、展示動物の入手が困難になっている状況などがマスコミで取り上げられ、動物園についてのニュース特集番組なども作られるようになってきた。結構な傾向であるとは思うが気になっていることが1つある。それは、すべてが人間側の都合の話に終始し、動物の側に立った視点が欠落しているということだ。具体的には、減少する野生の個体群との兼ね合い、そして動物園の動物自身の福祉という2つの視点である。これなくして動物園を語ることはできない。

野生動物の消費者

欧米では19世紀には野生動物の減少・絶滅の問題と保護の必要性が認知されており、私のデスクのあるニューヨークのブロンクス動物園のように野生生物保全を設立趣旨に掲げる動物園がすでに登場している。第2次大戦後、産業社会が一挙に成長すると公害問題が顕著となり、ベトナム戦争の自然環境への影響も危惧されるようになった。環境保護に対する意識が高まり、野生動物の減少が一層鮮明になる中、動物園は野生動物の消費者として野生動物の減少に一役買っているという批判が前にも増して高まった。例えばゴリラを野生から捕まえてくる場合、成獣では馴致・順応が困難なのでこどもを捕まえる。これは、こどもの母親や群れを守ろうとするシルバーバック(成熟したオスゴリラ)などが殺されることを意味する。さらに、こうして捕獲したこどもの多くは原産国を出る前や輸出の途中で死んでしまう。動物園の1頭のゴリラの背後にはどれだけの犠牲が出ているか、というような試算が行われるようになった。

このため、動物園は動物を継続的に繁殖する努力をすることで動物を自給する体制を作るだけでなく、絶滅危惧種を救うための機関とならなければならないという意識が共有されることになった。帝国主義時代に植民地から動植物を集め、ひたすら種類数を競ったヨーロッパなどの大動物園は、種ごとの個体数を増やして繁殖群を維持するために種類数を減らすよう方向転換を余儀なくされた。1972年には、希少動物の飼育下繁殖に関する第1回の国際会議が開かれた。ちなみにレイチェル・カーソンの「沈黙の春」の初版出版が62年、アメリカ合衆国環境保護庁創設が70年、日本の環境庁新設が71年である。

したがって、「動物園の動物は必要に応じて野生から捕まえてくればいい、業者から買えばいい」というような考え方は大阪万博の少し後にはすでに国際的に通用しなくなっているという事実をまず知って欲しい。

共有財産としての動物園動物

繁殖群維持に向けて科学的かつ組織的管理が進むにつれ、近親交配が繁殖率や生育率の低下を引き起こすことが明らかとなった。集団遺伝学の進展と機を同じくして、遺伝的多様性を適正なレベルに保ちながら個体群を維持するには、血縁関係のない個体が最初に何頭くらい必要で、それらを偏りなく組み合わせ繁殖させながら、何世代でどれくらいまでの個体数にする必要があるか、というような基本的な指針が作られるようになった。種によって繁殖寿命や繁殖の頻度、妊娠・抱卵期間、1度の産仔・産卵数などが異なるので、こうした管理には基礎データの集積が必要なのはもちろん、そもそも継続的に繁殖させるための条件を知らなければならない。家畜化された動物と違って基礎データがすぐにあるわけではないので、普通の人が考えるほどこの作業は簡単ではない。たとえば同じアフリカのサイでも、クロサイはオスメス1頭ずつで飼育していても繁殖するがシロサイは広いところで群れで飼育し、オスの囲い込み行動を誘発させなければ繁殖しない。

そして、このような計画を実行するには複数の施設が協力して動物をやり取りし持ち合うことが必須条件となる。このためアメリカの動物園水族館協会(AZA)では1980年代初頭にSpecies Survival Plan略してSSPというプログラムを始めている。私がこのプログラムを最初に知った時になによりも驚愕したのは、対象種を維持する目標年数を200年としていたことだ。200年経てば、これらの動物が野生で生きていける環境が残っているかどうか結論が出ているだろう、という思想の壮大さに圧倒された。実際にはたとえばゾウとネズミでは200年維持するのに要する個体数も世代数もスペースもまったく異なるので、現在では目標を対象種によって100年ないし10世代以上と修正し、その間遺伝的多様性を90パーセント以上に維持することを基準としている。

どの個体とどの個体を繁殖させるかということはもはや場当たり的にはできない。種ごと、近縁の分類群ごとに調整者が置かれ、動物を別の園に移動してちがう個体との繁殖を試みるよう、あるいはそのペアからはもうこどもを取らないでほしい、というような勧告を必要に応じて行う(個別の園館の事情があるので命令はできない仕組みだ)。動物が入用な場合でも、欲しい個体の要件に合う余剰個体がどこかにいるか、繁殖の相手として適切な個体がいるか、というようなことを調整者に打診するところから始まるのが通例となる。海外とのやり取りも同じことで、仮に個別の園同士で話が始まったとしても、両国の調整者に問題がないか確認をとる。

この努力の結果、ユキヒョウのようにかつてめったに見ることができなかった種でも、飼育園館数は激増した。ニシゴリラは野生の個体を動物園に持ってきたのはおそらく1960年代が最後で、もはや動物園にいる個体のほとんどは動物園生まれである。最初の頃は欧米でも自分の施設の人気動物を他所に送らなければいけないというようなことに抵抗を示すところもしばしばあったが、現在では個別の動物に対する各園館の所有権の意識そのものがかなり薄らいだ印象が強い。動物園動物はまさに共有財産として維持管理されていると言って過言ではない。

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