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【特集:動物園を考える】
心の痛みから考える動物園水族館とイルカ入手問題

2017/06/01

  • 佐渡友 陽一(さどとも よういち)

    帝京科学大学講師/動物観・動物園学研究室

「心の痛み」という視点

今年2月、「イルカショーの可能性と未来」をテーマとしたシンポジウムが京都大学で開催されたが、この告知チラシの文言がちょっとした話題になった。そこに「水族館に所属する人間は、飼育されたイルカが幸福ではないと1度も感じたこともない」とあったからである。これに対し、江ノ島マリンコーポレーションに在籍し、全国のイルカ飼育関係者と交流がある挾間雅行は「心の痛みを感じていない関係者にお会いしたことはありません。逆にその痛みといかに向き合うかを懸命に模索し、痛みの緩和に向けて実践している」と述べている。他方、主催者はシンポジウム冒頭、「水族館のイルカはかわいそうではないと定義する。この問題は議論しない」という約束事を宣言した。飼育現場に心の痛みがあることは分かるが、それを議論できる状況にないという判断であろう。本稿では、主催者があえて避けたこの視点から水族館のイルカ入手問題を振り返ることで、日本の動物園水族館の立ち位置を考えたい。

そもそも、「心の痛み」が人間社会の様々な境界を越えて共有されるようになったのは18世紀半ばとされる。金澤周作は、19世紀イギリスでは貧者が慈善団体に救済を求める際に「心の痛み」の共有が機能したと述べているが、同国で有名な動物虐待防止法(マーティン法)が成立したのはまさにその時期であった。1879年には同法に、動物の苦痛に配慮して生体解剖を制限する改正が加えられたが、これは動物の苦痛を、生体解剖等による公益と比較する功利主義的視点に則ったものであった。伊東剛史は、この改正にあたって、動物虐待の摘発に尽力した愛犬家チャールズ・ダーウィンが、動物の生体解剖を容認せざるを得ない生物学者としての自分との葛藤の中で、麻酔使用などの生体解剖のルール策定に関わったと述べている。ダーウィンをして動物虐待防止法の改正に関与させたのは、動物に対する心の痛みだったと言えよう。

このように、動物の問題を人間の心の痛みから捉えることは、人間の行動を説明する上でメリットがある。人間が自らの時間を投入する目的として、心の痛みの軽減があると理解できるからである。一方、動物自身の幸福や苦悩を捉えることは、実のところなかなか難しい。例えば、ある刺激が動物の行動を豊かにするエンリッチメントになるか、ハラスメントになるのかは、種はもちろん個体毎にも異なるため複雑な試行錯誤が必要とされる。飼育下のイルカが不幸か否か、ショーのためのトレーニングはどうかといった議論を、仮定や推論を一切交えずに行うことは現時点では困難である。そもそも幸福と苦痛を重視する功利主義的基準は人間の脳の産物であり、生物の進化を促してきたのはどの遺伝子が増えるかという基準である。ただ、我々人間が共感できると思えるのは、動物の「心」であって、遺伝子ではない。本稿が採用した「心の痛み」という視点は、人間がより良い世界を目指す上で有用であるとしても、遺伝子から見れば余計なお世話かもしれない。この宇宙において功利主義的基準が果たす役割は、また別に考えるべきであろう。

水族館のイルカ入手問題の経緯と報道

ここで、水族館のイルカ入手問題について簡単に振り返っておく。詳細は、伴野準一の『イルカ漁は残酷か』や、『日本動物園水族館協会75年史』を参照されたい。

日本でイルカショーを始めたのは1957年にオープンした江ノ島水族館マリンランドであるが、その5年後にオープンした伊東水族館で働いた内田詮三(美ら海水族館元館長)は、伊豆では食用のイルカ漁が盛んで手に入りやすかったと記している。1969年には古式捕鯨発祥の地である和歌山県太地町で町立くじらの博物館が開館し、イルカショーのための生体捕獲を目的として追い込み漁の技術を導入したことで、太地町は生体販売により多くの収入を得るようになった。

ところが、1972年には国連人間環境会議で商業捕鯨モラトリアム(停止)が提案され、捕鯨は一躍国際問題となった。C・W・ニコルは古式捕鯨をモチーフにした長編小説執筆のために太地に滞在し、古式捕鯨とは大きく異なるイルカ追い込み漁に衝撃を受け、「様々な反対運動に格好の攻撃材料を与える」と懸念したが、太地町のイルカ漁師も水産庁の高官も聞く耳を持たなかったと述べている。ニコルの懸念は、2003年にイルカ解放運動家リック・オバリーが太地を訪問したことで現実のものとなり、2009年には映画『ザ・コーヴ』が公開された。

この間、世界動物園水族館協会WAZAは、2003年に倫理・動物福祉規定を制定し、翌年、日本のイルカ追い込み漁を同規定違反とする決議を採択した。これを受け、日本動物園水族館協会JAZAは断続的にWAZAと交渉したが、WAZAは動物福祉に関する最高基準の実行と奨励が会員の義務と主張し、追い込み漁と生体捕獲の分離を求めた。2009年に両者は、9月の漁期にはハンドウイルカの生体捕獲だけを行うと発表したが、10月以降の扱いはうやむやにし、実際には従来通りの状況を継続した。2014年にこれを知ったWAZAは合意が守られていないと指摘し、8月にはエルザ自然保護の会などの動物保護団体を交えた協議を行ったが十分な合意には至らなかった。翌年3月にはオーストラリアの動物保護団体が倫理学者ピーター・シンガーらの賛同を得てWAZAを訴える構えを見せ、4月22日にWAZAはJAZAの会員資格停止を発表した。そして、JAZAは加盟施設による投票によってWAZA残留を決めたのである。

この経緯には、大きく分けて3つの立場が絡み合っていた。1つは、リック・オバリー、エルザ自然保護の会、ピーター・シンガーらによる動物の権利・解放の立場である。人間のための動物利用を批判し、追い込み漁はイルカをパニック状態にして生け捕りにする残酷な猟法と主張する。これに対し、WAZAが重視するのは動物福祉であり、人間による動物の保全や管理のために最高基準の動物福祉の実現を推奨し、生体捕獲にあたっても動物への配慮を求める。一方、太地町や水産庁は、イルカを水産資源として科学的に管理、利用すべきとし、漁師達は自然の恵みに感謝しながら慰霊や供養を行っているとして、科学的管理と伝統性を主張している。

これらの立場を本稿の視点から捉え直すと、動物の権利・解放は心の痛みを根本的に解消しようする運動と理解できるが、あらゆる動物利用を禁止するので突き詰めると動物と共存できなくなる論理でもある。実際、動物と人間の関係は、屠殺、駆除、死別、避妊去勢などあらゆる場面で心の痛みを伴うので、現実問題としてどこで折り合いをつけるかが問われる。これに対して動物福祉は、動物の心理学的幸福を最大化する科学と理解できるが、科学として洗練されるほど、どこまで活用するかという倫理的線引きが問題となり、WAZAは動物福祉と倫理を区分して考えることを推奨している。最後の科学的管理と伝統性は、心の痛みを考慮しない科学的管理の枠組みの中で、心の平衡を保つために慰霊や供養という伝統を受け継いでいると理解できるが、国際的共通倫理となりうるかが問われる。

ここで、日本の新聞報道がどのような立場からこの問題を報じたかを振り返ると、まず新聞報道の主眼は、水族館のあり方よりも、捕鯨文化に対する国際的圧力への対応にあった。例えば、JAZA会長の記者会見において重視されたのは、WAZA残留という決定が追い込み漁や捕鯨文化を否定しないことの確認であった。結果、従来の水族館のあり方を検証して改善につなげる動きは、動物園水族館の当事者以外にはほとんど広がらなかった。全体として、国際的な圧力から捕鯨文化を守るという大きなフレームに支配され、動物福祉の視点はそこに収まる範囲でのみ理解された。この際、WAZAは追い込み漁について「残酷」と指摘したが、この言葉が屠殺ではなく、生体捕獲に適用される意味がよく理解できなかった様子も見られた。結局、追い込み漁におけるイルカの生体捕獲という特殊性は軽視され、国内の動物保護団体が関与した経緯は無視されたのである。

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