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【三人閑談】
編み物をやりましょう!

2025/12/25

編み物とは筒を作ること

瀨戸 以前、カウチンセーターで有名なカウチン族に会いにカナダまで行ったことがあります。カウチンセーターって前開きじゃないですか。

ハナ カウチンセーターと言えば、という形がありますね。

瀨戸 彼らは前開きのカーディガンにする時はまずプルオーバー(頭からかぶって着る形)を編み、そしてハサミで前を切ってしまうんですよね。

ハナ ニットを切るのはやったことがありませんが、英国のフェアアイルセーターもそうですよね。筒状に編んで、ソデを切る場合もあると聞いたことがあります。

瀨戸 そうですね。ハサミを入れるのは合理的と言えば合理的だけど、日本では絶対にありえない(笑)。

横山 伝統的なセーターの作り方を研究すると、大体、胴体と2本の腕が入る計3本の「筒」をくっつけることに終始しています。編み物っておそらく布地をいきなり筒状に作れるほぼ唯一の方法なんです。織物はすべて平面ですが、編み物は最初から輪っか状に、筒として作れる。その形からして、編み物は「包むこと」に特化していると言えますね。

瀨戸 靴下もそうですね。

横山 僕が大学院生だった2002年に、日本編物文化協会から『伝統のニット──「てづくりのもの」のなかにある不思議なもの』という本を出版しました。この本では伝統的な5種類の編み方──ガーンジーセーター、アランセーター、カウチンセーター、ロピーセーター、フェアアイル──にまつわるよもやま話を調べて書いたのですが、カウチンセーターだけでなく伝統的なセーターは大体筒状に編んでいくので、和服のようにすべて平面裁断で作るのとは対照的です。

使い込まれるニットの真価

瀨戸 当社にはさまざまなヴィンテージのニットを収蔵していますが、アイルランドのアラン諸島がルーツとされるアランニットは今、編める人がほとんど残っていないと言われます。

横山 編み手の数は随分減っているようですね。

瀨戸 編み物は昔、「コテージ・インダストリー」と呼ばれました。小屋のように小さな規模で営む産業、という意味ですね。

横山 アランニットのように伝統的なニットは、家内制手工業的に作られていましたよね。

瀨戸 そう。アランニットはフィッシャーマンズセーターとしても知られていますが、編み込まれているマークには、いろいろな意味合いが込められています。ガーンジー島やジャージー島で見たニットにも家系を表す紋章が入っていました。それがあれば、着ている人が遭難して亡くなっても出自がわかったそうです。

横山 実際にそういう側面はあったのでしょう。ただ、すべて鵜呑みにしてよいのかなとも思います。というのも、自分で編んだものは見ればわかるから。

「販売戦略的に付加されたストーリーだ」という人もいます。すべてをそういうふうに見る必要はないので、僕は「そういうこともあったかもな」という気でいますが。

ハナ 確かに自分の編んだものはわかりますね。

瀨戸 まあそうかもね。昔はあくまで防寒着でしたから。オイリーで水を弾く毛糸を使い、今ほどファッション的な要素が強かったわけではなかったから。

横山 本場のフィッシャーマンズセーターと言えば、重くて硬い。潮をかぶると質感がどんどんフェルトに近くなるのが特徴ですね。

ハナ 使い込むほど丈夫になるのはかっこいいですね。

瀨戸 普段着にするには重くて疲れてしまうから、ファッションとしてはうけなくなってしまったけどね。

横山 実際に着て見るとフェルトのすごさがわかりますよ。フェルトのコートはおもにモンゴルやシベリアの少数民族が着るものですが、極寒の地でもムートンの敷物を敷いてフェルトのコートを着れば寝る時も凍死しないと言われています。

驚くのは、それほど保温性が高いのに快適なことです。僕が着させてもらったのは6月で、生地がとても分厚いので最初は断ったのですが、「編み物をやっているなら絶対に着ておいたほうがいい」と言われました。そして、実際に着てみるとまったく嫌な感じがしない。

ハナ 羊毛フェルトですよね。それは私も着てみたいです。

昭和に響いた毛糸狂騒曲

瀨戸 手編みと言えば、1970、80年代は日本で手編みがとても流行りました。その後1990年ごろから、それを見たアパレルメーカーが手編みのセーターを中国で生産するようになり、廉価で手に入るようになりました。残念だったのは、それを境に手編みの価値がすっかり変わってしまったことです。

僕が一生懸命営業してたのは80年代ですが、当時は一着分の毛糸代が1万円もしました。会社員の初任給が10万円いかない時代ですよ。それでもみんな、自分で毛糸を買って編んでいました。

ところが90年代以降、中国製の既製品が一着1980円程度で手に入るようになり、手編みの価値が一気に下がってしまった。それまでの毛糸の人気は大変なものでした。私たちもカウチンの毛糸を輸入して、1パック1万数千円で売りましたが、カナダで買い付けた5000パック分があっという間に売り切れてしまうほどでした。

ハナ 毛糸を買って自分で編むのは、戦後間もなく生活する上で必要だから編んでいた頃とはそもそも目的が違いますよね。

瀨戸 そう、完全に趣味の世界。だから素敵なデザインの作品がたくさんありましたし、凝った作りが付加価値になっていました。100円ショップもない時代の毛糸は安くても1玉300円、上質なものなら1200円ほどしていました。私たちもカシミヤやアルパカの毛糸を扱いました。

横山 「こういうものが着たい」と思った人が自分で作っていた時代ですね。今でこそアランニットのような縄編みのセーターは、クオリティにこだわらなければお店で手軽に買えますが、当時は簡単に手に入るものではなかったのですね。

瀨戸 そうです。そういう時代だからこそ、当時の編み物の本には素敵なデザインの作品がたくさん載っています。

ハナ 昔の編み物の本をめくると、デザインが付加価値になっている感じがとてもよく伝わってきます。毛糸にお金を出して一から作る人たちの熱量を感じます。

瀨戸 1980年代は、仕入れのためにヨーロッパの毛糸メーカーをほとんど訪ねました。残念ながらそれらは今ほとんど残っていませんが、フランスやスイス、イタリア、イギリスでいろいろな毛糸を見ました。国や地域ごとに風合いが違いますが、向こうは硬水で染色するので洗濯すると毛糸の色が落ちやすかったのです。

横山 今は、ヨーロッパはSDGs法制によって、状況が厳しくなっていますね。羊をどのような環境で育てるかといったことまで見られます。ある程度の水準以上の環境を整備できているメーカーでなければペナルティが加えられるのでメーカーも牧場も大変そうです。

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