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【三人閑談】
編み物をやりましょう!

2025/12/25

本でつながるニットの輪

ハナ ニットの世界では季節を問わずいろいろな本が出版されていますよね。私も2022年に『着まわしニット』を出版しました。

横山 どのような経緯で本を出すことになったのですか?

ハナ 2018、19年にそれぞれ自費出版でZINE(ジン)を作ったのです。自分でデザインして編んだアイテムを、友人にモデルとカメラマンをしてもらい、編み図も描きました。今見返すと間違いもあるのですが、できた当時、出版社や毛糸メーカーに送りました。日本ヴォーグ社にも送りましたよ。

瀨戸 そうだったの⁉

ハナ その後、他の出版社の編集者の目に留まり、出版することになったという経緯です。

横山 僕も以前、編み物のZINEを作ったんですよ。日本ヴォーグ社が運営するKeitoという毛糸専門店が浅草橋にあった頃に、それを見たスタッフの方がワークショップの講師を依頼してくれました。

瀨戸 2020年に The Power of Knitting という本が出ました。『編むことは力』というタイトルで日本語版も出ています。

横山 社会的なムーブメントの1つの表現として編み物を捉えた本で、とても話題になりましたね。編み物の本が日本ヴォーグ社のような手芸専門出版社ではなく、岩波書店から出版され、他分野も巻き込んで話題になったことに驚きました。

編み機が飛ぶように売れた時代

ハナ 瀨戸さんも編み物をなさるのですか?

瀨戸 いえ、私は紺屋の白袴です。会社に入る時にこれはさすがに知らないとまずいと思い、少し勉強しましたが。

横山 当時はどなたに教わったのですか?

瀨戸 社員の人たちです。みんな先生のような存在でしたから。編み機の使い方も教えてもらいましたよ。

ハナ 私は編み機に触ったことがないんです。

横山 僕は物心つく前から触っていました。家庭用編み機の技法に、裏目を表目に返す「タッピ返し」という操作があるのですが、小さい時にそれをやって遊んでいたようです。

ハナ 「ようです」とは?

横山 物心がつく前の年齢なので。編み物を始めた時、どうも糸と針の扱いに慣れていたので母親に訊くと、「ちっちゃい頃にやっていたからね」と(笑)。

瀨戸 1960年ごろまでは編み機も嫁入り道具の1つでした。年間100万台は売れていました。かつてはトヨタが編み機を作るほど需要があったのです。

横山 編み物教室にも編み機がずらりと並んでいましたね。

ハナ 機械を使うと、手編みではできないこともできるのでしょうか。

横山 手で編むよりも早く編めるなど、利点はありますが、一長一短があるかと。編み機には編み機の文化があり、機械を使えた人はその筋の技を練っていたと聞いています。

戦後日本に編み物文化が急速に広まったのは、おそらく物が不足する中で自分の服は自分で作ろうという意識があったからです。編み機が爆発的に流行ったのもそういう理由でしょう。でも、家庭用の機械では平面でしか編めないなどの制約があります。そこで、趣味としてより自由な手編みが盛り上がったのかなと僕は見ているんですが。

瀨戸 横山さんが持っているのは、日本手芸普及協会の「手編み師範」の資格ですか?

横山 いえ、僕の資格は「プロフェッショナル」です。

瀨戸 編み機と手編みでは、編んでいる時の気持ちも違いますか。

横山 僕は長じてから編み機は触っていませんが、違うようですよ。僕が高校生だった1990年代前半には、教室でも編み機のコースは少なくなってしまっていましたが、今はまたやる人が少し増えているみたいですね。

編み物のマインドフルネス

横山 手編みが残ったのは、編み物の作業に心のよりどころになる部分があったからかもしれません。

瀨戸 最近の「デジタルデトックス」と呼ばれる効果の1つでしょうね。心のよりどころと言えば、当社の編み物教室の先生たちは、阪神・淡路大震災や東日本大震災の被災地を訪ねて編み物教室を開催していました。被災者の方々が大勢参加して下さり、「編み物があってよかった。なければ心が折れていた」と言っていただけました。

横山 編み物にはそういう側面があると思います。手仕事全般に言えるのかもしれませんが、編むことに集中すると、普段の嫌なことを忘れられます。

ハナ 私も同感です。

横山 僕の母も編み物講師として東日本大震災の被災地を回るプロジェクトを起こした1人でした。

震災直後は多くの先生方がボランティアで行っていましたが、5年ほどの間に人数が減り、母の始めた活動は母1人になってしまっていたようです。そこで、僕のところに連絡が来て、親子2人で南相馬市の仮設住宅や学校を訪ねることになったのです。1週間かけてほうぼうをまわり、東京に戻る時になって先方のコミュニティでリーダーをやってくださっている方が母に「震災直後は『こんな時に編み物なんかやっても……』と思いましたが、とても助かりました」と伝えてきました。

実は、僕は編み物の「心に効く力」を知ってはいたものの、その言葉を聞くまでどこまで通じるのか半信半疑だったのです。あまりにひどい大災害、ひどい被害でしたから。でも、その時に被災地の方が心の底からそうおっしゃるのを伺って、「『編み物の持つ力』はこんな状況でも通じるのか!」と衝撃を受けました。それ以来、本腰を入れて編み物文化の普及に取り組むことにしたのです。

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