【三人閑談】
和室の手ざわり
2025/10/15
床の間をいかに伝えていくか
保科 床の間も日本の家庭から次第に減っていませんか。私は、日本人が大事にしてきたことが、根本から見えづらくなっていると感じます。畳の縁や茶室のにじり口のような形でコミュニケーションの要素を可視化するのが和の空間の役割でもあったと思います。
久保木 確かにそうですね。
保科 どのお宅にも必ず床の間があり、掛け軸や花を飾るだけでなく、お客様や家長が近くに座ることで関係性をつくり出す役割も果たしていました。
松井 床の間があるのは奥座敷ですが、是非残してほしいとご要望をいただくことは多いです。
保科 床の間が希少なものになっているのですね。子育てをしていて感じるのは、日々暮らしている空間について次の世代に教えられることがたくさんあるということです。
しかし、今の子どもたちには床の間の概念がないので、そこが神聖な場所であり、家の中の関係性を形作る空間であるということも伝わりにくい。私たちの世代が文化のバトンを渡せるのかどうか。修学旅行先で初めて畳を見た生徒さんが、そうとは知らずにスリッパのまま上がってしまうことがあったという話も聞きました。
松井 初等中等教育の授業をたまに和室で行うのもいいんじゃないかと思います。私は慶應女子高校を卒業したのですが、在学中は敷地内にかつて徳川達孝(さとたか)伯爵邸の木造家屋が立っていました。私たちもその日本家屋の中でくつろいだりして過ごしましたし、お茶会が開かれることもありました。
保科 教材としての和室の役割はまだまだ多そうですね。
畳は世界に羽ばたけるか
松井 畳は、和室を特別な空間として演出してくれる重要な要素だと思うんです。ウェスティン都ホテル京都の中に、和室の名手と言われた建築家、村野藤吾設計の佳水園という数寄屋があります。全室角窓になっていてお庭が拝見できる素晴らしいお部屋なのですが、日本人宿泊客が次第に減り、逆にインバウンドの宿泊客が増えているそうです。
この和室が最近、低いベッドを入れるなどして、現代人の生活スタイルに合わせた空間になりました。ですが、床は畳のまま、目線を低く下げるという和室の大切なポイントが守られているんです。
久保木 最近、畳のある空間として、北欧家具を組み合わせたスタイルを提案しています。
松井 畳と北欧家具は合いそうですね。
久保木 自然素材という意味では、畳の原材料はイグサなので木材とも相性が良い。ウェルネスや心の安らぎをもたらしてくれるところを強みに、こんなふうに住んでみたいと思ってもらえる空間づくりを目指しています。
松井 畳は外国でも人気が出そう。
保科 簡単に取り外しができることも畳の良さですよね。茶室は夏と冬で炉を開いたり閉じたりするので、この手軽さは本当に機能的です。
持ち運びできるサイズがあるといいなと思うのですが、いかがですか? 実際に4分の1サイズの畳を作っている方がいて、海外でお茶碗等をディスプレイするのにも使えて便利なのです。これを製作した畳屋さんは、その上で赤ちゃんのおむつ替えをしたり、お昼寝をさせたりして使っていました。
久保木 私たちもテーブルに置けるサイズの小さな畳を作っています。近年、和食が世界中に広まる中で、外国のラグジュアリーホテルのレストランでも和食が食べられるようになりました。お客様が食後に抹茶を召し上がるシーン等を思い描いて製作したのです。実際にニューヨークのホテルで提供されており好評です。
保科 ちょこんとあるだけでも、食卓が和の空間になりそうですね。
松井 日本人旅行者や現地で暮らしている方々にも日本文化を再認識してもらえるかもしれません。
保科 たしかに。日本人は逆輸入に弱いので、ハッとしてくれる人がいそう(笑)。
和室文化を発信するには
久保木 逆輸入の機運は茶席などでも感じますか?
保科 感じます。とりわけ海外で教育を受けた日本の若い人たちの反応がよいのです。
松井 私も日本文化の素晴らしさを再認識したのは、ドイツから帰ってきてからでした。
保科 ずっと国内にいると、当たり前すぎてなかなか気がつかないのかもしれません。最近は、子どもを海外の学校に通わせるご家庭が増えています。そういう子たちは語学やグローバルな感覚が身に付くだけでなく、一度マイノリティーになることから、日本のことをさらに認識するようです。
またお茶を通して外国の方と接していると、今日本文化への関心が驚くほど高まっているのも感じます。逆に日本からの発信が足りていないのではないかと思うほどです。
久保木 保科さんはインバウンドの方々に日本文化を伝える時に、どのようなことを考えていますか。
保科 私は幼少期からお茶に親しんできましたが、きっかけとなったのは学生時代の留学経験でした。自分にとって当たり前のものとなっていたお茶の文化が外国ではたいへん珍しいものとして受けとめられました。それを言語化できないもどかしさがあったのです。
その一方で、大学卒業後、就職や結婚、子育てに追われる中で、お茶室や和の空間が素の自分に戻れる場所だと感じました。メディテーションの空間、あるいは整う場所ということですね。この2つの経験が重なり、「英語茶道」として、行間や間、型といったものを徹底的に言語化しようと考えました。お茶は陰に含む世界なので、野暮たること甚だしいとは思いつつ、やってみると空間や作法に対する解像度が飛躍的に上がったのです。
久保木 とても大事なことです。
保科 言葉にすることで自分の中でも腑に落ちるだけでなく、予備知識のない方にも伝わることがわかりました。他の言語に置き換えることで、あらためて日本語の美しさを知りましたし、論理的な説明とは違う感性の言葉を再認識することもできました。
松井 根本的にニュアンスが違うのでしょうね。
保科 そうですね。ですが、それを何とか翻訳しなければ外国の人に伝わりません。また、それを考える過程が自分を知ることにもつながるのでとても面白いのです。
松井 面白いですね。そこまで考えている方はなかなかいないのでは。
保科 でも、増えてきていると思います。チャレンジしようという人たちの原動力は、自分が好きだから、という内発的な動機だと思うのです。その意味でインバウンドの方々はわざわざ日本に来て、私たちにとってすごく良い機会を与えてくれる存在です。
久保木 まさしくそうですね。
保科 旅する場所は世界中にいくらでもあるのに、日本に来て茶道体験にも参加してくださる。その時点でとても相性がよいわけです。
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