【三人閑談】
和室の手ざわり
2025/10/15
ござから置き畳、そして和室へ
保科 畳はどのようにして今の形になっていったのでしょうか。
久保木 実は1300年前、敷物と言えばござでした。板の間にござを敷き使っていたのですが、「畳んでしまっておく」ことから「畳」と呼ばれるようになりました。平安時代になると、偉い人だけが座れる厚みを持った畳が生まれ、書院造りの居室に置き畳のスタイルへと変わっていきました。
保科 おひなさまみたいな。
久保木 そうです。偉い人だけが座れる領域となっていき、やがて畳縁が登場します。縁には偉い人の位を表す模様が描かれていました。
よく知られる「繧繝縁(うんげんべり)」は皇室のための畳縁ですし、貴族にも高麗縁がありました。畳縁を踏んではいけないのは、位を示す大切な柄が描かれているからです。
松井 なるほど!
久保木 置き畳の文化は800年ほど続きました。今のように敷き詰める形になったのは500年ほど前です。書院造や数寄屋造が興ったことで、置き畳から和室へと変わっていきました。
保科 千利休が京都・山崎に建てた茶室・待庵(たいあん)は、畳の歴史でも画期的だったのでしょうね。わずか二畳の茶室で、身分の隔てなくお茶をたしなむために刀を外し、にじり口で頭を下げて入るのですから。
松井 あれほど凝縮された空間をよく考えたものです。和室の設えは室内で正座した状態に合わせて考えられていますね。座った時の目線の高さが伝統的な和室の寸法基準(モデュール)となっています。正座して庭を眺めたり、室内の設えを拝見したりすると、和室の空間が生きてくるのを感じます。
保科 私もそう思います。
松井 和室を味わうことで、日本人が根っこに持っているものが呼び起こされる感覚がある。畳は和の基盤をなすものではないですか。
久保木 そう言われると嬉しいです。
保科 にもかかわらず、畳のない空間で生活をしている人たちの多いこと。お茶の世界でも明治以降、立礼(りゅうれい)式というテーブルでのお点前の作法が考案されました。これもまた、日本における西洋化の象徴的な例ですが、私は普段畳でのお茶の体験をお勧めしています。正座をして足がしびれてしまう外国の方も多いので、足を崩してもいいですよと言います。茶席では目線を下げてほしいからです。
物理的に目線を下げてもらうことで、茶席のもつ情報量に気がついていただくのです。そうすると、イグサやお香の香り、お湯の煮える音や湯気、床の間の掛け軸やお花といったものにも気がついていただけます。
久保木 立礼式では見えないものがあるのですね。
保科 そうです。待庵はにじり口からの見え方が肝心なのだそうです。中に入ると、工芸品と言ってもよいほどの究極なパーソナルスペースになっており、そこに身体を入れる瞬間しか空間の眺めを味わえません。茶室の中では自分もその一部となる。低いところに目線の照準を合わせて鑑賞するにじり口の発想はすごいと思います。
畳の縁を介して差し向かい
保科 それほど小さな空間で、畳の縁は結界の役割を果たしているのではないかと思うんです。二畳の茶室では、畳の縁を介して目上の方と向き合うからです。
茶道体験に訪れた外国の方に畳の目を見ていただき、縁から16目まで数えてくださいと言うのです。最初は目を丸くされるのですが、16目に膝が来ると、お茶碗を縁の内側に置いて、手をついてお辞儀ができるちょうど良い寸法です、と説明すると納得していただけます。
久保木 畳の目は1つが1.5センチ、2つの目で一寸と言われています。つまり、一寸法師は約3センチ(笑)。
保科 かつて雲水(修行僧)さんたちは僧堂の畳一畳を寝泊まりの場としたそうですが、修行やお茶席から一般の人たちの暮らしまで、畳が距離の基準になっていたことがわかります。普段のお茶席でも、畳の縁は主人と客のコミュニケーションの境界となります。主人は縁のぎりぎりまでお茶やお菓子をお持ちし、結界を越えてご自分の側に持っていくのは、お客さまの役目になります。
お互いの世界が合わさるところが、縁として可視化されることで、親しい仲に礼儀を介した空間が成立つのではと思います。待庵はその究極的なかたちでしょう。なかなか緊張感のある距離ですが、あの中でのおもてなしは最高の時間のはず。
和室でミカンが食べたい
松井 正座は膝に負担がかかるので高齢の方には敬遠されがちですが、私は能の謡(うたい)を習っているので、正座は負担なくできます。先生と一対一で向かい合い、畳に直に正座しお稽古をします。謡は腹式呼吸でお腹に力を入れて声を出すため少し前かがみになります。
保科 和室で和装を身につけ、草履を履いて歩いていた日本人の体幹は、もともと少し前傾気味なんですよね。正座をしている時もやや前傾で、北斎の浮世絵などを見ても、みんな前かがみで歩いている。かかとから足を出すようになったのは、靴を履くようになったからでしょうね。
日本人の姿勢が変わると、お稽古で美しい立ち居振る舞いを身に付けることも1つの価値になります。ハイヒールを格好よく履きこなし、和装では内股気味の歩幅でつま先から歩く、この体幹を切り替えられるのは1つの技術です。そうした技術を身に付けたり、和室のある暮らしを営むことはステータスになりつつありますね。
松井 和室で過ごす時間は再び注目されるのではないでしょうか。私は終の棲家は和室がある伝統工法の木造住宅がいい。座椅子で庭を見ながら、また厚手の畳に正座して特別な時間を過ごせるのは良いものです。
保科 その一方で、椅子の生活に慣れると、床に座る体勢が取れなくなってしまうというシニアの方もおられます。立ち上がれないとか、足首が硬いので痛いといったさまざまなハードルがある。日常的に和室に親しんでいただくにはどうすればよいでしょうね。
松井 こたつのある和室を望まれる方はたくさんいます。古民家だけでなく新築でも、四畳半の広さでもいいから、みんなでミカンを食べたいと仰る。
保科 いいですね。
松井 和室は、離れて暮らしている家族が帰ってきた時に寝泊まりするのにも便利ですし、いろいろな用途が考えられるのでしょう。
久保木 実は、米国に住んでいる日本人の方から畳の注文をいただいたことがあります。どういう使い方を想定されていますかとお尋ねすると、こたつでミカンを食べたい、と(笑)。
松井 和室にミカンは家族の団らんの1つのかたちなのですね。
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