【三人閑談】
和室の手ざわり
2025/10/15
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保科 眞智子(ほしな まちこ)
茶道家、裏千家教授。
1995年慶應義塾大学文学部卒業。裏千家名誉師範森宗明氏に師事し、大使館や国際会議等、国内外でのべ1万人以上に茶道体験を提供。茶道と日本文化の伝道に努める。 -
久保木 史朗(くぼき ふみお)
久保木畳店代表。
2012年慶應義塾大学理工学部卒業。建設会社勤務後、2020年に創業280年の家業を継承。東京と福島県の2拠点から日本の伝統産業としての畳の魅力を国内外に発信。
誰でも参加できるお茶会
松井 和室は一般的に日本の伝統工法で作られた木造建築を指しますが、遡れば千数百年前から存在しているものです。今、そうした古い木造建築が次々と壊されています。畳も古くからある日本独自のものですよね。
久保木 そうですね。奈良時代からあるとされているので、1300年以上の歴史があります。
松井 私が子どもの頃は和室で寝起きするのが当たり前で、親戚が集まる時にも和室が団らんの場でした。そういう住まいのあり方は、経験と技術を持った大工や職人たちが築き上げてきた日本の宝でしょう。
日本の伝統工法は欧米諸国の硬い壁構造とは違い、構造に柔軟性があるのが特徴ですが、何百年も続いた技術が戦後急激になくなり始めました。欧米の工場生産的なプレハブなどに変わっていきました。
保科 私も大好きな茶道を通じて、失われつつある日本の伝統文化を守りたいと考えています。2023年に東京藝術大学大学院に入学し、国際芸術創造研究科アートプロデュース専攻で学んでいるのですが、最近、実験的に「在釜(ざいふ)」という茶会を催しています。
在釜とは、明治大正期頃まで続いていたお茶会の一形態です。茶人の家の軒先に「在釜」と書かれた看板が出ると、それは誰でも参加できるオープンなお茶会のしるしでした。家に入るとお点前で一服ごちそうになれる。そんな粋なもてなしを現代に蘇らせたら何が起こるだろうと、「仲町の家」という藝大が管理している築110年の古民家で始めてみました。
松井 面白いですね。
保科 「仲町の家」は江戸時代に建てられた民家が関東大震災で倒壊し、大正期に元の木材も活用して建て直された建物です。普段はアーティストが創作の場として自由な発想で使っています。
この建物で茶席を設けたところ、Z世代の若者たちが集まってきてくれました。興味本位で入ってきた人たちが偶発的な出会いを楽しむ場となり、敷居が高いと思っていたお茶が身近で温かくて楽しいものと知ってもらうことができました。
それを知った時、デジタルネイティブ世代の若者たちは、どこかでリアルな体験を求めているのではないかと感じました。私がインスタグラムで「在釜やります」と告知すると、それをキャッチして拡散してくれる。そこに明るい兆しを見ています。
久保木 大正期の古典的な空間がZ世代にウケているのですね。
保科 私は稽古でもあえて灯りをつけないのですが、そういう非日常的な仕掛けもよかったのかもしれません。うす暗い空間にいると、不思議なことに他の感覚が研ぎ澄まされてきます。お茶の歴史を見ても、茶席を灯りでこうこうと照らす文化はありませんでした。逆に言うと、私たちは普段あまりにも視覚情報に頼りすぎているのでしょう。
しなやかな日本の伝統工法
松井 私は建築士として古民家再生を手がけてきましたが、家をさらに次世代のために蘇らせたいと願う人たちはみんな強い思いを持っています。外国からの移住者のご相談も増えていますし、自分たちの手で直していきたいというニーズもあります。
保科 手間暇のかかる日常を望まれる人が増えているのですね。それが贅沢なこととして受け入れられているのでしょう。
松井 外国の方は寒さなんて平気だと言います。環境の良さに比べれば不便ではない、と。
保科 みんな、不便さを面白がりますよね。
松井 古い材はなるべく残しつつ、現在の生活に合った耐震性、居住性を良くして安心して住み続けられる再生工事を行います。
保科 「仲町の家」は耐震構造の問題があって、大学がすこし扱いに困っているんです。
松井 民家は柔軟性とねばりのある免震構造なので耐震壁が少なく、現行の耐震基準に合致しないケースが多いため、耐震対策が必要になります。
肝心なのは、伝統工法特有の構造を生かしながら耐震性を持たせるようにすることです。とくに柱は「石場建て」と呼ばれ、基礎となる石の上に乗っているだけの状態です。時間の経過とともにずれてくるのですが、このずれが力を吸収してくれる。
さらに上部の構造は大工さんの高い木組みの技術によって柔軟性が保たれています。金物などでがっちりと固定しすぎないからこそ軸組がしなやかに動き、倒壊を防いでいるのです。
保科 なるほど。わかりやすい。
松井 そのため耐震壁が必要なところには、現代の構造用合板で硬くしてしまうのではなく、貫(ぬき)を通した木製フレームを既存の柱と柱の間に設置し、少し揺れを持たせています。
保科 伝統的な建物の柔軟性を損なわない方法で更新するのですね。
松井 そうです。現代工法の構造用合板や接着剤を使うと簡単なのですが、全体のバランスが崩れ、日本の技が光る伝統工法の良さが損なわれてしまいます。
リフォームなどによって日本の住宅から和室が減りつつあると言われていますが、実は、和室の再生工事は結構大変です。柱や梁を見せる真壁構造の木造住宅を、耐震性や居住性を高め、断熱効果を良くして、さらに座敷を元の状態に戻すのは洋室に変えるよりも難しいのです。
保科 コストもかかりそうですね。
鎌倉にある古民家を再生した米国出身の方は、背が高いので天井を十数センチ高くしたそうですが、中に入れてもらうと不思議な感じがしました。畳はおそらく寸法どおりのものですが、普段私たちが親しんでいる和室とは天井高のバランスが違うのです。
松井 襖や障子の大きさなど、和室の寸法は畳が基準になっているのでそうなると思います。和室の天井や建具が低く抑えられているのは、欧米の方には低すぎるのでしょう。頭をぶつけて不便という事情もあるのでしょうけれど、寸法を変えるくらいなら頭を下げて通っていただけないかしらとも思います(笑)。
素材のもつストーリー
保科 畳の寸法は昔から90センチ×180センチと言われますね。
久保木 六尺×三尺で一畳。二畳で一坪ですが、畳の寸法は時代ごとに移り変わってきました。六尺=一間は、年貢米の根拠となる田んぼの面積を検地する際に、より多くの徴税を課そうとした徳川家康が寸法を変えたことに由来します。
畳の寸法は京間と江戸間が知られ、京間のほうが大きく、京間よりも少し小さい中京間(ちゅうきょうま)もあります。家康の定めた寸法は江戸間と言われ、年貢米の税率が上がるにつれて畳の寸法単位が小さくなっていったとされています。
保科 町家の空間がうなぎの寝床のように細長いのも、間口の幅によって納める税が違ったからとも聞きます。
久保木 面白いですよね。中京間は基準尺としても知られ、柱と柱の内寸法をそう呼んだりします。
松井 江戸間をセンチに直すと176センチ。襖の高さも同じ176センチとするケースは多いです。
久保木 176センチは五尺八寸ですね。
保科 尺の数え方も残していかなくてはいけない大切なものの1つですね。
松井 和室の設計には今も尺を使います。私たちは大工さんと尺で話しますが、お施主さんとはセンチで話すのです。
保科 設計者はバイリンガルなのですね。
松井 両方とも分からないと仕事ができません。でも尺を使わない若い設計者も増えていると思います。伝統的な木造建築を手がけている人は身に付いていると思いますが。
木材を切り出す「木取り」という作業の時にもこの寸法体系を使います。鎌倉に住む米国の方のように天井高を高くとろうとすると、おそらく普通の住宅用木材では合わないのではないかしら。
保科 茶室にはさまざまな種類の木材が使われます。それによってあたかも森林浴のような効果が生まれるのも特徴です。
松井 茶室の木材は選び抜かれた無垢材を使いますね。
保科 そうですね。それぞれの木材、とくに床柱の素材には必ずストーリーがあり、茶席ではお話しを聞きながらいろいろな木の味わいを楽しみます。
実はわが家を建て替えることになった時、庭の桜の木をどうしても切らなくてはいけなくなりました。樹齢は100歳近く、毎年家族でお花見を楽しんだ木だったのでとても残念でしたが、それを自宅茶室の床柱に仕立て直すことができました。
久保木 素敵なストーリーですね。
保科 桜はそれほど高価な木材ではないのですが、家族にとっては大切な思い出がある木だったのです。素材には物語があり、それゆえに価値をもつ。パーソナルな価値のつくり方も大切だなと感じました。
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松井 英子(まつい えいこ)
建築家、松井建築研究所代表。
1972年慶應義塾大学商学部卒業。ドイツStuttgart大学建築科卒業。設計事務所勤務後、1985年帰国。以来、木造住宅、民家再生を数多く手がける。